撫でる男
そうしてフレデリカが旅立ってから三日が過ぎ、四日目の昼。スキルと魔法という違いはあれど、同じ精神修行ということで三人揃って家の外で訓練をしていた俺達に、遠くから呼びかける声が聞こえてきた。
「おーい!」
「ん? おお、フレデリカじゃねーか!」
暗い夜空にフワフワと舞い踊る、白くて大きい雪の球……と言うには羽が目立ちすぎだが、とにかくフレデリカがこっちに向かって手を振り、同時に抱えていた何かがポロリと落下する。
「ちょっ!? フレデリカ、落とした――」
「おっと危ない! ふふーん、そんな失敗はしないから大丈夫よ!」
が、それが地面に着くより前に、急降下からの華麗なターンでフレデリカが石ころを拾い上げる。そのままドヤ顔で俺達の方にやってきたが……
「いや、大丈夫な奴はそもそも落とさねーんじゃねーか?」
「う、うるさいわね! そういうことだってあるのよ!」
「イテェ!?」
突っ込みを入れた俺の頭を、フレデリカが両手で抱えた石ころでガンガン殴ってくる。力はそれほどでもないんだろうが、石の角が丁度よく当たって深刻に痛い。
「そもそもアンタのために拾ってきてあげたのよ!? なのに何よ!」
「痛い痛い! わかった! 悪かったって!」
「まったく……にしても、アンタ達こんなところで何してるの? ここって人間には寒いんじゃない?」
「いや、スゲー寒いけど……」
「フレデリカ殿がいないと、パッと雪玉を作ったりはできぬのじゃ。いちいち部屋の外に雪玉だけ取りに行くのは面倒じゃから、妾もこっちで訓練することにしたのじゃ」
「それに、フレデリカを待っていたというのもあるデス」
「アタシを? えー、そんなにアタシに会いたかったの?」
「ははは、そうだな。もう二、三日顔が見られなかったら、ショックで一旦街に戻るところだったぜ」
「えっ、そんなに!? えっと……」
ニヤニヤと笑いながら言うフレデリカに俺がそう告げると、途端に顔を真っ赤にしてモジモジし始める。
ちなみに、フレデリカを待っていたのは本当だが、会いたかった理由は別にある。単純にフレデリカの案内がないと食料の調達ができない……正確にはここから街に出ることはできるが、街からここに戻ることができないからだ。
いや、危なかった。送り出してから気づいて、以後は節約しながら食事をしてたんだが、それが尽きたら帰るしかなかったのは事実だからな。
「し、仕方ないわね! ならちょっと……ちょっとくらいなら、触らせてあげても……いい、わよ?」
「ん?」
と、そんなことを考えていると、何故かフレデリカが俺の顔の側にきて、羽をパタパタさせ始める。え、何だこれ? 触れってことか?
「んじゃ……よっ」
「ふひゃあっ!?」
俺が無造作に羽の一枚を摘まむと、フレデリカがビクッと体を震わせて声をあげる。ひょっとして痛かったのかと思ってすぐに手を離したんだが、その瞬間フレデリカが俺の頬に思い切り蹴りを入れてきた。
「またイテェ!?」
「あ、あ、アンタ! 普通触るって言ったら、もっとこう、そーっと撫でるとかでしょ!? そんないきなり乱暴にギュッてするなんて、あり得ないんだから! 馬鹿! ヘンタイ!」
「うむうむ。今のは完全にクルトが悪いのじゃ。乙女の体を乱暴に扱ってはいかんのじゃ」
「マスター、浮気は駄目なのデス! ゴレミだって頑張れば、ウィングパーツをパイルダーオンできるのデス!」
「え、マジで? ゴレミお前、空飛べるようになるの?」
「えぇ……? まあゴーレムデスから、そういうボディに入って、相応のパーツをつければ飛べるとは思うデスけど……今そこに食いつくデス?」
「ちょっと! アタシの話聞いてるの!? うわーん、オヤカター! 人間がアタシに酷いことするよー!」
「は!? お、おい!?」
俺がゴレミの話に乗ったせいか、俺の顔を好き放題に叩いたり蹴ったりしていたフレデリカが、そう叫びながら通気口から部屋の中へと入っていってしまった。何だか嫌な予感がしたので俺も慌てて室内に戻ると、そこではフレデリカが泣きながらオヤカタさんの顔の周りを飛んでいた。
「えーん! えーん! オヤカター!」
「……おいお前、一体何をしたんだ?」
「何って……その、触ってもいいって言われたんで、羽を指で摘まんだんですけど……」
「そうか…………はぁ」
戸惑う俺の言葉に、オヤカタさんが短くそれだけ言うと、軽くため息を吐く。それからいつの間にかオヤカタさんの髭に埋もれて隠れてしまったフレデリカをひと撫ですると、改めて俺の方を見てその口を開いた。
「妖精の羽は、その薄さ故に敏感な器官だ。乱暴に扱うべき場所ではない。それに……いや、これはオレが言うべきことじゃないな。とにかく大事に扱ってやってくれ」
「そ、そうなんですか…………ごめんなフレデリカ、俺妖精に会ったのはフレデリカが初めてだから、そういうの知らなかったんだよ」
「……もうギュッてしない?」
俺の言葉に、髭の中からぴょこんと頭を出したフレデリカが問うてくる。
「ああ、しない。約束だ」
「なら許してあげる……」
「そりゃよかった! あー、そうだ。そういうことなら、もしよかったらもう一回ちゃんと触らせてくれねーか?」
「えー…………いいけど?」
重ねた俺の言葉に、フレデリカがオヤカタさんの髭から出てきて、俺の前で羽を広げる。部屋の灯りを反射してキラキラと輝く白い羽は、改めて見ると実に綺麗だ。
「そっとよ! そーっと撫でるんだからね!」
「わかってるって……おお、こりゃスゲーな」
改めて羽に触れると、すべすべした手触りが気持ちいい。前に一回だけ触ったことがある、上等なシルクみたいな手触りだ。
「あっ……んっ…………ど、どう?」
「すべすべしてるのにフワフワしてる……不思議な手触りだな。スゲー気持ちいい」
「あ、当たり前でしょ! このアタシの……ふんっ……自慢の羽なんだから!」
「なるほど、こりゃ自慢したくなるよなぁ。あー、マジでいい手触りだ。何かもうずっと触ってたい気が…………っ!?」
不意に背後から刺すような視線を感じて振り向くと、そこにはいつの間にか部屋に戻ってきていたゴレミとローズの姿がある。
「クルトよ、それは流石に…………流石にどうなのじゃ? 破廉恥にも程があると思うのじゃ」
「ぐすん。マスターはもうゴレミには飽きちゃったデス……?」
「なんでそうなるんだよ!? 俺は単に羽に触ってるだけだぜ!?」
「お主はフレデリカの顔を見てもそう言うのじゃ?」
「顔って……」
「んっ…………な、何? 恥ずかしいから、あんまり見ないで……」
ジト目をするローズに言われて改めてフレデリカの顔を見てみると、何故か顔を上気させたフレデリカが、潤む瞳で俺を見てくる。俺だって馬鹿じゃないのでその顔つきからある程度の感情は読み取れるが、それと羽を触っていることが頭の中で繋がらない。
ただ、ひとまず羽を撫でていた手は離した。離したんだが……今度はフレデリカの方が、名残惜しそうに俺の指を羽でパタパタとやってくる。
「何よ、もうしないの? それとも今度は鼻とかほっぺたにスリスリする?」
「いやぁ、それは遠慮しておこうかなー? ハハハ」
開けてはいけない扉に手が掛かっている気がして、俺は慌ててそういいながら顔を逸らす。だが逸らした先で待ち構えていたゴレミが、俺の手をギュッと握って引っ張った。
「次はゴレミの番なのデス! あーんなところもこーんなところも、マスターに思うさまにナデナデしてもらうデス! ローズはどうするデス?」
「わ、妾か!? 別に妾は、そんな…………ま、まあ、頭を撫でるくらいなら……」
「え、なんで俺が撫でる流れに!? あの、本当に勘弁してもらえないですかね?」
ゴレミやローズに対してどうこうというわけではないが、俺だって若い男なので、そういう衝動的なアレがないわけではない。なのでこういう空気でそういう流れは遠慮してもらいたいところなんだが……
「誰か一人だけ贔屓するのはよくないのデス! やるなら全員一緒デス! 目指せハーレムエンドなのデス!」
「目指さねーよ! ハァ、わかった。撫でりゃいいんだな? いいぜ、やってやろうじゃねーか!」
「わーいデス!」
「え、本当にやるのじゃ?」
ゴレミもアホな発言のせいで逆に吹っ切れた俺は、やけくそ気味に二人に近づいてその頭をグリグリと撫でてやる。するとゴレミは無邪気に喜び、ローズは微妙な表情を浮かべる。
「むふふー、マスターにナデナデされると、凄く幸せな気分になるデス!
「妾ももうすぐ一四歳じゃし、流石にどうかと思うのじゃが……とはいえ悪い気はしないのじゃ」
「ならよかった」
「ちょっと! アタシも撫でなさいよ!」
「へいへい。じゃあ頭だけな」
「いくじなしー!」
「ハッハッハ、知らんがな」
「……何をやってるんだ、お前達は」
呆れ声を出すオヤカタさんをそのままに、俺はちょっとむくれ顔のフレデリカも合わせて、三人が満足するまでその頭をローテーションで撫で続けていった。





