初めての敗北
「…………そうか、ドワーフを知らんのか」
「えっと……何かすみません」
諦めたような疲れたような、そんな声で言うオヤカタさんに、俺は思わず謝罪の言葉を口にする。するとオヤカタさんはゆっくりと顔……顔だよな? を横に振ってから、毛の下に隠れているであろう口を開いた。
「いや、いい。それだけの時が流れた……そういうことなんだろう。それよりお前達、何故ここに来た?」
「へ? 何故って、そりゃフレデリカに呼ばれたからですけど?」
俺の言葉に、オヤカタさんがちょっとだけ緊張した様子で近くに浮いていたフレデリカの方を見る。
「フレデリカ、何故こいつらをここに呼んだ?」
「何よそれ! オヤカタが連れてこいって言ったんじゃない!」
「オレが連れてこいと言ったのはエルフだ。人間と……ゴーレムか? ではない」
「で、でもでも、ほら、この子! この子はちょっとだけエルフの血が混じってるんだって! それにちゃんとしたエルフはもう何処にもいないって言うし……」
「…………何処にもいない?」
ローズを指差しながらのフレデリカの言葉に、オヤカタさんの動きが止まる。目深に被った兜の下から覗く目は、何処か遠くを見ているようだ。
「そう、か。ドワーフだけではなく、エルフもいないのか…………」
「あの、オヤカタ殿?」
「ん? 何だ?」
「その、オヤカタ殿はどうしてエルフをここに呼んだのじゃ? それは妾では代わりにならぬということじゃろうか?」
「……少し待て」
そう言うと、オヤカタさんが立ち上がって部屋の奥でゴソゴソと何かを探すような動作を始める。その隙間時間で俺は改めて室内を見回してみたのだが……
「スゲーなここ」
「そうデスね。地下なのにちゃんと部屋になってるデス」
室内の広さは、縦横五メートル、天井の高さは三メートルくらいあるだろうか? 壁には土を削ってへこませた棚が幾つもあり、土を固めたにしては妙に艶のある質感をした椅子やテーブルに加え、金床や煙突が天井まで繋がっている石製の炉など、見るからに鍛冶場を連想させる部屋だ。
反面生活感は薄く、ベッドなどの類いはないし、壁に扉のようなものもないので、おそらくここが地下空間の全て。ひょっとして地面に寝ているんだろうかなどと益体もない考えが浮かんだが、あれだけの毛に包まれていればそれでも大丈夫そうな気もする。
あ、ちなみにというか当然というか、ここもやはりダンジョンなので照明がなくても暗くはない。それどころか周囲の石が朝焼けの空のように柔らかなオレンジ色の光を纏っており、むしろ外より明るく感じるくらいだ。地下だからか暖かいしな。
うーん、ダンジョン内にあるってことは、最初からこういう空間があったってことだよな? ならひょっとして、他にもこういう地下の休憩所みたいなのがあるんだろうか?
……意外とありそうな気もするな。じゃねーとこんな雪原の奥なんて、誰も辿り着けねーだろうし。
「お前達、フレデリカからどの程度事情を聞いた?」
と、そんな事を考えていると、こちらに背を向けたままのオヤカタさんが問いかけてきた。
「大体は聞いたと思いますけど……突然このダンジョンで目覚めたフレデリカとオヤカタさんが出会って、オヤカタさんがフレデリカを仲間のところに帰すのにエルフの協力が必要って話であってますか?」
「ああ、それでいい」
俺の確認に言葉で頷くと、オヤカタさんがこっちに向き直る。その手に抱えられているのは……扉? いや、窓か?
「むぅ? 石でできた窓なのじゃ?」
「……これは門だ。これを開けば、フレデリカの故郷に繋がっている」
「え、そうなの!? わーい!」
オヤカタさんの言葉に、フレデリカがビュンと飛んで石の門に手をかける。だがどれだけ力を込めても門はびくともしない。
「ふぎぎぎぎ……ちょっとオヤカタ! これ全然開かないわよ!?」
「当然だ。これを開くには莫大な魔力が必要になる。だからお前にエルフを連れてこいと言ったのだ。オレにはそんな魔力、逆立ちしたって絞り出せないからな」
「ああ、なるほど。でもそういうことなら……」
「妾が力になれると思うのじゃ!」
オヤカタさんがエルフを求めた理由がわかった。そしてそれが単に大量の魔力が必要ということであれば、俺達に……というか、ローズになら手伝えることがある。
「……お前が魔力を注ぐのか?」
「そうなのじゃ! 妾はこれでも普通の人間の何十倍も魔力を持っておるのじゃ! 細かく調整せよなどと言われると難しいのじゃが、単に魔力を込めるだけならどんとこいなのじゃ!」
「……なら、やってみるがいい」
「うむ!」
オヤカタさんが差し出した石の門に手を当て、ローズがむむむっと魔力を込め始める。そうして一分経ち、三分経ち……五分ほど経ったところで、汗をびっしょりかいたローズが苦しそうにその場に崩れ落ちた。
「うぅぅ……」
「ローズ!? おま、どうしたんだ!?」
「わからぬのじゃ。何か凄く気持ち悪いのじゃ…………」
「ほら、ちょっとここに横になるデス。ゴレミが膝枕をしてあげるデス」
「すまぬのじゃ……うぅ、痛いのじゃ……」
「あー、ほら、間にこれ挟め」
俺が着ていたコートを脱いで渡すと、それを軽く折ってゴレミが膝に乗せる。その上に頭を乗せることで漸くローズが体を落ち着けたが、顔色は未だよくないし、呼吸も荒い。
「ふぅ、ふぅ…………」
「オヤカタさん、これは一体どういうことです? こうなるってわかってたんですか?」
じろりと目を向ける俺に、オヤカタさんが首を横に振る。
「おそらくは過剰に魔力を送り込み過ぎたのだろう。が、普通はそんなになる前に自分で止めるはずだ。逆に問うが、何故己の限界を顧みずに魔力を送り続けたのだ?」
「……ローズ?」
「今まで妾の魔力が尽きたことなどなかったのじゃ……じゃから限界とかわからぬのじゃ……」
「あー…………」
その言葉に、一転して俺の表情が歪む。なるほど、今まで酔っ払ったことのない奴が調子に乗って強い酒を飲みまくったら、知らぬ間に限界を超えていきなりぶっ倒れた……みたいな状態だったわけか。ならオヤカタさんに悪いところはねーわな。
「えっと、すみません」
「いや、いい。仲間が……そんな子供が倒れたら、心配して当然だ」
「それで、門の魔力は一杯になったデス?」
「む、そうだな……今ので一割くらいだ」
「い、一割!?」
オヤカタさんの答えに、俺は驚きで声をあげる。そしてその感情は、決して俺だけのものではない。
「え、ローズが全力を振り絞って一割しか溜まってないデス?」
「ぬぁぁ、情けないのじゃ……あんな大口を叩いておいてそれとは、情けないにも程があるのじゃ……うぐぅ」
「あーほら、無理すんなって」
「そうだ、己を卑下することはない。むしろ一度で一割も魔力を溜められたことに驚きだ」
「そうよ! その調子であと九回、頑張って!」
「ぬぅ!? こ、これをあと九回なのじゃ……?」
「ていっ!」
困り果てた顔をするローズをそのままに、俺は悪びれる様子もなくそう言ったフレデリカを指でつつく。本当はデコピンにしようかと思ったんだが、このサイズでデコピンだと洒落にならないダメージになりそうだったので自重した形だ。
「いたっ!? ちょっとアンタ、何すんのよ!?」
「お前がアホな事を言うからだ。頼んでる立場のくせに、うちのローズに無茶を言うんじゃねえ! あとローズも、毎回こんな全力を振り絞らなくたっていいだろ? もっとこう、小刻みっていうか……それでもいけますよね?」
「込めた魔力は時間経過で失われていくが……そうだな。日に一度、七、八割くらいの魔力を込めれば、一五日ほどで門を開けるようになるだろう。その程度なら疲労するくらいで済むはずだ」
「おぉぅ、割と減衰するな……」
「一日で一パーセントくらい減るデス? 減衰率としてはそこまででもないデスけど、失われる魔力の量で考えると、普通の人間ならそれこそ何十人もがかかりきりにならないと補充できなさそうなのデス」
「でも、妾ならできるのじゃ! 名誉を挽回するのじゃー!」
まだ青い顔をしているのに、ローズが拳を突き上げて宣言する。これに関しては俺やゴレミは見ていることしかできないが、本人がやる気を出しているのなら応援しないという選択肢はない。
「ははは、ローズがやるっていうなら、俺達も協力するよ。でもじゃあ、どうすっかな。減衰率を考えるとあんまり日を開けるのは得策じゃねーけど、かといって毎日こんなところまでは通えねーぞ?」
ここに辿り着くまでの道のりは、決して容易いものではなかった。フレデリカに出会う前までの道中もあるので、普通に片道三時間くらいはかかる。魔力を消費して戦えないローズを背負いながらその距離を連日移動するのは流石に現実的じゃない。
「…………なら、泊まっていけばいい。どのみちその娘はしばらく動かせないだろうしな」
「え、いいんですか!? それは凄くありがたいですけど、そうすると食料が……」
「なら、ゴレミが街に買い出しに行ってくるデス! ゴレミなら魔物の群れを突っ切れるのでマスター達と一緒の時ほど時間もかからないデスし、途中でソエラにも一言伝えておくデス」
「おお、そりゃいいな。頼めるか?」
「フフーン! ゴレミにお任せなのデス! じゃあ早速あの穴を登って……」
「……街に行くならそこを登れ。普段は棚として使っているが、足をかけて登れば地上に出る梯子の代わりになる。お前達が入ってきたのは通気口だ」
「あー、やっぱりあそこ通路じゃねーのか」
落ちながら入ることはできても、あんな穴を逆に登るのは困難を極める。どうするのかと思ったら、ちゃんとした入り口があったらしい。
「おいフレデリカ、何でそっちに誘導しなかったんだよ!」
「えぇ? だってあっちは雪に埋まってるのよ? 雪を掘って蓋を開けるより、穴に入った方が早いじゃない!」
「そりゃお前は飛べるからそうだろうけど……ったく。じゃ、ゴレミ、頼んだぞ」
「行ってくるデスー!」
俺は地図とコンパスを渡し、壁を登るゴレミを見送る。こうして俺達の初めてのダンジョン生活が幕を開けることとなった。





