できる限りの限界点
「おいおい何だよ、急にわかりやすいじゃねーか! そうだよ、こういうのが欲しかったんだよ!」
目の前に広がるのは、明らかなトラブルの元。「我々が原因です!」と力強く主張してくるその光景に、俺は口元をニヤけさせる。
「よーしよしよし、ならこれを片付けりゃいいんだな? やってやろうじゃねーか!」
不安な気持ちで見知らぬ世界を彷徨うのと、何をすればいいのかが明確になったのとではやる気の入り方が違う。俺は気合いのかけ声と共に、荒れた緑の歯車の破片を片付け始めたのだが……
「あっ!? あー、またかよ」
ボロボロと崩れた歯車の破片を前に、俺は思わず愚痴をこぼす。木が腐ったような質感の緑の歯車は見た目通りに脆く、ちょっと力を入れるとグズグズと崩れ落ちてしまう。
そして問題なのは、その破片が歯車の隙間に詰まってしまうことだ。今も回り続けている歯車の隙間から破片を抜き取るのは指が挟まりそうで怖いのだが、かといって無理矢理動きを止めることもできず、作業内容自体は地味だというのに、ただひたすらに手間がかかる。
だが、それでも俺はやり遂げた。大きな破片をどかし、小さな破片を拾い上げ、そのほとんどを歯車の川から少し離れたところに片付け終えた。流石に痕跡も残らず綺麗に……とまではいってないが、歯車は滞りなく回っているし、このくらいやれば十分だろう。
「ふーっ、やっと終わったぜ。てか、終わってみればそれほど苦労したって感じでもねーな?」
精神体は汗などかかないのだが、気分的に額の汗を拭うような動作をしつつ、俺は一仕事終えた満足感に浸る。さて、後はローズが俺を起こすのを待つだけだが…………うーん?
「あれ? 呼ばれねーな?」
現実のクリスエイドになにがしかの変化が起これば、ローズが俺をひっぱたいて起こすはずだ。だがそこそこの時間を待っても、俺がローズに起こされる気配がない。
勿論俺自身の意思で目覚めることもできるが、もしそうしてクリスエイドに変化がなかった場合、同じこの場所に戻ってこられるかは未知数。であればローズに起こされるのを待つべきなのだが、どれだけ待ってもやはり俺の意識が現実に引き戻されることはなかった。
「おっかしーな。何でだ? 何が…………ん?」
乾いた大地に座り込み、腕組みをして考えこむ俺の視界に、ふと片付けた緑の歯車の残骸が映り込む。いや、いやいや。でもまさか、ひょっとして?
「……これクリスエイドと緑の騎士を繋ぐ術式の痕跡で、クリスエイドが肉の塊になった原因とは違うんじゃね?」
気づいた。気づいてしまった。だって、あからさまに緑なのだ。朽ち果てた無数の緑の歯車とか、気づいてしまえばあの騎士の事だとしか思えない。
「てことは何か? 俺は全然見当違いの場所で必死に作業してたってことか!? えぇ、マジかよ……」
さっきまでの苦労を思い出し……そしてそれが全て無駄だったのではという事実に気づかされ、俺は思いきりげんなりした声を漏らす。せめてこれがローズやゴレミ、あるいはフラム様とかロッテさんみたいな味方であれば「場所は違ったけど、綺麗になったんだからいいよな」と思えるところなのだが、相手がクリスエイドではそんな気にはとてもなれない。
「はーっ……そうか、そうだよな。よく考えたらクリスエイドの奴はスゲー動き回ってバリバリ魔法とか使ってたし、なら探すのは歯車の動きが悪いところじゃなく、むしろ異常に高速回転してるとか、そういうところだよな。
いやでも、今は気絶してるんだろうから、やっぱり止まってるのか? あーもうわからん! マジでどうすりゃいいんだ?」
頭をガリガリ掻きながら立ち上がり、俺は改めて周囲を見回す。数え切れないほどの歯車の川は先端も最後尾も遙か地平まで続いており、ここからちょっと見た程度では何もわからないに等しい。
だが立ち止まっていては何も変わらない。大本か終端か、あるいは横方向に移動してそこに流れる歯車の動きを一本ずつ調べていくという手もあるが……さて、どうする?
「行くか戻るか……むむむ」
自分の体に後付けで何かをくっつけたっていうなら、終端の方か? それとももっと根本的な部分から融合してるから先端? あるいはそのどちらでもなく、その中間にもりっと歯車が増えてたりするのか?
それっぽい理屈は幾らでも思いつくが、そうだという確証はこれっぽっちも浮かばない。そうして俺が悩んでいると、不意に靴にくっついていた赤い歯車がはずれ、コロコロと転がり始めた。
「おっと、危ない……そうだな、そっちに行ってみるか」
どうやっても根拠が得られないなら、必要なのはきっかけだ。当たりもはずれも結果論でしか語れないなら、歯車がそっちに転がったからって程度の理由で、俺が動き出すには十分。俺は赤い歯車を靴にくっつけ直すと、改めて歯車の川の上流の方へと歩いて行った。
それは長い、永い道のり。進めば進むほど空気が薄くなっていくかのように息苦しさが増し、歯車のおかげで緩和されていた体の重さが強くなっていく。
だがそれでも、俺は進む。大地が石ころの海となり、白く霞んだ空が宵闇よりも蒼く沈む世界を、俺は泳ぐようにもがきながら一心不乱に進んでいく。
そうして遂に、大本に辿り着く。全ての川に繋がっている、圧倒的に巨大な歯車。無数のヒビが入ったそれに、赤、白、黄色と様々な色の歯車が噛み合っている。
いや、正確には噛み合ってはいない。大本たる巨大な歯車が無理矢理回転を続けることで、他の場違いな色違いの歯車は歯が折れたり一部が砕けたりしながらも強引に回されているのだ。
そしてそのツケは、当然大本たる青い歯車にも影響を与えている。色違いの歯車を強引に回す度に青い歯車に入ったヒビも少しずつ大きく深くなっていっており、無理をしているというのが一目瞭然だ。
「こりゃ酷ぇな……」
その凄惨な光景に、俺は哀れみすら感じて声を漏らす。軋む歯車の音がまるで悲鳴のようで、ただここにいるだけで俺の方まで苦しくなっちまう。
「……待ってろ、今何とかしてやる」
故に自然とそんな気持ちが俺の中に湧き出してきた。同時に俺の意識が拡大し、山のように大きかった歯車が直径二メートルくらいの感覚に変わる。干渉力を増した代償として俺の魔力が急激に消費され、胸にギュッと締め付けられるような苦痛を感じたが、そんなものはどうでもいいことだ。
「一つ一つ外していくしかねーが、さっきと違って、こっちは動いたままじゃ無理だな。なら……ふんっ!」
俺は<歯車>のスキルでいくつか歯車を生み出すと、青い歯車に噛み合わせてからその動きを制御するべく力を込めた。完全に停止させるのはマズい気がするので、ギリギリ動いていると言えなくもないくらいの速度まで全力で押さえ込んでいく。
「ぐぎぎぎぎ……きっつ…………でも…………だりゃあ!」
腹に力を入れ、頭がチカチカするまで魔力を振り絞り、それで何とか歯車の動きをほぼ止めた。なので次は鉛のように重い体を動かし、噛み合う……というか無理矢理に食い込んでいる多色の歯車を一つ一つ外していく。
幸いにして、青い歯車が回っていなければ、こちらは回らないらしい。一つ一つが馬鹿みたいに重いそれを力一杯引っ張って、ガコンガコンと石の海へと落としていく。本当は丁寧に外したいのだが、そこまで気遣う余力はとてもない。
一つ、二つ。色違いの歯車……おそらくは他人の能力の具現化だろう……を外す度、世界が揺れる。
五つ、六つ。空の色が少しだけ明るくなってきた気がする。代わりに腕や足がプルプルと震えるため、自分の歯車を添え木みたいに組み合わせて補強し対応。
一〇、二〇。視界が霞む。自分が呼吸できているかどうかがわからない。何処か遠くから、水の流れるような音が聞こえる。
三〇、四〇。漸くにして、終わりが見える。あと三つ……二つ……そして…………
「これで…………最後だ……………………っ!」
精も根も絞りきり、その最後の一滴を以て、俺は青い歯車に食い込んでいた全ての異色歯車を外し終えた。それと同時に動きを止めていた俺の歯車を消すと、青い歯車が流れるようにスムーズに回り始める。
「は、ははは……やったぜ。やり遂げたぜ…………」
本当ならあのヒビも補修してやりたいところだが、流石にそんな力は残っていない……というか、どうすりゃいいのかわからない。
だが少なくとも、異物は全部外した。変なもんが食い込んでたせいで歪みねじ曲がっていたであろう下流の歯車の川は全て正常に回り、ここは在るべき姿を取り戻したと確信できる。
ならばこそ、ここが限界。これ以上はもう無理だ。俺の体がふらりと背後に倒れ、そのまま石の海に落ちそうになっていると……
ぺちんっ!
「ふがっ!?」
「おお、クルトよ、目覚めたのじゃ?」
後頭部に刺激を感じて顔をあげると、捲り上げられたスカートの向こうからローズの笑顔が登場した。





