名前
私の名前はサリー。
父と母が結婚する前から、女の子が生まれたらサリーにしようと話をしていたらしい。
二人とも語感がいいからと言っていた。
まあ私自身は気に入っている名前なので、名づけの理由はどうであれ、これからもサリーでいようと思っている。
そもそも名前を変更するのは難しい。
異名、ふたつ名がつくことはあっても、本名自体を変えるのは手続きの問題もあるし、知り合いに伝えて回らないといけないので、すごく大変だ。
それになんといっても名づけの親にも申し訳がない。せっかく考えて付けてくれたのだから。
だけど、一方で日本から来た勇者はどうだろう。
彼らは向こうの世界で一度死んでいるらしい。
しかし姿や思考はそのままにこちらの世界に転移してくるため、ほとんどの者が日本での名前をそのまま使っている。
知り合いはいないし、手続きも一からなので、好きな名前を名乗ることが可能ではないのだろうか。
だけど私の知る限り、転移勇者は日本での名前を使っている。
その名前が嘘だという可能性はなくもないけれど、こちらの世界に合わせた名前を使っている者はいない。
発音と言うか、語感というか、そういったものが、日本の言葉だなって感覚でわかるのだ。
それに漢字表記だし。
一応、こちらの世界の言葉で読めるようにルビを振るのだけれど、基本的には勇者様を尊重して漢字表記をしている。
この家に住むヨウさんも、表札に「蘇我洋晃」と書いてある。
ただヨウさんは気が利かないので、ルビは振っていない。
ヨウさんがこの街に来た当時は全然読めなかった。
たぶんどれか一つが「ヨウ」と読むのだろう、と予想する程度。
今回は私がヨウさんに名前について聞いたときの話を記することにする。
□◇■◆
まだ私をヨウさんはアシスタントとして認めてくれない。
もしかしたら一生認めてくれないのかもしれない。
いやいや、ここで一生を終えるつもりは毛頭ないけれど。
だけど根気よく通い続ければ、私に興味を持ってくれて、何か伝授してくれるかもしれない。
めげずに頑張ろう。
そんな決意を胸に、ヨウさんの住む町はずれの丘の上の家に向かう。
今日はいい天気だ。空高く鳥たちが飛んでいる。
ヨウさんの家の周りは何もない。木々が少し植わっているくらい。
黄色や白い花が広い土地に咲いている。
町を出て少し進むとヨウさんの家が見えてくる。
「あ、ヨウさんだ」
丘の上で薪を割っていた。
ヨウさんはお歳を召しているけれど、結構ガタイがいい。
「ヨウさ~ん」
斧を振り下ろしているヨウさんに手を振り声をかける。
薪割の手を止めたヨウさんは、首にかけたタオルで顔を拭きこちらを見る。
私の姿に気が付いたはずなのに、特に何にも反応もなく、再び薪割を始めた。
「ちょっと! 無視しないでください!」
走ってヨウさんのもとへ向かう。
「なんだ、サリーか」
「なんだって何ですか。さっき気が付いていたでしょう」
息も切れ切れに訴える。
「誰かいるなって思ったけどな、誰かはわからなかった」
「そうなんですか」
歳による視力の低下だろうか。
歳をとると身体能力が下がるという。私も覚悟しなくてはいけない。
「たぶんな」
「どっちですか!?」
私の言葉に応えることなく、薪を割る。
根気よく続けることが大事だ。
荷物を脇に置き、ヨウさんの薪割の手伝いをすることにした。
ヨウさんが斧を振り下ろし、薪を割る。
薪割の台の上に私が薪を置く。それをヨウさんが斧で割る。
ヨウさんが休憩すると、私は散らばった割られた薪を拾い集めて、所定の場所に置く。
それを三セットしたところでヨウさんが言った。
「今日はこのくらいでいいだろう」
「またやるんですか?」
「薪がなくなったらな」
「ああ、よかった。明日もやるのかと思いました」
「サリーがやりたいなら貸してやる」
ヨウさんが斧をこちらに差し出す。
「いえ、やりたくないです。やるなら二人でお願いします」
片付けをしたらヨウさんの家に入る。
ヨウさんが「お前も入るのか? 帰らないのか?」みたいな目をしてこちらを見てきたけれど、気が付かないふりをして上がり込む。
椅子に座り一息ついていると、ヨウさんは黙ってお茶を出してくれた。
「ありがとうございます」
ヨウさんは何も言わずにテーブルの向かいに座った。
さっそく一口飲むとよく冷えていた。
重労働の後の冷たい飲み物は生き返ったような感覚になる。
目の前にいるヨウさんは実際に生き返ったような人だけれど。
テーブルには薪の端材がいくつか置いてあった。
テキトーに手に取ってみる。
「これ、表札に使えそうですね」
「たしかに表札にちょうどいいサイズだな」
「この家には付けないのですか?」
「この世界にもそういう風習があるのか?」
「ええ、まあ、ないといろいろ困りますから」
「日本はあったら困ることもあったぞ」
「そうなのですか?」
「ああ、プライバシーってやつだな」
「よくわからないですけど、大変ですね」
テキトーに相づちを打っておく。
ヨウさんは席を立ち、台所でお茶を淹れている。
台所からヨウさんが「お前も飲むか?」と聞いてきたので「いただきます」と応えると、お茶の入ったポットをもって戻ってきた。
「ところで、ヨウさんのフルネームはどう書くのですか?」
私のカップにお茶を淹れてくれている時に聞いた。
「あまりプライバシーにかかわることは開示したくないんだけどな」
少し嫌そうな顔をしながらも、ポットを置くと、ヨウさんはペンで「蘇我洋晃」と書いた。
「画数多いですね」
漢字って感じがする。あ、ダジャレだ。
「ああ。木彫りの表札は無理だな」
「私、濡れても消えないインク持ってますから、筆で書けば大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なんだ?」
「表札を作れるってことですよ」
「いや、作るとは言っていない」
「いいじゃないですか。作りましょうよ。ところでそれは何て読むのですか?」
ヨウさんは「はあ」とため息みたいなものをついた。
聞かなかったことにする。
「そがようこう」
「え、どこまでが苗字でどこからが名前ですか?」
この語感は日本語って感じがする。区切りがわからない。
「そが、ようこう」
「へえ、どういう意味なんですか? 漢字には意味があるって言うじゃないですか」
「蘇の字は、よみがえる、生き返るという意味がある。そして我という字は私、俺、つまり自分のことだ」
「よみがえる自分……転移勇者のことそのものじゃないですか。それに強そうですよ」
何て苗字を付けるのだろう。日本人は奇天烈だ。
「蘇我と名づけた人の理由はよく知らない。苗字は昔の人が考えたことだからな」
お茶を一口飲むとヨウさんは続ける。
「ただ洋晃は親がつけてくれた。小さい頃に聞いた話では、海のように大きく、太陽のように光るようにと命名したらしい」
「洋晃でそういう意味があるのですか」
「ああ、洋の字は広い海って意味があって、晃の字は光とかかがやくとかそういう意味がある。細かく説明すると、洋の字の左側の点三つ――さんずいは水を表している。そして晃の字は日の光で構成されているだろう」
ヨウさんは書いた字を指さしながら話してくれた。
「じゃあヨウさんは心が広くて、人々に光を与えてくれる存在なのですね。私がアシスタントをしても受け入れてくれて、私の未来を明るく照らしてくれるのですね。ありがとうございます」
立ち上がり一礼する。
「おい、都合よく解釈するなよ」
「明日、濡れても消えないインク持ってきますね」
ヨウさんは「はあ」とため息のようなものをついた。
聞かなかったことにする。




