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ジャッキー

 私は今日もヨウさんの家に通う。


 近所の人からもらった野菜をたくさん持ってきた。



「おはようございます。はぁ疲れた」

 私はヨウさんの家に着くなり、どんっと野菜の入ったバスケットをテーブルに置いた。


「おはよう。なんだこれ」

 バスケットから野菜を手に取りながらヨウさんが言う。


「野菜です」


「それは見たらわかる。なんで野菜を持ってきたんだ?」


「近所の人にもらったんですよ。一緒に食べようと思って」

 私が椅子に座ると、ヨウさんがお茶を用意してくれる。



 なんだかんだ言って優しい。



「それはありがたいが、お前、料理そんなにできないじゃないか」

 ヨウさんはサラッと優しくないことを言う。


「いいじゃないですか、それは」

 私は不貞腐れてテーブルに突っ伏せる。



 ヨウさんが空になったグラスに、おかわりのお茶を入れてくれる。



「それにしても、若いのに体力がないな」

 野菜のバスケットの重さを確認して言う。



 普通に重いと思う。私に体力がないからではない。ヨウさんに体力があり過ぎるだけだ。


 お歳を召しているけれど、ヨウさんはガタイがいい。


 現役を退いた今でもたまに筋トレをしている。


 前に「何でトレーニングをしているのですか」と聞いたことがあった。


 その時は「暇だから」と答えていた。


 なんていうか、返す言葉がなかった。


 時間があるから鍛える、というのは悪いことではないし、むしろ有意義な気がするけれど、なんか虚しい。


 鍛えるために時間を作るのではなく、時間があるから鍛える、という順番が虚しさを感じる原因なのだと思う。


 だけど、やっぱり鍛えることって悪いことではない。むしろ健康には断然いい。



「私も鍛えようかしら」


「ああ、いいんじゃないか?」


「教えてくださいよ」


「え、俺が? 自分でやれよ」


「ただ筋トレしたりランニングしたりするより、何か武術みたいのを習いたいです」

 私は握りこぶしを作り、構えてみる。


「強くなりたいのか?」


「まあそれもありますね。護身術とか身に着けたいです」

 シュッシュッとこぶしを突き出してみる。


「なるほどな。あまり武術は知らないけど……。それじゃあスイケンでもやるか?」


「スイケン?」



 後で聞いたら酔う拳と書いて、酔拳らしい。



「お酒を飲んで戦うんだ。酔いの効果で痛みを感じないというメリットがある」


「なんですかそれは。護身術のために普段から飲んでなくてはいけないじゃないですか」



 若い女性が普段からずっと酔っていればある意味、護身術と言えるかもしれない。



「そうなるな」


「嫌ですよ、そんなの。ほら、日本には柔道があるって言うじゃないですか」



 結構前になるが、勇者として転移してきた日本人が教室を開いたことで柔道がこの世界にも広まった。


 その後、空手や剣道、合気道など、日本から来た勇者様たちによっていくつかの武術が確立していった。


 ただ、物理攻撃はなかなか実際の戦闘には向かず、趣味や健康維持、ちょっとした護身術としてならう人がほどんどだ。


 しかし武人としての心得や、いざという時の手段としては意味のあるものだと言われてる。



「俺は柔道については知らない。空手も剣道も合気道もな」


「現役のときは何をやってたんですか?」



 本当に勇者だったのだろうか。拳も剣も使えないとなるとちゃんと戦えたのだろうか。それに魔法を使っているところも見たことがない。



「サポートだ。まあそんなことはどうでもいい。とにかく俺はジャッキーチェンくらいしか知らない」


「なんですかそれ? どんな武術ですか?」



 ヨウさんの現役時代のサポートについて詳しく聞きたいところではあったけれど、気になる言葉が出てきた。


 ジャッキーチェン? 聞いたことのない言葉だ。あまり日本的な発音、響きの言葉ではない。



「人の名前だ。俺のいた世界の別の国の人だ」


「そうなのですね。敵国に名前が知れわたっているなんて、その武人は相当強かったのですね」



 もしそんな一流武人の武術を身に着けたら、私も冒険者として名を馳せることができるかもしれない。


 そこまでじゃないにしても、しっかりと身に着ければ、護身術教室を開いて一儲けできるかもしれない。



「あ、いや、そういうわけじゃない……」


 ヨウさんは少し困ったような表情をしていたけれど、私は話を続けた。


「で、その武人がお酒を飲んで戦っていたのですね」


「ああ、まあ、そうだな。そういう戦いもあった」


「“も”ってなんですか? 他にもあるのですか?」


「あるぞ。蛇拳や龍拳、木人拳なんてのもあるな」


「いや、全然わかりません」


「そうだろうな。簡単に言えば、蛇や龍といった生き物をモチーフにした型だ」


「なるほど。それなら私は兎がいいです。兎拳はないですか?」



 どうせやるならかわいい方がいい。


 龍は男の人っぽいイメージがあるし、蛇はシンプルに嫌いだ。木人はよくわからないけれど、なんだかちょっと気味が悪い。



「そんな型はない。兎のどこから戦いの型を着想する?」


「うーん……飛び跳ねているところとか、餌を食べているところですかね?」


「全然戦っていないじゃないか。護身にすらならない」


「たしかに……」



 私が兎拳を諦めたとき、ヨウさんが席を立ち、台所の方へ行った。


 何をしているのかと眺めていると、いくつかのグラスと、水を入れたやかんを持って戻ってきた。



「サリー立て」


「は、はい」



 私はヨウさんに言われると素直にしたがう。


 親のしつけというわけではない。そういう育てられ方ではなかったけれど、ヨウさんにはなんか、従ったほうがいいなって思ってしまう。



「手を前に伸ばせ」


「は、はい」



 手を伸ばすと、ヨウさんが私の両肩にグラスを置いた。



「え、あ、ちょっと」


「落とすなよ。よし、それじゃあ膝を曲げろ」


「は、はい」



 腿が地面と平行になったところで「そこで止めろ」とヨウさんが言う。


 そして両腿にも肩と同じようにグラスを置いたと思ったら、最後に頭にもグラスを乗せた。



「ちょ……ちょっと、きついです」


「落とすなよ」

 そういいながらヨウさんは私の身体に置いたグラスにやかんから水を注ぎ始めた。


「いや、ちょっと、無理ですって!」


「これが、ジャッキーチェンのトレーニングだ」



 すべてのグラスに水を注ぐと、ヨウさんは腕を組んで私の前に立ち、「腕が下がってきているぞ」とか「膝が伸びているぞ」とか言ってくる。



「うそ!? 無理! もう限界!」



 足はプルプル震え、集中力も切れてきた。


 だめだ、こぼしてしまう。


 そう思った時、ヨウさんが「よし、いいだろう」と言って、グラスを回収してくれた。



「はぁあ」



 私はぐったりして、その場に倒れ込んだ。



「なんだ。もう限界か? 五分もできていないぞ。あと四セットくらいやろうと思っていたんだけどな」


「ごめんなさい。無理です」


「まあいい。今日はこれくらいにしておこう」



 ヨウさんの言う通り、五分もしないで私はトレーニングを諦めた。あらためて自分の体力のなさを痛感した。


 でもこれはヨウさんが悪い。初心者の私に対してこれは難しすぎると思われる。あきらかに上級者向けだったのではないだろうか。


 とにかく、このメニューは私にはまだ早い。いや、トレーニングに慣れてきても二度とやりたくない。


 その日はいつもよりぐっすり眠れた。




  □◇■◆




 翌日、筋肉痛を我慢しながら、いつものようにヨウさんの家に行ったら、ヨウさんはお庭でトレーニングをしていた。


 見たことのないトレーニング方法で、棒が数本飛び出している木の柱に向かって、拳を入れたり腕で棒を抑え込んだりしていた。


 木人椿というらしい。朝イチで作ったと言っていた。


 ヨウさんが「お前もやるか? 教えるぞ」と言ってきたけれど、昨日の筋肉痛もあったので遠慮した。


 もう私はヨウさんに鍛えてもらうことはやめようと思った。

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