本当の望み
「ふふふ、おはようとでも言うべきなのじゃ?」
「はは、そうだな。俺を起こしたってことは……」
「うむ。あれを見るのじゃ!」
ローズにそう言われて、俺はスカートのなかから出て立ち上がり、振り返ろうとする。だが思った以上に体の力が入らずよろけてしまうと、ほんのり温かい石の手がすかさず俺を支えてくれた。
「おっと、危ないデス。マスター、大丈夫デス?」
「ああ、悪いなゴレミ……って、ゴレミの方こそ大丈夫だったのか? 何かぶっ倒れてたろ?」
「一つ使っただけでもクラクラしたデスから、あの数を使われたらシャットアウトはどうしても防げなかったのデス。でもそうなるとわかっていたことデスから、特に問題はないのデス」
「そっか、ならいいんだが……」
平然とそう告げてくるゴレミに、俺は一つ安心を得てから改めてクリスエイドの方を見る。するとそこには元の人間の姿に戻ったクリスエイドが床に横たえられていた。
流石に服は戻らなかったのか全裸だが、腰の辺りには布がかけられ、見たくないモノが見えないように配慮されている。うむ、素晴らしい仕事だ。
「うわ、マジであの状態から戻ったのか……」
「そうなのじゃ。少し前からダンジョンの魔物が死んだ時のように少しずつ体の一部が消滅していって、ついさっき最後の一つが消えて、完全に元に戻ったのじゃ」
「へー、そうなのか。ならまあ、頑張った甲斐があったってもんだ」
精神世界での苦行を思い出し、俺は軽く笑いながら言う。するとそんな俺に、フラム様が近づいてきて声をかけてきた。
「本当に素晴らしい仕事だよ、クルト君。まさかここまでのことができるとはね」
「フラム様! いやいや、勘弁してくださいよ。今回はほら、俺達に都合のいい条件ばっかりが奇跡的に集まったからできたってだけの話なんで、毎回こんなことができると思われたら困っちゃいますから」
何処か計算されたような笑顔を浮かべるフラム様に、しかし俺は苦笑で返す。実際こんなことができるなんて俺自身も思っていなかったし、もう一回やれと言われてできるもんでもない。
だがそんな俺の言葉に、フラム様は首を横に振って話を続ける。
「そう謙遜するものじゃない。あの状態から元の体に戻すなんて、普通なら奇跡が集まったって無理だと思うよ。本当にありがとう……これで弟を、人として死なせてやることができる」
「っ!? それは…………」
フラム様の言葉に、俺は一瞬息を飲む。だがそこから「何とかなりませんか?」という言葉は続かない。ただローズの方を振り返ると、ローズもまた力なく頭を横に振る。
「よいのじゃ。反乱……しかも未遂ではなく実行した後となっては、死罪以外あり得ないことなど妾もわかっておるのじゃ。感情のままに殺されるのではなく、法の下に処罰されるのであれば、それに異を唱える方がおかしいのじゃ」
「だからといって、クルト君のしてくれたことは決して無駄じゃない。どれほどの重罪であろうとも、人の尊厳を保ったまま死ぬことと、化け物として処分されることは天と地ほども違う。それが生き残った者への慰めでしかないとしても、ね」
「そう、ですか…………」
そんな二人の言葉に、俺はそれ以上何も言えない。綺麗に死なせるために助けたなんて言えば実に不毛な行為だったと思わなくもないが、「綺麗に死ぬ」の部分にこそ救いがあるのだと言われれば、部外者の俺がそれ以上何かを言うことでもねーしな。
「うっ…………」
「っ!? クリスエイド、意識が!?」
「対処致します」
と、そこでクリスエイドの口から小さなうめき声が聞こえ、側にいたロッテさんがクリスエイドの頭を優しく膝に抱きかかえる。だがその手には小さな刃物が握られており、もしクリスエイドが不穏な動きをすれば、即座に喉を掻ききるのだろうということが見て取れる。
「こ、こは……? わた、しは一体…………?」
「やあクリスエイド。気分はどうだい?」
「あに、うえ……? 何が……っ!?」
ぼんやりとフラム様を見ていたクリスエイドが、自分の体の変化に気づいて息を飲む。枯れ木のように細くなってしまった人間の腕を持ち上げると、大きく目を見開いた。
「何故、私の体が……!? 一体何を……したのですか…………?」
「私じゃない。ローザリアとクルト君さ。あの二人がお前を元に戻したんだ」
「……………………」
無言のまま、クリスエイドがこっちを見てくる。驚き、怒り、あるいは悲しみ。様々な感情が映り込むその目でジッと俺達を見つめると、やがてクリスエイドは小さく喉を鳴らし始めた。
「クッ、ハッハッハ……そう、ですか。結局私が……私だけが『特別』ではなかったと…………ただ、それだけのことだったのですか…………」
「クリスエイド、何故あんなことをした? あそこに集められた因子は確かに優れたものばかりだろうが、それを無理矢理に取り込んだところで逆転の一手になどならないことくらい、お前がわからなかったはずがない。なのに何故?」
自虐的な笑い声をあげるクリスエイドに、フラム様が問いかける。するとクリスエイドは馬鹿にしたような……というよりは、何かを諦めたような顔でその問いに答えた。
「それは先ほどお答えしたと思いますが? 私はただ……『完全な人』になりたかった……『完全な人』にならなければ……私という人間に、存在する価値はなかったのです……」
そう言うと、クリスエイドが眩しそうに目を細める。
「兄上、貴方はいつだって輝いていた。誰もが正しいと認める道を、誰よりも堂々とまっすぐに歩いていた。その理想的な生き方は、私の憧れでもあった。
でも、だからこそ同じ道は歩けなかった。だってそうでしょう? 自分より優れた人を真似して追いかけ続けても、その背には一生追いつけないのですから。
故に私は、道を外れるしかなかった。偉大な兄上の影から出て前に進むには、この道しかなかったのですよ。故に後悔などしていません。この結末は少々意外でしたが……それでも私は、私にできる全ての力を振り絞った。
そして最後に思い知らされました。真に選ばれた人間の前には、皇族に生まれただけの凡人ではどうやっても太刀打ちできないのだと。ははは、私は……私は化け物として、特別な存在として死ぬことすら許されないですか……」
「クリスエイド……それがお前の望みだったのか? 皇帝を目指したのも、最後にあんな化け物に成り果てたのも、全てはその『特別な存在』となるためだったのか……?」
クリスエイドの独白に、フラム様が再度問いかける。するとクリスエイドは小さく笑って言葉を続ける。
「ふふふ、そうですね……私は確かに『特別』になりたかった。そんな子供のような承認欲求でこれほどの事件を起こしたと聞かされれば、兄上もさぞかし呆れていることでしょう」
「それは…………」
「ですが、仕方ないのです。この魂に焼き付いた欲求は、幼きあの日から絶えることなく延々と『特別』を求めているのです。
ああ、特別に……特別になりたかった。たとえどんな形であっても、兄上と並ぶ『特別な存在』になって…………」
クリスエイドの手が、不意に宙に伸びる。ゆっくり曲がった指先は、しかし何も掴めない。
「兄上に認めて欲しかった…………本当にただ、それだけが…………私の望みだったのです……………………」
「クリスエイド!」
伸ばした手がパタリと床に落ちるのと同時に、叫んだフラム様がクリスエイドに駆け寄ったが、もうクリスエイドは何も答えない。その頭を抱えたロッテさんが静かに首を横に振り、そっとその頭を床に下ろす。
こうしてオーバード帝国に混乱をもたらした反逆者にして大罪人、第三皇子クリスエイド・スィーラスの人生は、静かにその幕を下ろすのだった。





