2
******
気が付くと、エディンは道の下の草原に寝転がっていた。
「うっ……、てて……」
上体を起こしたエディンは、頭に痛みを感じた。
斜面を転がり落ちた時、何処かで軽く打ったらしい。後頭部を触ると、小さなたん瘤が出来ている。
頭を振ってみる。目眩も何も起こさない。
大した怪我では無いと判断して、立ち上がった。
振り返ると、先程までメルリと共に居た道がある。大して高くないと思っていた傾斜だったが、下に来てみると、思いの外高さがあった。
それでもエディンはメルリの安否が心配で、草の壁を登ろうとした。
草丈がはそれ程でもない。が、草が足に絡み付き登れない。
エディンは、それでも強引に斜面を進もうと足を動かした。草は更に絡まり、エディンを登らせまいと阻む。
「なん——なんだよっ、この草っ!! 」
苛立ったエディンが草を薙ぎ払おうと剣を抜いた時。
「きゃあぁぁぁ——!!」悲鳴を上げながらメルリが転がり落ちて来た。
「メルリっ!!」
咄嗟にエディンは幼馴染の小柄な身体を抱き留めようと、腕を伸ばす。
勢いの付いているメルリは、エディンに体当たりするように腕に入ると、そのまま二人一緒に下まで転がった。
「いっててててっ!!」
「——エディンっ!!」
起き上がったメルリが、クッションにされたエディンを見た。
「ごっ、ごめんねっ。大丈夫っ?」
「大丈……夫、だと、思う」
エディンは心配気なメルリに、半笑いを返し、起き上がった。
「皇国の騎馬隊は?」
「うん……。一発目の火弾で、馬が驚いて棒立ちになって、手前の何人かは落っこちたんだけど。その後は、斬り掛かられて……」
メルリは、どうにか剣を避けた時に斬られたローブの右端を見せた。
「怪我は?」
「してないよ。避けながら火矢の魔法をいくつか飛ばしたから」
メルリの火の魔法は、母親譲りだ。本気で放てば大火球をも飛ばす事が出来る。
メルリは言わないが、恐らく火矢を二、三十本程、いっぺんに発動したのだろう。
「足止めしてる間にエディンに追い付こうと思ったら、足が縺れてここへ転がっちゃったの」
「まあ……、結果的に、追い付いてくれたけどな」
ひとつ息を吐いて、エディンは立ち上がる。
「けど、皇国兵が降りて来る気配、無いな?」
「もしかしたら、何処か別の場所からここへ降りられるのかも」
だとしたら、何も急な草の斜面を駆け下りる事はない。皇国兵はマインランド国の方々から集められている。
この辺りの地元民が先刻の騎馬隊に居るとしてもおかしくはないし、地元の者なら、道もよく知っている。
「不味いな……。早いとこここから離れよう。動けるか? メルリ」
メルリは亜麻色の髪を縦に振る。立ち上がると、エディンの隣に並んだ。
「急ごう、エディン。方向、わかる?」
「うん。多分、あの遠くに見えてるのが『忘れじの森』だ。森を目指して行けば、必ず州境に出られる」
行こう、と促すと、メルリはエディンの手を握って来た。
歩き出すと、メルリは大きな声で言った。
「うんっ、決めたっ!! 私、何があってもエディンから離れないからねっ!!」
エディンは驚いて、幼馴染の少女を見る。見返して来たメルリの、青玉の目が笑いに細められた。
「きっと大丈夫っ!! だってエディンは、ゾラ陛下の息子で、スゥメル建国王の子孫だもの。大魔導士アウリル様のご加護が絶対にあるよっ」
「そう——だな」
メルリの言葉に励まされ、エディンは大きく息を吸い込むと、「行くぞーっ」と叫んで、メルリを引っ張り走り出した。
******
どれ程歩いたか。
空が青から茜に傾き始める。
「草原の真ん中で野宿、しかないか……」
エディンは呟いた。
転がり落ちた草の斜面は、かなり遠のいていた。が『忘れじの森』は、見えているのに一向に近づいている感覚がない。
歩けば歩く程、遠くなる感じだ。
「魔物、出ないかなぁ」すぐ後ろを歩くメルリが、不安そうに言う。
「大丈夫だと思う。ここまで何にも出くわしてないし。……夜は、さすがに分からないけど」
「マインランド皇都付近には魔物避けの結界が張られてるって……、パナおばちゃんから聞いてたけど」
皇都へ住むにあたり、エディンのように兵になれば、外国人でも身分証が簡単に出される。
が、一般市民として皇都に在住するには、外国の者は基本、身分証明書と身元引き受け人が必要となる。
ゾラはこれまで、マインランドと敵対した事は無かった。小さな国でもあり、主に宝飾や商取引で財政を賄っていたため、隣国マインランドには多くのゾラの民が定住している。
今回の戦で故国を追われたゾラの民は、元からマインランドの定住権を得ていた同胞を頼り、皇都にも多く流れ込んだ。
だが、皇帝アファードは、難民となり皇国に雪崩れ込んだゾラの民を、特段気にしている風も無い。
エディンには、一体何が目的でアファードが突然ゾラを攻めたのか、見当がつかなかった。
メルリが世話になっていたパナおばちゃん、本名はパルナ・パルヤレガートは、以前はゾラの宮廷魔導士だった。
数年前、マインランド人の夫が身体を壊し、故郷で静養したいと言ったため、彼女は宮廷魔導士の職を辞してマインランドへと移住したのだ。
「……私、が、黙って皇都を飛び出して来ちゃったから……。パナおばちゃん、皇軍兵に捕まってなければいいんだけど……」
不安そうな表情のメルリに、エディンは、
「大丈夫、だと思う。パナおばちゃんは俺達の行先を知らないし。大体、俺が兵士になったのは知ってるけど、どこの部署に配属されてたかっていうの、知らせてないし」
「そう……、だったね。うん。そうだっ、パナおばちゃんは口も上手いから、きっと色々聞かれても、誤魔化すよ」
丸顔で恰幅の良いパルナの、人好きのする笑顔を思い浮かべ、二人は顔見合わせてクスッと笑った。
「魔導師だもの。占術や方位術で、皇国兵を言い包めるさ」
エディンの言葉に、メルリも「うん」と頷く。
「それにしても。ほんとになんにも無いね。この草原……」
気を取り直したように周囲を見回して、メルリはひとつ、ため息をつく。
「野営するにしても……。隠れようが無いな」エディンも、同じように辺りを見て、腰に手を当てた。
「どうする? 草を刈って山にして、その中へ潜る、とか?」
メルリの提案は、以前ゾラから脱出した時に、ファインと三人で実行した野営の仕方だ。
エディンは空を見上げた。幸い、茜に染まった雲に雨の気配は無い。
「魔物が出ると、草山はすぐにひっくり返されるからな。——そうだっ。窪みを探そう」
エディンはメルリと手分けして、近くに窪んだ場所がないか探した。草が覆い隠しているような所でも、少しでも低ければ隠れられる。
「うーん、小さいのはあるけど……。二人入れるような窪みは……」
屈みながら草地を歩くメルリが、困ったような声で言う。
エディンの方も、手頃な窪みは無い。
エディンは腰を伸ばすと、何気なくスゥメルの懐剣を取り出した。
西に傾いた日差しは、それでもまだ最後の明かりを届けてくれている。エディンはそっと、懐剣を抜いてみた。
長さは20センチ足らず。幅も、決して太くはない。
鞘の装飾も素晴らしいが、懐剣はそれ自体に複雑にして精緻な呪文が刻まれていた。
魔導士でないエディンには何が書かれているかは分からない。ただ美しい模様をよく見ようと夕陽を剣に当てた。
その時。
「あ……、れ?」
横に構えた懐剣の下。夕陽が反射したその先に、今まで見えなかった家が見えた。
エディンは驚いて剣を下げる。すると、見えていた家は全くなくなってしまった。
「メルリっ!!」エディンは大声で幼馴染を呼んだ。
「どした?」
「懐剣を翳したら、家が、見えた」
「え……?」
呼ばれて飛んで来たメルリは、エディンが夕陽に翳した懐剣の下を、同じように覗く。
「ほんと、だ。——って、ええっ!? どういうことっ!?」
「分からない。——でも、本当にこの先に家があるんなら……。確かめてみよう」
エディンは、懐剣を目の上に掲げながら草の中を進んだ。
3話目は、明日投稿いたします^^