7・戻ってきたリボン
翌朝、ベリエ大公の馬車が私を迎えに来た。
どういうことかと私に問おうとした義母と異母弟を、父が睨みつけて止める。父には早朝に王宮からの使いが来て伝えていたらしい。
登校の支度を整えた私に、ベリエ大公が手を差し伸べた。
「ご安心ください、ドリアーヌ嬢。私達は婚約者ですが、馬車の中にはちゃんとメイドが待っています。君の名誉を穢すような真似はいたしません」
私とベリエ大公が婚約者?
そんなこと有り得ない。昨日の今日だ。
しかも私はポール王太子殿下の婚約者だったのだ。
「……ありがとうございます」
疑問を飲み込んで、私は彼の手を取った。
ポール殿下の鍛えた手とは違う白くてしなやかな手だ。
だけど男性の大公の手は大きくて、長い指は見た目よりも硬く骨ばっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
馬車に乗って魔術学院へ向かう。
ベリエ大公が言った通り、馬車の中にはメイドが待っていた。
知っている顔だ。
「ニナ?」
「おはようございます、ドリアーヌ様。これからよろしくお願いします」
「国王陛下と妃殿下にお願いして王宮から引き抜いたんです」
大公は事もなげに言う。
私は王妃教育が忙しくて魔術学院では友達を作れていない。社交界で知り合った方々とは上辺の付き合いだけだし、ポール殿下とセリア様のことがあるので、どう見られているのかが怖くて自分から声をかけられないでいた。
親しく話すのは、王宮で世話をしてくれているメイド達だけだった。
「君が王宮で接したメイドの中で一番仲の良い娘だったでしょう?」
「は、はい」
私をニナの隣に座らせて、向かいの席に腰かけている大公を見つめる。
「どうしましたか、ドリアーヌ嬢」
「……大公殿下は本当に我儘を許されている方なんですね」
「ええ、期限付きですがね。その辺りのことはまだ君にお話しする許可が出ていません。私は君を魔術学院へ送り届けた後、王宮で公務を済ませます」
「公務を?」
「大公としての役目と国王陛下の補佐をする仕事があります。陛下も妃殿下もご健勝とは言い難いお体ですからね。ポールにも早く覚えてもらいたいのですが、彼は騎士団で体を鍛えるほうが好きなようで。……私はずっと手伝えるわけではないというのに」
「大公領に戻られるのですか?」
ベリエ大公の領地は王国の国境沿いにある。
豊かな自然が富と災いをもたらす土地だ。
今は父と同じように代官に統治を任せているのだろう。幼いころの私は、お母様とサジテール侯爵領で暮らしていた。その間お父様は王都で、結婚前の義母や異母弟と生活していたのかしら。
「そうですね。いつかは戻りたいです」
大公は私の問いに、少し寂しげな微笑で答えた。
「授業が終わったらニナがこの馬車で迎えに行きますので、王都にある私の屋敷で待っていてください。なるべく早く区切りをつけて戻ります」
「……え?」
「今日から君は私の屋敷で暮らすのですよ?……サジテール侯爵家からは離れたほうがいいでしょう?」
彼の言葉に、ニナが力強く頷いた。
「大公殿下のおっしゃる通りです。以前から腹立たしく思っておりました。王太子殿下の婚約者であらせられるご令嬢の扱いではありません。こんなにお美しいお嬢様を申し訳程度に整えるだけだなんてもったいない! 私がドリアーヌ様の専属メイドとなったからにはお髪もお肌もピッカピッカにして差し上げます」
「ニナ。ドリアーヌ嬢はもうポールの婚約者ではありませんよ?」
「失礼いたしました、大公殿下。ですが大公殿下の婚約者としても、サジテール侯爵様のお宅での扱いでは足りません。……ドリアーヌ様、昨夜もあまりお食べになっていらっしゃらないのではございませんか?」
見抜かれていた。
ひとりで食べる冷たい料理は、あまり喉を通らないのだ。
「僭越ながら、お食事に関してもこのニナが腕を振る舞わせていただきますよ」
「期待しているわ」
そうこうしているうちに、馬車が魔術学院に着いた。
魔術学院にはメイドを同行できない。
ニナと、ベリエ大公とはここでお別れだ。大公の印象が薄かったのは、こんな風に登校しない日が多かったからなのかもしれない。
「ドリアーヌ嬢」
馬車を降りたところで呼び止められて、あるものを渡された。
「ベリエ大公殿下、これは……」
「お守りです。今日はポールも王宮に用事があるので登校しませんが、私とのことで君に不躾な視線を向けるものがいるかもしれません。主だった貴族の家には、朝のうちに婚約の件を伝えてありますからね。そんなとき、これがあれば少しは元気が出るのではないですか?」
「ええ、出ます。とても元気になれます」
──渡されたのは色褪せもなく、綺麗に洗われて大切に保管されていたことがわかる緑色のリボン。私の王子様の瞳と同じエメラルドのリボンだった。
それはそうとベリエ大公、馬車にメイドが同乗していても、同じ家で寝泊まりするのなら結局疑われてしまうと思うのですが。
……婚約者だから同居は花嫁修業と見なす、ということなのかしら。