自叙伝
私が観察日記を書いている理由は、ヨウさんの知識や技術の記録という側面が強い。
やはり日本からの転移勇者はこの世界にないものをたくさん持っているので、一つ当たれば莫大な財を成すことができる。
一発逆転が狙えるのだ。
だから私もヨウさんのいろいろな知識を得て、技術を身に着け、今後のためになるようにと日夜観察を行っている。
その成果の一つがこの記録と言ってもいい。
ただ、この記録は単なる記録ではない。
記録だけならレシピの材料と順番、ように必要最低限の事だけを書けばいい。
だけど私はその時の会話や雰囲気も記録として書いている。
それには理由がある。
□◇■◆
「ふ、ふ、ふふーん、ふ、ふ、ふふーん、ふ、ふ、ふふふふーん」
私は洗濯物をお庭に干しながら、この間街の路上ライブで聴いた音楽を鼻歌で歌っていた。
天気が良く気分も晴れていた。
「ん? ヤマグチモモエか?」
ヨウさんが庭に出てくるなりそう言った。
「え、誰ですか? 私はサリーです」
私は洗濯物を干す手を止める。
誰と間違えているのだろうか。どこかに女でも作ったのだろうか。
「それは知ってる。その鼻歌の事だ」
「ヤマグチモモエ? そういうタイトルの歌なのですか?」
「いや、その歌の歌手のことだ。なかなか伝えるのって難しいな」
「歌手はフリカケーズという名前のバンドでした」
「ダサいバンド名だな。ああ、いや、そうじゃなくて、その歌は日本の歌で、ヤマグチモモエという歌手のひと夏の経験という歌だ」
「そうなのですか。歌詞はなくて、ギターが主旋律を弾いていましたよ」
「なるほど。それがいいな」
ヨウさんは、納得したように言う。
「なぜですか?」
「歌詞が過激だからだ。まあ想像力を掻き立てると言ったほうがいいか」
「そうなのですね。どういった内容なのですか?」
「まあ、女の子にとって一番大切なものをささげる歌だ」
頭をぽりぽり掻きながら、ヨウさんは庭に転がっている丸太に腰を掛ける。
「そうなのですね……ところで、一番大切なものって何ですか?」
「うーん、そうだな。確かヤマグチモモエは、真心って言っていたらしいな」
困ったような表情をしながらヨウさんが答える。
「それは素敵ですね。私も一番大切な女の子のものをヨウさんにあげます」
「おう、そうか……ありがとう……。でもそんなことはここ以外で言うなよ」
眉間にしわを寄せているヨウさん。
機嫌を損ねてしまったのだろうか。
「どうしてですか?」
「どうしてもだ」
それだけ言うと、ヨウさんは部屋の中へ戻っていった。
私も洗濯物を終えて部屋に戻る。
ヨウさんは椅子に座ってギターを取り出していた。
「もしかして、ヤマグチモモエを弾いてくれるのですか?」
「ああ、横須賀ストーリーって曲な」
低音の弦でをハンマリングという奏法で弾くと、コードを段階的に降りていく。かっこいいイントロだ。
望まない別れを告げられた女性の歌だ。
横須賀というのは日本の地名らしい。そこでのお話ということか。なんとも詩的なタイトルだ。
ヨウさんは歌い終えると、ギターを横に置き、ソファーでくつろぎ始めた。
「ヤマグチモモエって日本で流行ってたのですね」
「俺は世代じゃないから、知ったときには既にヤマグチモモエは結婚して引退していたけど、日本人なら一度は聞いたことがあるだろうな」
「世代じゃなくても知っているなんて、すごい言い伝えが残っているのですね」
「言い伝えってほどのものじゃない。日本は技術がここより発達していたから、音楽や映像を録音したりできたからな。それに俺はヤマグチモモエの蒼い時を読んだし」
「アオイトキ? 何ですかそれ?」
ヨウさんがよくわからないことを言うので、たぶん私の目は点になってしまった。
「ああ、そうだよな。わからないよな。蒼い時はヤマグチモモエの自叙伝だ」
「ジジョデン?」
「自叙伝。自分の生い立ちや歩んできた道を振り返って書いた物語だ。その人の歴史を知れる本だな」
「王様の歴史の本とかでしょうか?」
「そこまで仰々しくないけど、有名な人ほど、その人がどういった経緯を持っているか知りたいだろ? それを満たしてくれる本だ。蒼い時は、ヤマグチモモエが歌手になる前、なった後、結婚について、引退に至る経緯、などが赤裸々に書いてあって、面白いんだ」
「いいですね、それ! じゃあ私はヨウさんの自叙伝を書きます!」
そんな本があったら私も読みたいと思った。
特にヨウさんの日本でのことが書かれた本があったら絶対に読みたい。でも書いてはくれないだろう。
だから私がここにいるヨウさんのことを書く。そう決めた。
「話聞いてたか? もはやそれは他叙伝じゃないか……。いや、伝記か?」
「なんでもいいです。この家でどんな生活をしていたか書きます」
「ここに来るまでの経緯とかを書くなら自叙伝っぽいけど、ここでのことを書いたらそれは日記みたいなものじゃないか? うーん、まあでも好きにしたらいい」
話がめんどくさくなったのだろうか。最後の方はもう考えるのを放棄したように感じた。
それならそれで好都合だ。
「はい、好きにします」
私は自叙伝を書くことに決めた。
その後ヨウさんはギターをしまって、キッチンに向かった。
お湯を沸かしながら、コーヒー豆を挽いている。
私も飲みたいと言ったら、わかったと言ってコップを用意してくれた。
ギターを弾いて、コーヒー豆を挽いて、なんだかひいてばっかだなと思った。