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春の魔法  作者: 林来栖
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8

「私も行こう」


 アファード皇帝が言った。


「もし邪竜が死んでいないとすれば、王子一人では危険だ」


 申し出に、エディンは首を振った。


「陛下がここでヘスボスに殺されるようなことになったら、マインランドは——バリハルディアが守ったフェンの民は、ゾラの民と同じく故国を失ってしまいます」


 国土も大事だが、国にとって大事なのはそれだけではない。王という存在は、その国の民を束ね、故国に誇りを抱かせる存在である。

 たとえ、戦に負け領土が失われたとしても、王が生きているというだけで、民は故国を失わないで済む。

 どうしてアウリルがヘスボス討伐に単独で赴いたのか。

 スゥメルがアウリルと共に失われれば、念願の国を持ったゾラの民は、再び流浪の民となってしまう。

 王とは、王族とは、そういう存在なのだ、ということを、エディンはやっと理解した。


「私にはまだ王冠がありません。もし私がここで散ったとしても、ゾラの王族が絶えた訳ではない。陛下は、兄上達に王になる資質は見出せなかった、と仰ったが、兄上達もゾラの王子。いざとなれば国を背負う覚悟は持っています」


「エディン王子……」


 大魔導師の身体を支えたまま、アファード皇帝は琥珀色の瞳でじっとエディンを見つめる。

 洞窟の奥から、三度唸り声が響いた。


「やっぱり……、ヘスボスは死んでない?」


 怯えたように青い目で見上げて来るメルリに、エディンは「見て来る」と言い置き、今度こそ洞窟へと踏み込んだ。


 ******


 洞窟は、思ったほど暗がりではなかった。

 何処かに亀裂があるのだろう、細長い光が幾筋か、通路の岩肌を斑らに照らしている。

 自然に割れ落ちたと思われる側面の岩は赤黒く、ごつごつと不規則な模様を描いてい

る。

 陽光が射している、とはいえ、人の目にはやはり薄暗い。

 見えにくい足元に注意しながら、エディンは左側の壁面に軽く触れながら奥へと進んだ。

 しっとりと濡れた感触の岩は生暖かく、エディンは一瞬、この洞窟そのものがヘスボスの体内なのでは、と疑った。

 奥へと続く道は一本のようで、緩やかに下っている。

『ブラッドバインド』を握り直し、エディンは用心深く進んだ。

 本当に、ヘスボスがまだ生きていたら。

 どうやって仕留めればいいのか?

 エディンの背に緊張と冷たい汗が吹き出る。


 十分も下っただろうか。薄闇だった前方が、突然、屋外のように明るくなった。

 エディンは、不意の明度に目を眇める。咆哮が、今度ははっきりと聞こえた。


「——ヘスボスっ!!」


 真上から差し込む光が、その場所が巨大な空洞であることを見せている。中央は来た道よりもさらに少し下がっており、そこに、大きな水球に閉じ込められた邪竜がいた。

 長い年月水に閉じ込められているヘスボスの黒い鱗は色褪せ、所々剥がれている。

 長く鋭い爪も、蝙蝠を思わせる巨大な翼も、水分でふやけ、半分程が腐り落ちていた。

 それでも。


『……クククっ。やっと来たな、スゥメルよ』


 直接脳内に響くヘスボスの『声』は、朽ちて行く身体とは裏腹に、生気に満ちている。


「何故……?」アウリルの魔法と血によって囚われ、水に沈められながら、どうして平然と生きているのか。


 呟いたエディンに、邪竜は溶けた口をにぃぃ、と歪めた。


『小賢しきアウリルの魔法で、不覚にも水球に囚われてしまった。だが、それで死ぬような我ではない。おまえを殺すまで、我は決して死なぬ』


 尾を捩り、ヘスボスはエディンへと向き直った。水球の中が、アウリルの血液とヘスボスの腐り落ちた肉とで濁る。

 すぐにも溶解してしまいそうな身体を、だがヘスボスは平然と動かしている。

 半ばゾンビとなった邪竜の、スゥメルへの怨念と憎悪に、エディンは束の間身が竦んだ。

『ブラッドバインド』を握った掌が、じっとりと汗ばんで来る。

 が、自分の恐怖心を邪竜に悟られる訳にはいかない。

 エディンは、努めて平静な態度で言った。


「おまえの執念は分かった。が、如何に千年を生きる竜と言えど、その様でどうして永らえていられる?」


『雑作も無いことだ』今にも声をあげて笑い出しそうにヘスボスは言った。


『水球が我を完全に封じる前に、我自身に呪文を掛けたのだ。〔我を屠れるのはスゥメルだけである〕と。その呪によって、我はこうして生きているのだ』


 なるほど、と、エディンは納得した。

 アウリルは、魔法は他者に使用するものであって、自身に掛けるようには組まれていない、と言った。

 だが、その理を曲げ自身が生き延びるために、ヘスボスは呪文を組んだ。

 一見、完全に見える邪竜の魔法。が、よく考えればその魔法には大きな欠点がある。

 ヘスボスが死ぬためには、スゥメルに殺されなければならないのだ。

 たとえ、己の身が水中で朽ち果て、動けなくなっても。


「ヘスボスよ。おまえはそのなりで、私と闘うつもりか?」


 エディンはわざと、余裕を持って尋ねた。水の中の腐った竜は『戯けた事を』と嘲笑った。


『おまえこそ、我と闘うつもりなのか? その、今にも折れそうな剣一本で?』


「この剣がおまえの心臓を突き刺せるかどうか、試してみよう」


 エディンは『ブラッドバインド』を正面に構えた。

 このまま突っ込むには、水が邪魔になる。かといって、『ウィネシールド』を解除すれば、ヘスボスが完全に復活してしまうかもしれない。

 迷って暫し。

 突然、背後から声がした。


「水球よ、弾けよっ!!」


 大魔導師の呪文に続き、メルリの声が響いた。


「浮遊せよっ!!」


 メルリは呪文の詠唱を省き、水球が消えると同時にエディンが浮遊するように魔法を掛けた。

 メルリの、白い光がエディンを包む。眼前の水が四方へと飛び、閉じ込められていたヘスボスの巨体が転がり出た。

 浮いていたことで、エディンは倒れ込む邪竜の爪の一撃を躱せた。

 エディンを仕留め損ねたヘスボスが、怒りの唸り声を上げる。


「凍れっ!!」アウリルが、ヘスボスの腐り掛けの両脚を凍結魔法で止める。


 エディンを追って起き上がろうとしていたヘスボスは、前へ曲がったままで脚を固められ、止む無く前肢で身体を支える。


『おのれっ!! アウリルっ!!』


 朽ちかけた口を大きく開き、ヘスボスはアウリルとメルリに向け炎のブレスを吹きかけようとする。


「うおおおぉっ!!」


 エディンは雄叫びを上げ、ヘスボスの開こうとしている口を真上から大剣で貫いた。

 真っ逆さまに。全体重を、剣を握った両腕に掛ける。

 エディンの捨て身の一撃は、ブレスを吐きかけていたヘスボスの口を閉ざす。

 次の瞬間。

 邪竜の口中で炎が弾けた。

 岩の床にまで剣を突き通したエディンは、逆流した炎に弾け飛ぶヘスボスの、朽ちた巨体と共に岩壁に叩き付けられた。


「エディンっ!!」


 メルリが自分を呼ぶ声が聞こえた。が、そこでエディンの意識は途絶えた。

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