閑話:帝城での一幕
今回は三人称です。
オーバード帝国の城内にある、小さな……といっても城基準ではあるが……一室。そこでは帝国皇太子であるフラムベルト・トリアス・オーバードと、帝国内における探索者ギルドの総轄責任者であるワグナスが、テーブルに向かい合って座っていた。
「忙しいところをすまないね」
「いえいえ、皇太子殿下のお呼びとあらば、いついかなる時でも最優先で参上するのが筋というものでしょう」
優雅にカップを傾けながら言うフラムベルトに、登城ということで久しぶりに綺麗に髭を剃ったワグナスが、その厳つい顔に笑顔を浮かべて答える。五〇歳を迎えたその体は長年のデスクワークでややたるんできているが、それもまた貫禄と感じられる様は、彼が元々一流の探索者であったからだろう。
「それに今は城内も随分と騒がしいようでしたからな。であれば尚更急いで来なければならないでしょう?」
「ははは、心配には及ばないよ。そちらの問題はもう片付いたからね」
軽い牽制の言葉を投げるワグナスに、今度はフラムベルトが平然と答える。そしてその言葉に、ワグナスは驚かない。既に騒ぎが収まっていることまで、ワグナスはきっちりと掴んでいたからだ。でなければ如何に皇太子の呼び出しとはいえ、単身で城にやってきたりはしなかった。
無論、フラムベルトもそんなことはわかっている。だからこそ反乱が治まったことを知らしめるために、あえて自分が出向くのではなく城に招いたのだ。そうしてたった一言の短いやりとりで互いの認識を確認し終えると、フラムベルトは改めて本題を切り出した。
「先日の転移事故……あれは大変だったね。被害が出なかったのが幸いだけれども」
「その節では、殿下や陛下にも大変お世話になりました。我等の不手際でご迷惑をおかけしたことを、平に謝罪致します」
<深淵の森>のあるヘーゼルの町で起きた、転移門の不具合による転移事故……それにより本来はノースフィールドの町に行くはずだった人や物は、全て帝城の敷地内に転移したという。
城の内部に人や物が突然現れたとなれば、全員の身柄を拘束して徹底的に調べるのが当然だ。だがオーバード帝国は出現した人と物の全てを即日で解放しており、何ならテクタスの町への輸送に協力さえしてくれた。
常識では考えられないほどの温情。ならばこそ表面上は頭を下げてみせ、ワグナスは言葉を続ける。
「それで、そちらの調査報告なのですが……ヘーゼル支部の転移門に、人為的に干渉された形跡が発見されました」
「ほう? つまりはあの事故は不慮のそれではなく、何者かが狙って引き起こした、と?」
「はい。そちらの犯人については、目下捜索中となります」
(チッ、白々しい……)
答えつつ、ワグナスは内心で舌打ちをする。転移門はその重要性故に徹底的な管理がなされており、そこに干渉するのは相当な権力者……それこそ大国の王侯貴族でなければ不可能だ。
加えて転移先がまさかの城の内部で、しかも身元の確認すらなく全員が即時解放。となればオーバードの貴族が関係していないと考える方が難しい。城という場所を考えれば、それが皇族であってもおかしくないだろう。
勿論その目的まではわからないし、証拠などどれだけ探しても出てこない。実行犯だけはいずれ特定できるだろうが、顔も名前もわからぬ肉の塊に何の価値もない。だからこそ歯噛みするワグナスに、しかしフラムベルトは素知らぬ顔で話を続ける。
「そうか、それは大変だね……ならば私の方からも、支援金を出させてもらおう。ロッテ」
「こちらに」
フラムベルトの言葉に、背後に控えていたメイドの女性がトレイに乗せた革袋をワグナスの前に置く。
「遠慮はいらない、確認してくれたまえ」
「畏まりました。では失礼して……っ」
許可を得て袋を手にしたワグナスは、ずっしりした感触にも特に驚きはしなかった。だが袋の口を開いてなかを見た時、そこにあった硬貨の色が金ではなく白であったことで、その太い眉がピクッと動く。白金貨は一枚で一〇〇万クレド……それがこの重さとなると、中身の総額が億を下ることはないだろう。
「これほどの大金を……宜しいのですか?」
「構わないとも。持ち運びを考えれば虹貨の方がいいんだろうけど、あれは数がないからね。それに探索者ギルドであれば実際に使える金の方がいいだろうから白金貨にしたんだ」
「ご配慮、痛み入ります」
虹貨は資産価値こそあるが、一枚で一億クレドは額面が大きすぎて使い勝手が悪すぎる。人や物を動かすのに日常的に金を消費している探索者ギルドとしては、白金貨の方がありがたいのは事実だ。
「では、これで今回の事件の損害補償は大丈夫そうかな? 我が帝国は、今後とも探索者ギルドとはいい関係を続けていきたいと思っているのだけれど……」
「はい、十分でございます」
即ち、これは口止め料。ワグナスは正確にそれを理解し、その上で頷く。物資と人員のやりとりの遅れに加え、転移門の修復に掛かった費用も、これだけあれば補填して余りある。だが……
「ですが、このような事故はこれっきりにして欲しいところですな。我々にも組織としての体裁というのもがありますので」
「違いない。きっと大丈夫だと、私も願っておこう」
探索者ギルドは複数の国家に跨がる独立組織であり、忖度はしても従属はしない。なので「次はない」と念を押すワグナスに苦笑してから、フラムベルトは改めて次の話を切り出した。
「さて、それじゃその件はもういいとして……実は最近、注目している探索者パーティがあってね。もしよかったら、そちらでもちょっと気にかけてもらえないかな?」
「気になるパーティ、ですか? ご友人のご子息とかでしょうか?」
大商人や貴族など、金と権力のある存在が、自分の身内や気に入った探索者を後援するというのはよくある話だ。露骨な贔屓はできないが、受付担当に人当たりのいい者をあてがうとか、得られたダンジョンの情報を優先的に流すくらいのことは何の問題もない。
故にそう問い返すワグナスに、しかしフラムベルトは首を横に振る。
「いや、そういうわけじゃない。確かに私の妹が所属しているパーティだが、優遇して欲しいとかじゃないんだ。勿論あまりに無謀なことをしようとしているとかなら止めて欲しいけれど、まっとうな探索者として活動している分には、特に何もしなくていい。
ただ他の貴族からちょっかいをかけられそうなら、私の名前を出して軽く警告してくれれば十分だよ。色々な国を飛び回る子達だから、ちょっと心配でね」
「妹君ですか……わかりました。では通達を出しておきます」
ワグナスの頭に、すぐにローザリアのことが思い浮かぶ。たとえ皇族だろうと何も言われなければ何もしないが、頼まれれば話は別。フラムベルトの名を出していいということなら、木っ端貴族を牽制するなど簡単なので、断るような内容ではない。
強いて言うなら今まで放置だったのに、突然何故? という疑問は浮かんだが、ここでそれを問うほどワグナスは未熟ではなかったし、後日ローザリアが正式な皇位継承権を得たと聞いた時には「そういうことか」と納得したことで、ワグナスのなかの疑問はあっさりと消えてなくなっていた。
「それじゃ、話は以上だ。もう下がっていいよ」
「畏まりました。では失礼致します」
フラムベルトの言葉に、ワグナスは席を立って部屋を出ようとする。だがメイドが扉を開き、そこから出ようとしたまさにその時、不意にワグナスの背後から声が届く。
「…………弟がすまなかった」
それはあり得ない言葉。フラムベルトが謝罪すれば、今回の事故に皇族が関係していることを公に認めることになってしまう。それは巨大なスキャンダルとなって、各方面に様々な影響を……主によくない方向で……及ぼすことだろう。
だからこそ、口止めの金を渡して終わりとした。それがわかっているからこそ、ワグナスも内心の怒りは飲み込み、それで納得したのだ。
だが、フラムベルトは謝りたかった。大国の皇太子としてではなく、弟を歪めてしまった情けない兄として、どうしても謝罪したかった。
勿論そんな内心を、ワグナスが知る由はない。だが海千山千のギルドマスターとして多くの人の心に触れてきたワグナスには、その声に含まれる感情が本物であることがわかる。
「…………失礼致します」
故にワグナスは、本来ならば扉から出たら振り返って一礼するところを、それだけ言ってそのまま立ち去った。
自分は何も聞いていない。振り返らなければ、そこに頭を下げている皇太子などいるはずがない。全てをなかったことにして、ワグナスは城を立ち去った。そうしてギルドへの帰り道に、一人小さく愚痴をこぼす。
「ふぅ。自由に謝ることもできねぇなんて、偉いのも大変だよなぁ」
自分も十分に偉いのだが、それでも中間管理職でしかない。「上」の苦労に同情しつつ、「何で使われる方の俺が同情なんてしてんだよ!」と勝手に悪態をついてから、ワグナスはいつもの仕事へと戻っていくのだった。





