クルトの世界
さて、ゴレミのおかげでやる気を取り戻せたのはいいんだが、それとは別に俺の抱える問題は未だ解決していない。
最初の時の「壊れてもいい」という勢いでの触れ方は、当然駄目だ。だがそれ以後の実は直接触ってなくて、周囲の空気を撫でてるようなもんって触れ方もまた駄目なわけで、その中間で調整する必要があるんだが……
「加減って言われてもなぁ……範囲が広すぎて何にもわかんねーぞ……?」
どっちもあまりに極端過ぎて、「丁度いい具合」を見極める参考にはほぼならない。こういうのは限界ギリギリを見極めるのが強い能力になる秘訣だと思うんだが、さてどうしたものか。
「マスターの場合、まずは自分の内側に入れるようになるのが大事じゃないデス? なら最初は『命の歯車』には触れず、遠くから眺めるくらいの感じでやってみるのがいいと思うデス。それならきっと、トラウマも発動しないのデス」
「ふむ、最初の一歩ってのは肝心だもんな。ならそんな感じでやってみるか」
雪原の上に両足を組んで座り込み、背筋を伸ばして目を閉じ、意識を集中させる。そのまま数度深く呼吸をして心を整えると……しかし俺は何とも言えない気持ちから、薄目を開けてゴレミの方を見る。
「ふふ、大丈夫デスよマスター。ゴレミはちゃんとここにいるデス。本当ならマスターの膝の上に乗りたいところなのデスが……」
「それはマジで勘弁してくれ。潰れるから」
「ぶー!」
いつもとは逆で、俺の胸に手を当てながら言うゴレミに、俺は苦笑しながらそう返した。その後は服越しなのに確かに感じる手の温もりを起点に、自分のなかへと少しずつゆっくり、意識を沈めていく。
するとその途中で、再び俺のなかに吐き気のようなものがこみ上げてきた。だがゴレミの手から伝わる温もりがそれを優しく包み込み、俺に届かないようにそっと押しのけてくれる。
(いける。これなら…………)
潜っていく。沈んでいく。深く深く、俺自身のなかへ……………………
「おぉぉ、ここが…………?」
いつの間にか辿り着いたその場所で、俺は小さく声をあげる。遂に辿り着いた俺の内側。そこに広がっている世界は、何の変哲もない部屋であった。正面の壁にこそ巨大な歯車を中心とした複数の歯車がはまり込んで回っているが、それ以外は特に何てことのない、それこそ宿屋の一階とかにありそうな感じの部屋であった。
「いや、部屋って……えぇ?」
ゴレミにしろローズにしろ、クリスエイドの世界だって無限に広がっているかのような場所だったのに対し、単なる木造の部屋というのは如何にも狭い。振り返れば外に通じているような扉があったので手をかけてみたが、押しても引いても扉が開く気配はない。
「マジか? え、マジでこれが俺の世界の全てなのか!? いやいやいやいや、流石にこれは……」
ショボい。頭に浮かんだその感想を、俺は必死に否定しようとして……だができない。俺の耳に「マスターらしいしょぼくれ具合なのデス」「うむ、クルトならこのしょぼくれ具合も納得なのじゃ」という空耳が響いてきたが、ここは俺の心の中なので気のせいということにしておく。
「…………よし、わかった。まずは現実を受け入れよう」
がっくりと崩れ落ちたい気持ちを堪えて、俺はひとまず室内を見回す。テーブルの上にはカップが一つ。調理場らしき場所には食器もあったが、流石に食材はないようだ。
飾りのようなものもなく、全体的にこぢんまりとまとまった室内は、男が一人で暮らすならこんなもんだろうという感じではあるが、とはいえ何となく寂しい印象を受けるのは、俺が賑やかな暮らしに慣れちまったからだろうか。
「なるほどねぇ……で、そうなるとこれが俺の『命の歯車』なのか?」
中央に立って見回すだけで室内のほぼ全てがわかってしまったため、今度は出入り口と思われる扉の反対側の壁にある、巨大な歯車の方へと向かう。俺の身長よりちょいでかい、おおよそ直径二メートルくらいの木製の歯車。それは俺が今までスキルで出してきた歯車が、そのままでかくなったような存在だ。
「ふむん? スキルで出せるのと同じ形ってのはわかりやすいけど……」
ゴレミやローズの歯車と比べると、何と言うかこう、特別感が一切ない。ローズの命の歯車はどうやったって壊せないと感じさせるものだったが、これなら頑張れば普通に壊せる気がする。
「って、一旦壊しかけたんだから、そりゃそうだよな」
田舎村から出てきた、何の変哲も無い新人探索者としては、このくらいが分相応ってことだろう。ひとまずそれが確かめられただけで、最初の目的は達成できた。
「はーっ、あんな苦労してやっと辿り着いたと思ったら、予想以上にショボい場所だったな。さて、それじゃこれから…………ん?」
と、そこで何気なく左に視線を向けると、壁に扉があることに気づいた。
「あれ? 扉なんてあったか?」
突然出現したのか、それとも単に見落としていたのか。ひとまず俺は扉に近づいて手をかけたが、やはり扉は動かない。ただし正面の扉と違って、その扉には握りこぶしほどの大きさの、何かを嵌める穴が開いている。
「これはいつものやつか? なら……あれ?」
俺は手のひらに歯車を生みだし、それを穴に嵌める。だがいつもならピッタリ嵌まるはずのそれが、今回は上手く嵌まらない。
「おっかしいな、なんで……あれぇ?」
しっかり穴の形を見てから作り直しても、やっぱり俺の歯車は嵌まらない。俺の心のなかなのに、俺の能力で生みだして歯車が嵌まらないって何だよと思っていると、不意に俺の胸の辺りがカッと熱を持つ。何事かと無意識に手を当てると、そこから青く輝く石製の歯車が勝手に生み出された。
「おぉぅ……これか?」
石製の歯車は、扉の穴にピッタリと嵌まった。するとカタンという音と共に歯車が回り出し、閉まっていた扉が勝手に開いた。
「これは入るべき……だよな? えっと、お邪魔します……」
自分の心の中なのだから、遠慮も何もないとはわかっているのだが、それでも俺は若干の後ろめたさと共に扉の向こうへと足を踏み出す。するとそこに広がっていたのも、誰かが暮らしているかのような小部屋だった。
正面は壁、左手側……さっきまでの部屋だと外に続くであろう扉のあった方向には窓があり、右手側の壁には無数の歯車。どうやら前の部屋の歯車と繋がっているらしく、ゆっくりと回っている。窓の外を覗いてみたが、気持ちよく晴れた青空と柔らかな草原が広がっていた。流石に窓を割ってみようとは思えない。
そんな窓側の奥には簡素なベッド。窓辺には小さな花瓶に一輪挿しにされた青い花が揺れている。開けっぱなしのクローゼットには妙にスカート丈の短いメイド服が吊されていて、その奥には折れた剣やへこんだ盾なんかがしまい込まれている。
そして部屋の片隅、やはり小さなテーブルの上には、青く輝く安物のリボンが、まるで宝物のようにそっと置かれていた。
「……………………」
居心地が悪いとかじゃないんだが、何となくその場に留まるのはソワソワしてしまって、俺は急ぎ足で部屋を後にした。だが一度開いた扉が閉じることはなく……つまりは俺の世界がほんの少し広くなったってことだ。
「…………お? おぉぉ?」
と、今度は正面……つまり歯車の壁の右手側に、また別の扉が出現していることに気づいた。近づいてみるとやっぱり開かないし、開いている穴には俺の出した歯車は嵌まらない。
「今度はどうしろってんだ? あー…………?」
腕組みをして考えこんでみると、ふと俺の頭に浮かぶものがあった。それはゴレミの視点で見たローズの魔法。すると俺の手の中に黄金の歯車が出現し、それは扉の穴にピッタリと嵌まった。今回もカコンと音を立て、扉が開く。
「……お、お邪魔します」
若干の後ろめたさを感じつつ、俺は新たに開いた扉をくぐって中に入る。するとそこにあったのもまた、誰かが暮らしていそうな小部屋だった。
小ぶりのベッドにはしかし上等そうなふかふかの布団が敷かれており、精緻な模様が彫り込まれたクローゼットの隣には立派な鏡台がおかれている。背後の壁の中で歯車が回っているのがなかなかにシュールだが、これまでの流れからしてそっち側が歯車なのは世界の仕様なんだろう。
窓の外に広がっている景色は……何だろう? 壁に囲まれた訓練場? 人の気配はないが、地面に突き立った木の棒にボロい鎧が着せてあったり、離れたところに赤や青で描かれた的が置かれていたりするので、ひょっとしたら城の練兵場はこんななのかも知れない。
テーブルの上には無数の手紙と日記のようなものがおかれていて、俺はそれに手を伸ばそうとし……だがやめる。ここは俺の心の中で、ならばここに在るものは全て俺の物であり、ここに書き記されてる内容も、その全てが俺の知っていることであるはずだが……だからって本人の了承を得ずにこれを見るのは違うよな。
「ふぅ……」
やっぱり何だかソワソワしてしまって、俺は部屋を出るなり安堵のため息を漏らす。それから改めて室内を見回してみると、部屋の中央にあるテーブルの上に質の良さそうな白いテーブルクロスがかかっており、小さな花瓶に一輪挿しされた青い花が飾られているのに気づいた。
加えて、テーブルの上のカップが三つに増えている。それを目にした瞬間、俺は思わず笑い出してしまった。
「ふっ、はっはっは…………そうか、これが俺の世界なのか。誰かと繋がった分、俺のちっぽけな世界が広がる。そして……」
振り向いた先では、俺の命そのものである木製の歯車が回っている。ぱっと見では何もかわらないが、そこに込められた力がほんのちょっとだけ増していることが、俺自身のことなのでわかる。
ああ、そうか。俺は無理して自分の『命の歯車』を回す必要なんてなかったんだ。命なんて大層なもんに頼らなくても、俺にはちゃんと力があったんだ。だから……
「……出ろ!」
俺が強く思い描くと、俺の手から青い石の歯車が、そして赤みがかった黄金の歯車が出現する。俺はそれを自分の『命の歯車』の側にそっと嵌め込むと、何事もなく全ての歯車が回り始める。
「今はこれで十分だ」
心の底から満足した笑みを浮かべると、俺はそう言って元の……本来俺があるべき世界へと目覚めていった。





