受け入れられない感覚
「……よし、じゃあ次の移動先を決めるぞ」
しばし酷い精神的苦痛を味わわされ、孤独など遙か地平の彼方に飛び去った後。漸く場を収めることに成功した俺は、改めてそう切り出しつつ腰の鞄から地図を取り出した。
と言っても、現時点ではそれは地図と呼べるようなものではなく、ただの真っ白な紙だ。俺はそれを両手で持って篝火の火に当てると、端っこの方にじわりと小さな点が一つ生まれ、その下に篝火に掛かっているプレートと同じく「一番」という文字が浮き上がる。
「おおー、こういう感じなのか」
「何とも不思議なのじゃ」
「あぶり出しとは浪漫があるデス!」
その演出に、俺達は軽く歓声をあげる。話に聞いてはいたが、実際にやってみるとこれはなかなかいいものだ。
「んじゃ、ここが現在地だな。となると次に目指せるのは……」
言って、俺は夜の闇に揺らめく光に目を向ける。それは右と左の両方にあり、つまり道が選べるということだ。
「いきなり分かれ道なのデス。人生は選択の連続なのデス」
「右と左ではどう違うのじゃ?」
「この段階だと、どっちでも大差ないはずだ。もっと奥に進むなら違ってくるんだろうが……その辺は進んでみねーと何とも言えねーな」
「それはまあ、そうじゃな」
この<永久の雪原>では、こうして篝火を辿りながら移動するのが基本になる。だがその分岐はかなり多く、また篝火同士の距離の問題から熟練者が通れるルートと初心者が通るルートでは明確な違いが出る。
それ自体はどんなダンジョンでも似たようなものだが、問題はここが雪原……つまりわかりやすい壁だのなんだので仕切られてはいないということだ。もし目指す篝火を間違えて長距離高難度の道を選んでしまったならば、その探索者の末路は悲惨なものになることだろう。
「とは言え、慎重に行こうぜ。この先の事も考えるなら、ちゃんと試しておきてーしな」
なので俺は、地図と一緒に買ったこのダンジョン専用のコンパスを取り出す。それを地図上の現在位置である黒点の上に置き、そのまま遠くに見える篝火の方に地図ごと動かすと、白い地図の上にじわりと黒い線が浮き出してきた。
これは篝火同士のおおよその難易度を示している。長さはそのまま距離であり、線が太いと強い魔物が出るとか、激しく波打っていると大量の魔物が出るとか、経路事の特徴が現れるのだ。
そしてそれによると、ここから右側の篝火までは短く細いまっすぐな線。つまり大した距離はなく、強い魔物も出ないということになる。入り口すぐなのだから当然と言えば当然だが、それがこうして確認できるというのは実に助かる。
「ふむ、右側はほぼ安全な感じだな。左側は……」
「こっちも同じような線なのじゃ」
「つまりどっちを選んでも同じってことデスね」
「まあダンジョン入ったばっかりだしな。で、どっちにする?」
「同じくらいの難易度で、どちらの情報もないのなら、妾はどっちでもいいのじゃ」
「ゴレミもいいデス。で、多分マスターもどっちでもいいと思うので、それなら左側がいいデス。せっかくだから、ゴレミは左側の道を選ぶデス!」
「何がせっかくなんだ……? んじゃ、左の方に行ってみるか」
何だかよくわからんが、ゴレミがそう言うので俺達の進路は左側の篝火を目指すことに決まった。静かな雪原に俺達が雪を踏みしめる音だけが規則的に響くなか、警戒しながら進んでいくと……
ヒュッ!
「ほわっ!? な、何デス!?」
「敵襲! 警戒しろ!」
雪の中から突然飛び出してきた何かに、俺は声をあげて剣を抜く。だがどれだけ目をこらしても、敵の姿が見えない。
「……いない? 逃げた? 奇襲特化の魔物か?」
「むむむむむ……真っ暗で真っ白で、何も見えぬのじゃ」
「あっ!? マスター、ローズ、あそこにいたデス!」
俺とローズがしかめっ面をするなか、ゴレミが声をあげて雪原を指差す。だがそこを注視しても、やはり何も……いや?
「何か白いのが動いてる、か?」
「多分ウサギなのじゃ! チラッと赤いのが見えたのじゃ!」
「ウサギ? キラーラビットか!」
敵の正体に気づいた瞬間、俺達が見ていたのとはまったく違う場所から小さな白い固まりが跳びかかってくる。完全に虚を突かれた俺に対し、キラーラビットは俺の首筋を額に生えた小さな角で突き刺そうとしてきたが……
もふっ
「おっと残念。そりゃ無理だ」
俺の襟元は、今もふもふのコートのファーによって守られている。その毛に絡まれて動きの止まったキラーラビットを素早く掴むと、俺はそのまま地面にたたき付けた。それから剣で突こうとしたのだが、雪が衝撃を吸収してしまったのか、素早く体勢を立て直してしまったキラーラビットがその場を飛び退いて逃げる。
「あっ、くそ! 失敗した……ローズ、首回りに気をつけろ! お前だとやられるぞ!」
「わかったのじゃ!」
キラーラビットは角の生えたウサギの魔物で、通常なら草葉の陰などから突然飛び出してきて、その角で突き刺してくる。所詮はウサギなので大した威力はなく、俺の防具を貫いたり、ましてやゴレミを傷つけるなんてのはどうやっても無理だろうが、ドレスしか身につけていないローズであれば話は別。特に首元は何も守りがないので、そこに直撃を食らえば致命傷になることもあり得る
ただまあ、ネタが割れてしまえば脅威でないというのも事実だ。白い体は雪に紛れて非常に見つけづらいが、奇襲を狙ってジッとしていた状況ならともかく、こうして走り回ってくれるならむしろ痕跡がわかりやすい。
そして居場所がわかるなら、こんなの俺達の敵ではない。跳びかかってくるのに合わせて俺が剣を振るい、ゴレミが殴り、ローズがフレアスクリーンを展開することで、白く小さな襲撃者達はあっさりと全滅した。
「ふぅ、終わりか。何だよ、新技を試す機会すらなかったぜ」
「言ってもウサギじゃからな。流石に今更この程度の相手には負けぬのじゃ」
「でも、ローズは注意した方がいいかも知れないデス。最初の一撃がローズにいってたら、危なかったかも知れないデス」
「むぅ、それは……」
ゴレミの指摘に、ローズが難しい顔をする。実際あれがローズだった場合、首を刺されれば最悪死んでいたという可能性は否定しきれない。
「やはり妾ももう少し防具を身につけた方がよいのじゃろうか?」
「そうだな。前衛をやることもある俺ほどじゃなくても、せめて首回りくらいは守った方がいいかもな」
「ならちょっとしたマフラーとかを買うのはどうデス? キラーラビットくらいならそれで十分なのデス」
「ま、マフラーなのじゃ…………」
「? 何だよローズ、何か問題があるのか?」
「うむ、実はな……」
問いかける俺に、ローズが真剣な顔で言葉を続ける。
「妾はマフラーのあの、チクチクした感じが苦手なのじゃ! 首回りにあれがあると、もう痒くて仕方がなくなるのじゃ!」
「お、おぅ。そうか…………」
「あ、クルトお主、今猛烈にどうでもいいことを言われたと思ったのじゃ? 違うのじゃ! 妾だってくだらないと思うのじゃが、こればかりはどうしようもないのじゃ!」
「わかった。わかったって!」
「いーや、わかっておらぬのじゃ! もしクルトの着ているコートが、何かこう……ぬるぬるネチャネチャしておったら、嫌じゃろう? そのくらい駄目なのじゃ! あれはもう暴力なのじゃー!」
ローズの魂の叫びが、ダンジョン内に木霊する。その後俺達はどうにかしてローズを宥めると、そのまま逃げるように<永久の雪原>を後にするのだった。





