門の向こう側
「うぅぅ……く、臭っ!? 何か凄く臭いのじゃ!?」
明けて翌日。俺達の朝はそんなローズの叫び声から始まった。
「ふぁぁ……何ようるさいわねー」
「すまぬのじゃ……いや、そうじゃなくて、臭いのじゃ! 一体何がこんなに臭いのじゃ!?」
「あー、そう言えばフレデリカがずっとローズの鼻を囓ってたからなぁ。それが原因じゃねーか?」
「何と!?」
「ええー? アタシそんなことしないわよ?」
俺の言葉にローズが衝撃を受け、フレデリカが訝しげな声をあげる。だがすぐにローズは「顔を洗ってくるのじゃ!」と部屋の外に飛び出していき、それを見送ったフレデリカが俺の方に近づいてくる。
「ちょっとアンタ、適当な……あれ? アンタ何か、顔色悪くない?」
「ん? そうか? ちょっと食い過ぎたせいで、あんまり眠れなかったからな」
「何よ、アンタもそんななの!? 今日はアタシが帰る日だって言うのに! ほら、おまじないしてあげるから、アンタも顔洗ってしゃっきりしてきなさいよ!」
「ははは、ありがとな」
フレデリカの「おまじない」を受け、俺もローズの後を追って部屋の外に出ると、そのまま足下に積もった雪で顔をゴシゴシと擦る。そうして身支度を調えると、昨日の残りを軽く摘まんで朝食とし……満を持して、俺達は改めて部屋の中央に集まった。
「では最後に、一晩経って抜けた分の魔力を補充してくれるか?」
「わかったのじゃ! むむむ……よし、これで一杯なのじゃ!」
オヤカタさんがテーブルに門を置くと、そこにローズが手を当てて魔力を送り始める。だが一晩で減った量などたかが知れているからか、すぐに手を離してニッコリと笑った。それをオヤカタさんが再度チェックして、小さく頷く。
「うむ、問題ない。これでこの『門』はいつでも開けられる」
「…………いよいよアタシ、みんなのところに帰れるのね」
閉じたままの石の門を前に、フレデリカがそう呟く。昨日は勢い任せで飛びついたというのに、今日はどこかしんみりした雰囲気だ。
「あーあ、これでアンタ達ともお別れね! ほんのちょっとの間しか一緒に居なかったけど、でもまあまあ楽しかったわよ!」
「ははは、そりゃよかった」
「ゴレミ達も楽しかったのデス!」
「お主に教えてもらった特訓は、これからも続けるのじゃ!」
「あっそ。ま、頑張りなさいよね!」
俺達に対する挨拶は、割とあっさりしたもんだ。だがそんなさっぱりした気質もまた、フレデリカのいいところなんだろう。ニカッと笑って俺達の頭上をひらりと飛び回ると、次はオヤカタさんの方へと飛んでいく。
「オヤカタも、ありがとね! オヤカタが助けてくれなかったら、今もどうやってみんなのところに帰ればいいかわからなかったと思うわ」
「気にするな。オレの方こそお前には助けられたからな」
「えっ、そう? アタシ別に何もしてないけど?」
「……それでもだ。お前と出会い、共に過ごせたことは、オレにとって何よりの幸運だった」
「え、えー!? そこまで言われると、何か照れちゃうな……もー、やだー!」
顔を赤くしたフレデリカが、オヤカタの髭を引っ張ったり結んだりし始める。だがそんな悪戯を気にせず、オヤカタがズボンのポケットから何かを取り出した。
「ほら、これを持っていけ」
「え、これなーに?」
「オレが作った腕輪だ。本来なら指輪にしようと思っていたんだが……流石に大きさがな」
「アタシにくれるの!? やったー! 見て見て、似合う?」
「ああ、よく似合っているぞ」
「わーい! ほらほら、アンタ達にも特別に見せてあげるわ!」
銀色に輝く腕輪を右手首に嵌めたフレデリカが、そう言って嬉しそうに俺達の方に飛んでくる。小さい上にブンブンと腕を振り回しているので正直よく見えないんだが、それは些細なことだ。
「おう、よく似合ってるぜ」
「マスターとゴレミのラブラブカップルの次くらいにベストマッチなのデス!」
「もうちょっとよく見せて欲しいのじゃ。ほぅ、この大きさなのにきちんと飾り彫りもなされておる……本当によく似合っておるのじゃ」
「でしょー! ふふふ、みんなのところに戻ったら、思いっきり自慢してやろーっと! ありがと、オヤカタ!」
最高にご機嫌そうなフレデリカが、オヤカタの周りを何度も飛び回り……やがて不満そうに頬を膨らませる。
「むーっ! お礼にキスしてあげようと思ったけど、もじゃもじゃばっかりでするところがないわ!」
「ハハハ、それは残念だ……さて、それじゃそろそろ開くか」
「……うん」
オヤカタさんの言葉に、フレデリカが門の前に行く。全員が固唾をのんで見守るなか、オヤカタさんが口を開く。
「ではその扉に手を当て、戻るべき場所を強くイメージしながら開くのだ。そうすればその場所に、道が通じる」
「わかったわ。お願い、アタシをみんなのところに…………」
願いを込めて、フレデリカが門を押す。すると石の扉がゆっくりと開いていき……その向こうに広がっていたのは、暗い雪原だ。
「そんな、どうして……!?」
その光景に、フレデリカが悲鳴のような声をあげる。まさか失敗かと俺達も心配になったが、次の瞬間どこか間延びした別の誰かの声が聞こえてくる。
「んー? だーれー?」
「ユルメリカ!?」
「あー、フレちゃんだー! ひさしぶりー! みんなー、フレちゃんが帰ってきたよー!」
夜のような黒髪をした妖精が、そう声をあげる。するとすぐに周囲から別の妖精達が集まってきた。
「ちょっとフレデリカ、アンタ何処行ってたのよ!」
「帰ってきたの!? なら早く雪を何とかしてよー! もー寒いの嫌ー!」
「ふふふ、お昼寝は終わりね。ユル、『夜の結界』を解除して」
「わかったー」
その瞬間、まるでカーテンを開いたかのように門の向こうの世界に光が満ちる。日の光を反射してキラキラと輝く雪原は、夜しかないこっちの雪原と比べると泣きそうなほどに美しい。
「さあ、次は貴方の番よ、フレデリカ」
「……っ! わかったわ、このアタシの全力を見せてあげる!」
仲間の妖精達だけでなく、俺達にまで聞こえるように。大声で叫んだフレデリカの体からブワッと白い風が巻き起こると、大地を満たしていた雪が綺麗に消え去り、代わりに雪に埋もれていた色とりどりの草花が姿を現す。
「わーい! あったかくなったー!」
「どう? これがアタシ達の世界よ! アタシもそっちに遊びに行くから、アンタ達もこっちに遊びに来なさいよね!」
「アンタ誰と話してるの? てか今更だけど、この穴なに?」
「だれかいるのー? こんにちはー?」
「ちょっと、アンタ達押さないでよ! ここはアタシが――」
何人もの妖精が顔を寄せ合い押し合うなか、フレデリカが何か言おうとしたところでフッと「門」が閉じる。それと同時に石の門がボロボロと崩れていき……俺達は顔を見合わせ、何とも言えない笑みを交わし合う。
「ははは、何だか最後はグダグダだったな」
「でも、凄く綺麗な場所だったのデス」
「友達とも再会できたようじゃしな。無事に帰れて本当によかったのじゃ」
「だな」
最後は何とも慌ただしい別れだったが、それもまたフレデリカらしい。フレデリカの仲間の顔も見られたし、俺としてはこれで十分満足だ。
ということで、俺達をここに連れてきた張本人はいなくなり、俺達がここに留まる最大の理由がなくなった。となれば……
「……では、次はお前達か」
「……そうですね」
俺はオヤカタさんの顔を見つめて頷く。さっきまで見送る側だった俺達が、今度は見送られる側となった。





