年越しそば
大晦日の夜はおそばを食べる。
かつて転生してきた勇者が広めた風習だけれど、これは最近転生してきた勇者も知っている、日本の風習。
一年の厄介を断ち切る、という意味で食べるらしい。
たしかにそういう気持ちで新年を迎えられるのはいいことだと思う。
日本人は考えることが面白い。
私は、日本からの転生者の一人で勇者を引退してこの町に越してきたヨウさんのこの便利屋で、お手伝いをしている。
日本にはこの世界にはない技術や知識がたくさんあって、転生者の多くはそれで一財を成している。
私も一財を成せなくても、何かしらヨウさんから得たいと思っている。
そんなヨウさんは今、台所でおそばを打っている最中だ。
お汁は私が出汁を取って作った。
後で一緒に天ぷらを揚げる予定。海老とかき揚げと野菜。豪華なおそばだ。
「サリー。天ぷら用の野菜を切っておいてくれ」
おそばをこねくり回してヨウさんが言う。
「はい。斜めに切ればいいんですよね?」
「ああ。大体5ミリ幅でな。あとできたら海老の処理もしておいてくれ」
「え、あ、はい。できたらやります」
多分できない。やって怒られるなら、やらないで怒られよう。
ヨウさんのおかげで包丁さばきも上手くなった。
家でも少しくらいは料理をするようにもなったし。
「あ、痛いッ!」
「どうした!?」
ヨウさんが駆け寄ってくる。
「指を切っちゃいました」
私の小指から血が出ていた。包丁を持つときは猫の手と言われていたのに、小指がぴんと伸びていたようだ。
「今手当する」
「ごめんなさい」
ヨウさんは救急箱を出して消毒と止血してくれた。
「よし、これで大丈夫だ」
「ありがとうございます。おそばは大丈夫ですか?」
「ああ、ちょうど終わったところだった」
「よかったです」
それからヨウさんに野菜のカットと海老の処理をしてもらって私は衣作りと衣付けを担当した。
もちろん揚げるのはヨウさん。私は怖くてできない。油の後処理が苦手なので家でもやらない。
天ぷらのぱちぱち揚がる音が聞いていて心地よい
「今年は色々ありましたね」
「まあな、サリーがここに来るようになったからな」
「お互いに激動の一年だったということですかね」
「いや、大した動きもなくのんびり過ごしていたと思うぞ」
「まあ、たしかに」
ヨウさんの家に通うようになっただけで、すごい活躍をした覚えは一つもない。そもそもヨウさんが意欲的に仕事をしようというタイプではないというところが原因だ。
そんなヨウさんはきれいに揚がった天ぷらをお皿に並べている。
美味しそうだなぁと眺めていると「一つ味見してみろ」と言ってくれたので、一番大きくて美味しそうなやつを遠慮なく口に運ぶ。
「うわぁ、美味しいです。お店出せますよ」
「それは言い過ぎだ」
「いえ、天ぷら屋できますって。来年、天ぷらで勝負をかけましょう」
この天ぷらは美味しすぎる。無限に食べていられる。
日本にはおいしい食べ物がいっぱいあるらしい。可能ならば行ってみたい。
「何と戦っているんだ?」
「いいんです。来年は天ぷらの年です」
「そんな来年のことを言ってると、鬼が笑うぞ」
「え?」
なんか怖いことを言い出すヨウさん。
「だから鬼が笑うんだよ」
日本人はオーガのことを鬼と言ったりする。そのオーガが笑うというのか?
「ちょっと怖いこと言わないでください」
「悪い。日本ではそういうんだよ」
日本にオーガがいるということなのか!?
これは新事実ではないのか!?
それに来年のこと言うと笑うということは、自分たちの話し声が聞こえるほど、だいぶ近くにオーガがいるということだ。
もしかしたらヨウさんは、かなり危険な地域に住んでいたのかもしれない。
それか、こちらの世界とは違って、かなりフレンドリーなオーガがいるのかもしれない。
もしくは、来年の話題が笑いのツボ、というかなり特殊な種類のオーガがいるのかもしれない。
どうしよう、やっぱり日本に行くのは怖いかもしれない。行けるチャンスがあってもやめよう。危なすぎる。
「おい、サリー。急に難しい顔をしてどうした?」
いつの間にやらヨウさんはおそばを茹でていて、器に盛り付けていた。
「あ、すみません」
私は慌ててお汁と天ぷらの盛り付けの手伝いをした。
「よし、完成だ。麺が伸びる前に食べるぞ」
「はい」
テーブルにおそばを運んで二人で向かい合って座る。
「「いただきます」」
麺をすするとおそばの香りが鼻を抜ける。
天ぷらをかじると衣がかりっとして、中のエビがぷりっとする。
「美味しいです」
「だろ? まあ本場のには劣るが、美味しく出来たな」
本場、日本ではもっと美味しいおそばがあるのか。
やっぱり美味しいものには敵わない。
もし行けるなら日本に行きたい。
オーガに笑われたとしても日本に行きたい。




