受け入れる心
「……………………」
音も気配も何もない、黒くて白い世界の狭間。あれから三日、快適だった室内……というか、洞窟? から外に出て、俺は一人、静かに精神を研ぎ澄ませていた。
勿論、追い出されたってわけじゃない。トラウマを克服するまでの間に毎回部屋を汚すのは俺の方が忍びなかったのと、単純に一人になった方が集中出来ると思ったからだ。そもそも訓練が終わったら普通に部屋に戻って、みんなと一緒に飯食ったり寝たりしてるしな。
それに、実のところここは静かではあっても、寒くはない。部屋を出るときにフレデリカが「おまじない」と称して俺の頭上をパタパタ飛び回ると、何だか寒さを感じないのだ。仕組みがわからないのがちょっと不安だし、そんなに長く効果が続くわけでもないのだが、それでも何も気にすることなく無心で自分に向き合うにはおあつらえ向きの環境である。
ということで、俺は今日も雪の大地の上に足を組んで座り込み、背筋をまっすぐ伸ばして大きく息を吸い込む。そうしてもう何度も繰り返した、自分の中への侵入を試みるが……
「……うっ」
こみ上げる吐き気が、その集中を阻害する。だが喉元まで上がってきた熱を無理矢理に飲み下すと、俺はギュッと目を閉じ更に意識を集中させていく。
くそっ、何で今更こんなことができない? 何が原因だ? どうして俺はこんなに苦しんでるんだ?
わからない。原因が、理由がわからない。だから対処法も解決法も、何もかもがわからない。
だがわからないで済ませることはできない。明らかに無理なことなら諦めもつくが、できて当然と思えることができないのは気に入らない。
もっとだ。もっと集中しろ。吐き気なんて意思でねじ伏せろ。今ですらできねーなら、戦闘中になんて一生できねーぞ! 集中しろ、集中しろ! 意識を奥へ、深く、もっと…………っ!
「マスター?」
「っ!?」
不意に声をかけられ、俺は目をあけ顔をあげる。するとそこには切なそうな笑みを浮かべるゴレミの姿があった。
「何だよ。何か用か? 俺は今特訓の真っ最中なんだが」
「あんまり根を詰めてはよくないのデス。それに今のマスターは、凄く辛そうなのデス」
「……仕方ねーだろ。俺だってこんなにできねーとは思わなかったんだよ」
不甲斐なさが苛立ちとなり、言葉の端から零れ出る。ゴレミが俺を純粋に心配してくれているのだとわかっているのに、そんな態度を取ってしまう己の未熟さに反吐が出る。
だがそんな俺の態度を一切気にすることなく、ゴレミがそっと俺の隣に腰を下ろした。そのままコテンと倒した頭を、俺の肩に乗せてくる。
「今のマスターに必要なのは、きっと成功体験なのデス! ということで、気分転換にゴレミの中に入ってみるのはどうデス?」
「それは…………」
言われてみれば、確かに今の俺には、自分の内側に入り込めるイメージはこれっぽっちも湧いてこない。続く失敗が精神的な問題だというのなら、上手くいく感触を確かめるというのは有用そうだ。
「……そう、だな。なら魔力補給も兼ねて歯車を回してみるか」
「ふふ、今のマスターなら、そんなきっかけがなくても、もうこのままでできると思うのデス。マスターに歯車はついてないデスから、このままやってみるといいと思うのデス」
「あー、そうか? ならまあ」
その言葉に俺は目を閉じると、肩に乗ったゴレミの頭の重さに意識を向ける。そうして静かに集中すると、分厚い毛皮のコート越しだというのにゴレミの温もりが感じられる気がして……気づけば俺は、満天に輝く歯車の夜空の下にいた。
「はぁ…………」
その美しさと、そして簡単にここに辿り着けてしまったことに、俺は感嘆と落胆の混じったため息を吐く。何でだ? 何で他人の内側にはこんな簡単に入り込めるのに、自分のなかには全然入れねーんだ?
『それは違うデスよ、マスター』
そんな俺の考えを読んだかのように、ゴレミの声が空から響く。
『他人の心に入り込むのが、簡単なわけがないのデス。もしもそれを簡単だと感じたなら……それはゴレミやローズが、マスターのことをそれだけ深く受け入れているということなのデス。
ウェルカム状態で両手を広げて待っているから、扉から顔を覗かせただけのマスターが、むしろスポッと引っ張り込まれているのデス』
「引っ張り込まれてるって……でもまあ、そうかもなぁ」
ゴレミにしろローズにしろ、俺がその内側に入り込むのは本人に請われてからだ。クリスエイドだけは例外的に無理矢理入り込んだが、それはローズの仲介を得てだったし、何よりちゃんと抵抗された感じのある流れだった。
なら受け入れられているから、入ってくれと望まれているから簡単に入れるというのは、実に納得のいく理論だ。
「ん? ってことは、俺が俺の内側に入れないのは、俺自身が俺を受け入れていないからってことか? でも俺は、自分の意思で入ろうとしてるぜ?」
『望むことと受け入れることは違うのデス。たとえ自宅の扉でも、鍵がかかってるところを無理矢理こじ開けて入ろうとしたら、そりゃ難しいに決まってるのデス。
だからマスターがまずすべきことは、どうして扉に鍵がかかってるのかを知ることなのデス。そのうえで鍵を探して開けてやれば、きっとスルッと入れるようになるのデス』
「そりゃそうなんだろうが……でもそれがわかんねーから苦労してるんだよ」
「なら、ゴレミがお手伝いするのデス!」
「えっ!?」
不意に目の前に光の雨が降ったかと思うと、そこにゴレミの姿が現れた。驚き戸惑う俺に対し、ゴレミが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「へへへ、来ちゃったデス!」
「来ちゃったって……え? ど、どうして? どうやって!?」
今の俺の存在は、あくまでも俺の頭の中にあるイメージ的なもの……のはずだ。そこにゴレミが干渉できる理由がまるっきりわからない。だというのにゴレミは、まるで当然であるかのような態度で言葉を続ける。
「そりゃあ勿論、ゴレミがマスターと心も体も繋がっているからなのデス! 夜はベッドで運動会な、ずっぷりズボズボな繋がり具合なのデス! 目玉のおやじも思わず赤面なのデス!」
「何だよその言い方!? あと目玉が赤面って……?」
「むふふ、嘘は言ってないデスよ? 一緒に寝てるデスし、マスターのガッチガチに硬くなったアレを嵌められてるデス」
「歯車な! お前が金属製の方が魔力の充填効率がいいって言うから、そっちにしたんじゃねーか!」
「木の歯車の柔らかい感じもいいですけど、メタルな歯車のガチッとくる感じも捨てがたいのデス! 優しいだけじゃ物足りない体になってしまったのデス!」
「だから言い方ぁ! ったく、お前はいつもいつも……」
「真面目に答えるなら、ゴレミはマスターの魔力で動いているゴーレムであるとか、マスターの<歯車>スキルとの親和性とか色々理由はあるデスけど、その解説欲しいデス? 専門用語マシマシになるデスよ?」
「ぐっ……ま、まあそれは気が向いたときにでも聞いてやらないこともなくはないが……」
「では『細けぇことはいいんだよ!』の精神でいくデス! ゴレミがここにいるという事実こそが重要なのデス!」
あ、これは聞いても理解できないやつだと俺が説明を放棄すると、ゴレミがそう言って俺の隣にやってきて、腕を絡めてくる。
「ということで、ゴレミとマスターで、二人の心の中を旅していくのデス! それでマスターの憂いの原因を探るのデス!」
「流れ急だなオイ!? それに俺の心の問題なのに、ゴレミの心を旅すんのか?」
「マスターの心には入れないから仕方ないのデス。それにゴレミはずーっとマスターと一緒だったから、大体同じ体験をしてるのデス。
ならばゴレミの心象風景から、マスターの心が刺激されることは十分に考えられるのデス」
「ふむ? それは確かに……」
「ということで、『乙女の裏側全部見せちゃう! 嬉し恥ずかしドキドキゴレミツアー』に出発なのデス!」
「……何か如何わしい雰囲気を感じるのは、俺だけか?」
「ご要望なら、それに合わせて空の色をピンクに変えるデス?」
「絶対やめろよ! それやったら今すぐ目覚めるからな!」
「むぅ、残念なのデス」
俺の精神修行をしていたはずなのに、何故こんなことになっているのか? よくわからないままいつもの流れに身を任せ、俺はゴレミと一緒にその心の中を旅する一歩を踏み出した。





