嘘を超えた現実
「言うに事欠いて、随分と面白ぇこと言ってくれるじゃねーか、ガキぃ……」
ローズの言葉を聞いたジャッカルが、血走った目でこっちを睨み付けてくる。それでもギリギリ腰の剣を抜かないのは、ここが町中であるという事実を忘れないくらいには理性が残っているからだろう。
実際ジャッカルは一度大きく深呼吸をすると、グツグツと煮えたぎるマグマのように、怒りと冷静さを両立させた声で俺に話しかけてきた。
「なあテメェ……クルトだったか? 思えば俺の体がおかしくなったのは、テメェが来てからすぐのことだった。それこそ最初はテメェの言う通り、病気か何かを疑ったりもしたよ。
だが何処の回復術士に聞いても異常はねーって言われるし、そのくせ体は治らねぇ。そうなりゃ自然とテメェに疑いが行く。俺はテメェのことを探したが、テメェはどういうわけか町からいなくなっていた。
そこで気づいたんだ。ああ、俺は嵌められた、ってな。何のことはねぇ、テメェはすぐに逃げ出す算段がついてたから、あんな雑な嘘を吐きやがったんだ。そんなもんに踊らされるとは……我ながら間抜けだったぜ」
「……………………」
その言葉を、俺は黙って聞く。確かにあの頃の俺にできるのは、それが精一杯だった。もしテクタス行きが決まっていなかったら、きっと復讐することすらできずに燻った日々を送っていたことだろう。
「だが、もうネタはバレてんだ。これ以上テメェのハッタリはつうじねぇ! それでもまだそれだけでかい態度をとるってことは……覚悟はできてんだろうなぁ?」
「覚悟?」
「ああ、そうだ。今はダンジョンが閉鎖されちまってるが、人目につかねぇ場所なんて幾らでもある。テメェにもテメェの連れにも、この世に生まれてきたことを後悔するくらいの地獄を、たっぷりと味わわせてやるぜ」
赤く濁ったジャッカルの目が、俺だけでなくゴレミとローズにも向けられる。その悪意に晒されたローズが、そっと俺の側に身を寄せて小声で話しかけてきた。
「むぅ……のうクルトよ、此奴かなりヤバそうなのじゃ。さっさと衛兵に突き出してしまった方がよいのではないのじゃ?」
「そうできりゃ世話ねーけど、無理だろ。現状は何されたってわけでもねーしな。でもまあ、ジャッカルさん。そいつはかなりの悪手だと思うぜ?」
「あぁ? 今度はどんな言い訳でこの場を逃れるつもりだ? 聞くだけなら聞いてやってもいいぜ?」
「いやいや、俺はあんたの為を思って言ってるんだって。何せ今あんたが手を出すって言った相手は、とある国のお姫様だからな」
「……は?」
肩をすくめて言う俺に、一瞬ポカンとした表情をしたジャッカルが、次いで腹を抱えて笑い始める。
「クッ、ハッハッハ! 聞いてやるとは言ったが、ここに来てまだそんなハッタリが通じると思ってんのか!? どんだけおめでたい頭してやがるんだよ!
言ってみろよ、その色気のないガキが何処の国の姫様だって?」
「妾か? 妾はオーバード帝国の第二八皇女、ローザリア・スカーレット・オーバードなのじゃ」
「へぇ、オーバード! そんな国聞いたことも…………オーバード?」
馬鹿にしたような口調から一変、ジャッカルがギロリと目をむいてローズを見る。
「オーバードだと!? おい、わかってんのか? こんな場所でそんな嘘――」
「嘘ではないのじゃ! 妾は歴としたオーバード帝国の皇族なのじゃ!」
「……………………ま、マジか?」
少しだけ不満げに、だが堂々と胸を張って主張するローズに、ジャッカルが引きつったような笑みを浮かべる。
おそらくジャッカルの想定では、誰も知らない……要は実在してるかもわからない国の王族とでも名乗ると思っていたんだろう。王族、皇族の詐称は問答無用で死刑だが、流石に存在するかもわからない国の王族を名乗る相手を罰するような法律はねーからな。
だが、魔導帝国オーバードの名は誰だって知っている。そしてここは天下の往来であり、周囲には沢山の人がいる。こんな場所で大国の皇族を詐称したりすれば、誤魔化しようがない。何なら誰かが通報している可能性すらあるが……俺達からすれば何の問題もない。何せローズは本物の皇女だからな。
ならばこそ、ローズは勿論関係者として連座で罰せられる可能性のある俺やゴレミも平然としていて……そんな俺達の態度に、ジャッカルがあからさまに動揺し始める。
「い、いや、そんな馬鹿なこと……何で田舎村のガキが、オーバードなんて大国の姫と知り合いになってんだよ? ありえねーだろ!?」
「そこはまあ、色々とな。あーそれと、一つ訂正しとくぜ。俺達がこの町からいなくなったのは、別にあんたから逃げるためじゃねー。ちょっと用事があって、転移門でオーバードに行ってたからなんだよ。
その後も世界中の大ダンジョンを転移門で全部巡って、今戻ってきたのは探索者ギルドからダンジョンの異変を解決するための協力を要請されてのことだ」
「は? は、はぁ!? 何でテメェみたいな駆け出しが、ギルドからそんな重要なことを依頼されんだよ!? しかも世界中を転移門で!? どんだけフカしやがるんだ! あり得ねぇ、嘘だ嘘だ嘘だ!」
「嘘じゃねーって! なあローズ?」
「うむ、全部本当のことなのじゃ。明日は<底なし穴>に入る予定じゃから、これでやっと妾も、クルト達に一歩遅れて全ダンジョン制覇なのじゃ! 今から楽しみなのじゃ!」
ニッコリ笑顔で言うローズに、ジャッカルは完全に茫然自失となる。どうやらこいつとの因縁は、これで片が付いたようだ。
「ははは、そうだな。あーでも、異変が起きてる状態で入るのも、制覇に入れちまっていいのか?」
「えっ? だ、駄目なのじゃ?」
「いいんじゃないデス? というか、別に誰かが認定してるとかじゃないのデスから、自分がいいと思えばそれでいいと思うデス」
「だよな。ならいいってことにしとこうぜ。てかどうせ異変が解決したあとだって<底なし穴>には潜るんだから、多少遅いか早いかの違いでしかねーし」
「それもそうじゃな。では話も終わったようじゃし、そろそろ買い出しの続きに――」
「ま、待ってくれ!」
と、そこで立ち去ろうとしていた俺達に、ジャッカルが声をかけてくる。ただしその表情からは怒りや憎しみといった感情が丸ごと抜け落ちており、口元には引きつった笑みがヘラヘラと浮かんでいる。
「む? まだ何かあるのじゃ?」
「い、いや、ほら、さっきの……あれは、あれだよ。本気じゃなかったっていうか……ち、違う! 違うんですよ! 俺はそんな、皇女殿下をどうこうしようとか、そんなつもりはこれっぽっちもなくてですね。ちょっと興奮して口が悪くなったっていうか……あの、あれ! 冗談! 王女殿下がとてもお美しかったので、気を引くためのちょっとした冗談だったんですよ!」
「あー、もう別にいいのじゃ。気にしておらぬから、さっさといなくなるのじゃ」
「そ、そうですか? あーでも、俺この町では割と顔が利くんで、何かあったら言ってもらえれば……へへへ」
「いいから行くのじゃ! 妾達はまだやることがあるのじゃ!」
「す、すみません! それじゃまた!」
胡散臭そうな表情を浮かべたローズに言われ、薄ら笑いを浮かべて揉み手をしていたジャッカルが立ち去っていった。かつて見たのとは随分違うその背中に、俺は何とも言えない気持ちになる。
「うわぁ、ジャッカルの背中が煤けてるデス……」
「同情する気はねーけど……随分小さい感じはするな」
「所詮は小物ということじゃろ。あの様子なら今後ちょっかいをかけられることもないじゃろうし、妾としては安心なのじゃ」
「ま、そうだな」
俺達も相応に強くなったとは思うが、それでも一年前で二三層を活動地点としていたジャッカルとの差がどの程度縮まったのかは、やってみないとわからない。三人がかりなら案外サクッと倒せる可能性もあるが、どう転んだとしても面倒な事になっていたことだろう。
だがローズが本物のお偉いさんだったことで、ジャッカルの気勢はあっさりとそぎ落とせた。長いものに巻かれるタイプらしいジャッカルが皇族に手を出してまで俺やゴレミに逆恨みの復讐をしてくるかと言えば、おそらくは否。
「お互い血を見ねーで解決できたんだから、これで十分上々さ。そんなことよりさっさと買い出しに行こうぜ。
あと、そうだ。この剣をヨーギさんに見せるってのもありだな」
「おお、それはいい考えなのデス!」
「クルトの前の剣を作った職人殿じゃな。妾も会ってみたいのじゃ」
「んじゃ決まりってことで!」
かつて俺達の前に超えられない壁として立ちはだかった、因縁の相手ジャッカル。そんな相手を戦わずしてやり込めることに成功した俺達は、その足でこれまた懐かしい店を訪ねることに決めるのだった。





