傲慢な交渉
「ぐぉぉ、イテェ……足が…………」
一度は通った穴なれど、何かヤバそうだったので落下気味に急いだせいか、着地の衝撃を受けて俺の足が猛烈に痺れる。だがそんな俺よりも衝撃を受けていそうなのが、目の前で唖然としているオヤカタさんだ。
「な……!? 何故お前がここにいる!? 町に戻ったのではなかったのか!?」
「そりゃあ勿論、そのつもりだったんですけど……別れ際にあんな意味深なこと言われたら、そのまま帰るわけにはいかないでしょ」
責めるようなオヤカタさんの物言いに、俺は苦笑して答える。確かに俺は時々鈍いとかわかってないとかしょぼくれてるとか言われるが……ぐぬぅ……とはいえあんな如何にもな台詞を聞いて、そのまま帰ってしまうほど間抜けではない。
ましてやオヤカタさんは、短い付き合いとはいえ同じ部屋で過ごし楽しく飯を食い、共通の相手を助けるために協力し合った仲だ。今聞いた通りのことが起きていたなら、俺はきっと一生後悔したことだろう。
「着地成功! ゴレミ選手、一〇.〇〇で金メダルなのデス!」
「ぶはぁ、やっと降りられたのじゃ……やっぱりこの穴は怖いのじゃ……」
と、そんなことを考えている間にも、俺に続いて通気口から降りて来たゴレミとローズが姿を現す。勢揃いした俺達を前に、オヤカタさんが大きくため息を吐いた。
「はぁ……意味がわからん。別れてすぐというのならまだしも、それなりに時間が経っていたはずだ。一体どうやって部屋の中を監視していたんだ?」
「見ていたわけではないのデス。マスターが寒いなか、穴のところにへばりついてじーっと聞き耳を立てていたのデス!」
「聞き耳? 馬鹿を言え、オレの独り言が、部屋の外に漏れ聞こえるほど大きかったとでも?」
「へへへ、そこはまあ、ちょっとした裏技を使ったんで」
怪訝な声を出すオヤカタさんに、俺はニヤリと笑って言う。
俺がやったのは、かつてジャッカルに仕掛けた復讐の応用……俺の鼓膜の感度を今の技量で限界まで引き上げるというものだ。おかげでぼそぼそと喋るオヤカタさんの言葉を何とか聞き取り、ギリギリのタイミングで室内に突入することができたってわけだ。
ちなみに、これができたのはこの周囲に誰もおらず、何の音も鳴っていなかったからだ。特定の音だけ大きくするなんて便利な調整はできねーから、もし町中とかで同じ事をしたら、きっと秒で耳がぶっ壊れて、泡を吹いて気絶することだろう。
「…………話を聞いていたなら、もうわかっただろう? オレは魔物だ。お前達が心配するような存在ではない」
「いやいや、魔物であることと俺達が心配するかは別の問題ですよね?」
「それにオヤカタ殿には話しておらなんだが、妾達の知り合いのエルフも、オヤカタ殿と同じく知性を取り戻した魔物なのじゃ!」
「なん……だと……!? そんなことが…………」
ローズの言葉に、オヤカタがまたも衝撃を受ける。ちなみにゴレミはオヤカタさんが魔物であることを初見で見抜いていたようだが、ジルさんの時と違って指摘すると互いの関係性が大きくこじれるリスクの方が高かったため、黙っていたのだそうだ。
部屋を出た後、俺がオヤカタさんの言動を理由にこの場に留まるのを提案した際にそれを聞かされたのだが、ビックリはしたものの納得もした。それもまたここで聞き耳を立てていた要因の一つである。
「いや、しかし……そうか。オレだけが唯一の例外などということの方があり得ない、か…………そのエルフはどうやって知性を保っていたんだ?」
「うむん? 多分何かこう、凄い魔力とかで守っておるのじゃと思うのじゃが……」
「やはり魔力か……ならどうしようもないな」
「あれ、オヤカタのオジジはどうやって自分を保ってるデス? ゴレミはてっきり、この部屋の中なら大丈夫だと思ってたデス」
「オレは……この髭だ。ドワーフは髭に魔力を蓄える。これに長年蓄積してきた魔力で、ダンジョンからの干渉をはねのけていたのだ。だがそれももう残りわずかでな。これ以上は知性を保てない」
「魔力が必要なのじゃ? なら妾がいくらでも――」
ローズの申し出を最後まで聞くことなく、オヤカタさんが首を横に振る。
「無理だ。髭に蓄えられるのは、あくまでもオレの魔力のみ。こいつは魔導具ではなくオレの体の一部なのだから当然だ。
ほら、もうわかっただろう? オレのことはお前達にはどうしようもなかったことだ。最後に人として過ごせたことに、感謝こそすれ恨みなどあるはずもない。
それとも、今ここでオレのことを殺していくか? 残念ながら討伐報酬として渡せるようなものはないが……そうしてくれるなら、オレとしては嬉しい」
「いやいやいやいや、そんなの俺達は全然嬉しくないですから! 何で世話になった恩人を殺すなんて発想になるんですか!」
「…………なら言い方を変えよう。オレに恩を感じるというのなら、その恩を今返してくれ。お前達の心の重荷になるのは嫌だったのだが、オレが魔物だと知られてしまったならもう遅いしな。他の誰かに殺されるくらいなら、オレはお前達に……」
「だから待ってくださいって! 俺達だって、何の勝算もなくここに戻ってきたわけじゃないんですから」
自ら死を望むオヤカタさんに、俺はそう言って剣を抜く。最後の手段を初手で切るのは何とも情けない限りだが、今すぐできることはこれしかない。
「ゴレミの推測通り、部屋を維持する魔力が足りなくなったとかだったら、颯爽と名乗り出てローズが魔力を充填して、後は笑って立ち去ろうと思ってたんです。でもそっち方面で無理っていうなら……今の俺にできるのはこれだけです」
「……ああ、それでいい。ドワーフの髭は頑丈だからな。殺すならここ、髭と兜の隙間にある、目の間辺りを一突きにするのが有効だ」
「だからそうじゃないですって! 今から俺は、この剣をオヤカタさんに刺します。で……オヤカタさんと繋がって、オヤカタさんの人としての意識を鋭敏にします。そうすれば多分、魔物としての意識より、人の意識の方が強く表層に出ると思うんですよ」
「…………? そんなことができるのか? その剣にそんな機能はつけていないぞ?」
訝しげなオヤカタさんの言葉に、今度は俺が首を横に振る。
「わかりません。やったことなんてないですしね。でも、俺ができそうなことでオヤカタさんを助けられる可能性があるのは、これだけなんです。
剣を刺すわけですから、普通に痛いし苦しいと思います。時間がかかればそのまま失血死することもあるでしょうし、その途中で感覚が鋭敏になってしまえば、俺には想像できないくらい苦しむ可能性もあります。
上手くいっても今ほど明瞭な意識を保てるかもわかりませんし、後遺症とかも残るかも知れません。オヤカタさんからすれば、今綺麗に死んでおく方がずっとよかったと思うことになることだってあるかも知れないです」
包み隠さず、俺は自分が思いつく限りのリスクを告げる。そしてそのうえで、俺は深く頭を下げる。
「でも、それでも……どうしても俺は、オヤカタさんを助けたいんです! だからお願いします。俺達のために、どうか助けられてください!」
それは何と傲慢な要求だろう。俺達が気分よく今後の人生を送るために、出会って間もない相手にこんな願いを押しつけるなど、どんな暴君だってやらないはずだ。
だが、後悔したくない。やれるだけのことをやりたい。そんな俺の願いに……オヤカタさんの口から苦笑が漏れる。
「オレは恩を返せと言ったんだが、まさか要求を重ねられるとはな……だがそんな態度こそ、未来のある若者の特権か。
いいだろう。どうせ投げ捨てることしかできぬ命だ。ならばお前達にオレの全てを託す。そうしてやる代わりにオレが要求するのは、お前達が全員無事に、ここから生きて帰ることだ。どうだ?」
「そいつぁ随分高いですね……でもま、了解です! ならかすり傷一つ負わずに全部を終わらせてみせますよ」
交渉は成立し、契約は結ばれた。ならあとは全力を尽くすだけだ。





