キャラクター
「ヨウさん、暇すぎます」
退屈に嫌気がさした私は、本を閉じて立ち上がった。
ヨウさんは、日本から転移してきた勇者として、これまでに多くの依頼をこなし、数々の冒険をしてきた。
過去のことをあまり語らないので、どんな冒険だったかはよくわからないけれど、それなりに活躍していたのだろうと予想できる。
それは現役を引退した現在、こうして便利屋としてほとんど収入がないのに悠々自適に暮らしているところを見ていると、相当な貯えがあるのだろうとなんとなく思うからだ。
ヨウさんはそれでいいかもしれない。でも私はまだ若いし、いろいろとヨウさんから吸収したいこともたくさんある。
私が勝手に入り浸っているので、言える立場ではないのはわかっているけれど、それでもやはり退屈すぎる。退屈は犯罪だと思う。
「まあ確かに暇は暇だが、仕事がないのだから仕方がないだろう」
ヨウさんはロッキングチェアで揺れながら絵を描いている。
窓からの眺めがいいので、風景画でも描いているのだろうか。
「わかりました。それじゃあ仕事をもらえるようにしましょう」
「お、おい……。はあ。別に仕事がないということは、みんなが困っていないということだからいいじゃないか」
「そうですけど、依頼がないから仕事がないというわけではないのでは? 依頼しやすいように工夫をするとか、宣伝をするとかそういう仕事はあるのではないのでしょうか」
「うーん。お前にしてはなかなか核心を突くことを言うな」
「うふふ。じゃあ早速やりましょう」
たぶん私は破顔している。
ヨウさんに褒められ、嬉しくなってしまった。
「それで、何をするつもりなんだ?」
「そうですね。何にしましょうか?」
「俺に聞くなよ。考えていなかったのか?」
「そ、そんなことありませんよ。アイデアがたくさんあり過ぎて何にするか決めかねているだけです」
正直に言うと何も考えていなかった。
暇すぎて言ってしまっただけで、それを打破する方法は思いつかないまま見切り発車だった。
「はあ。じゃあまあこのままでいいな」
「ダメですダメです。ほら、依頼してもらえるように、ちゃんとお店っぽくしましょう」
「別に何かを販売するわけではないから、店っぽくする必要はないだろう」
「いや、そういうわけではなくて……。うーん、そうですね……。そうだ、ほら、看板ですよ。看板を作りましょう」
ヨウさんのこの家は町から少し離れた小高い丘に建っている。こじんまりとしたログハウスと呼ばれる建物で、ぱっと見ではただの家なので、ここで便利屋をやっているとは思えない。
町の人はヨウさんが便利屋をやっていると知っているはずだけれど、現役を引退した勇者のヨウさんがこの家でのんびりしていたら、ただ単に隠居していると思われ、依頼しようという気にならないのかもしれない。
だから家の前に看板を立てれば、少しは依頼しやすい雰囲気を出せるのではないだろうか。
小高い丘の上なので、町からもヨウさんの家は見える。大きい看板にすれば気が付いてもらえるだろう。
「看板か。そういえば、雨に濡れても消えないインクが残ってたな」
以前、この家に表札を作った際に使ったインクだ。
「ええ、それを使いましょう。それに板は庭に裏にありませんでしたっけ?」
「使えそうな板はあるかもな」
「じゃあ早速取り掛かりましょう」
ヨウさんが「はあ」とため息のようなものをついた気がしたけれど、聞こえないふりをした。
□◇■◆
「ふう。完成しましたね」
ヨウさんが「お前が言い出したんだからお前がやれ」と言うので、ほとんど私が手掛けた。
板に「便利屋」と書くだけなのでそう難しくはなかったけれど。
私は腕でおでこの汗を拭った。
インクの付いたヘラを持った手で拭ってしまったので、ヘラの先がほっぺたに当たってしまった。
急いで擦ったけれど、窓ガラスに映った私のほっぺたは、黒く染まっていた。
「何してんだ?」
「ついてしまいました」
「見たらわかる。洗ってこい」
「はい」
私のテンションは爆下がりだ。
このインクは落ちにくい。洗剤を使ったら落ちるかもしれないけれど、お肌が荒れてしまうかもしれない。
しかし黒いインクをほっぺたに乗せたままよりはましだ。
お家に入り、キッチンで顔を洗う。
鏡で確認しながら洗剤を使ってゴシゴシと擦り洗う。何とか落ちたけれど、今度は擦り過ぎて真っ赤になっていた。
まあこれは時間が経てば解消される。しばらく我慢するしかない。
ヨウさんはまだお庭から戻っていない。看板の取り付けでもしているのだろうか。
お庭に戻ろうとしたとき、ロッキングチェアに置いてあったヨウさんの絵が目に入った。
「なにこれ!? わかいい!」
思わず声に出してしまった。
あの渋くてごついヨウさんから想像もつかないほど、ポップでキュートな愛らしい絵が描かれていたからだ。
私のテンションは爆上がりだ。
風景画を描いてると思わせて、こんなにも可愛らしい絵を描いていたんなんて。
急いでヨウさんの元へ向かう。
「ヨウさん! この絵なんですか!?」
絵を見せながら言う。
「お前、勝手に見るなよ」
私から絵を取り上げる。
「あ、ちょっと、いいじゃないですか。すごい可愛いんですけど、なんの絵ですか?」
「はあ。これはピカチュウだ」
「ピカチュウ?」
日本語っぽくない語感の言葉だ。
「電気タイプのネズミのモンスターだ」
「ピカッと光るチュウと鳴くネズミ、ということですか?」
「ああ、そういうことだろうな」
日本には魔物がいないと聞いている。
ヨウさんの住んでいた地域にはいたのだろうか。
「そんな生き物がいるのですね」
「これはゲームのキャラクターだ。モンスターを育てて戦わせるゲームだ」
日本には魔獣使いがいるというのか。これは新事実だ。
それにしても、こんなにかわいいキャラクターを戦わせるなんて、非道すぎる。愛護団体から訴えとかはないのだろうか。
「このピカチュウを看板の余白のところに描きましょうよ」
「え、嫌だよ」
「いいじゃないですか。恐らくこのキャラクターが描いてあったら子供人気も出ますよ」
「うーん。それはなんとなくわかるけどな。でもやっぱりピカチュウを描くのは気が引けるな」
「じゃあ私が描きます」
私はヨウさんの絵を見ながら看板の端にピカチュウを描いた。
ヨウさんは「これを掲げるのは嫌だな」とつぶやいていたけれど、聞こえないふりをした。
余白があまりなかったので、全身は描けなかったけれど、頭だけは描けたので、一気に看板の可愛さが増した。
「ふう。これでついに完成ですね」
私は腕でおでこの汗を拭った。
インクの付いたヘラを持った手で拭ってしまったので、ヘラの先がほっぺたに当たってしまった。
急いで擦ったけれど、窓ガラスに映った私のほっぺたは、黒く染まっていた。




