13・気が狂いそうなほど
胸に激しい痛みを感じてクレマンは図書室の窓から離れた。
窓から見える木の下には、楽しげに昼食を摂るドリアーヌとポールの姿があったのだ。
魔術学院へ入学してからドリアーヌが昼食を摂っていないことは知っていた。
男爵令嬢や異母弟がいる生徒会室へは招かれていないし、学食では好奇の視線に晒されるからだ。もちろんあのサジテール侯爵家が用意するはずがない。
だからニナにサンドイッチを用意するよう頼んでいた。
白い貴婦人への対抗策を探る時間を作るため、昨夜はほとんど徹夜してしまった。
昨日の夕飯は別々だったから朝食と登校は一緒にしたいと思っていたのに、仮眠のつもりが熟睡してしまいこの時間。
それでも昼食をともにできるかもしれないと思い、中庭にも裏庭にもいなかった彼女を探して図書室へきたらこの光景だ。
(……いや、これでいいのかもしれない)
クレマンは溜息を飲み込んだ。
最初から望んでいるのはドリアーヌの幸せだけだ。
大切なリボンを預けてくれた侯爵令嬢、生きる意味をくれた少女、思うだけで世界に光が満ちる初恋の相手、そして従弟である王太子の婚約者。あのときの少年だと伝えなくても、心優しい彼女は知っている人間がいなくなれば悲しむだろうと思い、なるべく接点を作らずに生きてきた。
(なのに……)
クレマンは胸を押さえ、窓の外から見えない位置、窓が見えない位置の椅子に腰かけた。
昼休みの図書室は人が少なく静かだ。
武勇を貴ぶ気風の国なので、魔術にしろ剣術にしろ戦闘力に長ける人間のほうが好まれていて、王宮の文官のような事務職は低く見られている。幼いときから変わらずふたつ年下の従弟に体格でも腕力でも負けているクレマンなど、男の区分に含まれない。
(なのに夢見てしまったんだ)
ドリアーヌがずっと想っていたのが従弟の振りをして会っていたときの自分だったと知って、その心の色がもうポールへの愛で煌めいていないことに気づいて、クレマンは夢を見た。
初恋の相手だと名乗り出て、ずっと預かっていたリボンを返したら、彼女が自分を愛してくれるのではないか、と。
クレマンが喉から手が出そうなほど欲しかった、ポールを見つめていたときの瞳で自分を見つめてくれるのではないか、と。
ドリアーヌは初恋の思い出をポールに重ね続けていたが、クレマンの初恋は日々更新されていた。
従弟を見つめる彼女の姿が心に刻まれるたび、痛みとともに想いは深くなっていったのだ。
彼女は初恋の相手、そして今も愛する少女、明日明後日と時を重ねるごとに想いが深くなっていく女性。
(我ながら気持ちが悪いな。……わかっているのに)
どうして従弟が婚約者に冷たいのか、クレマンはずっと理解できなかった。
たとえ宿敵の娘であったとしても、あんなに熱い瞳で見つめられたなら恋に落ちるものではないのか、と。
しかし今は理由がわかっていた。ドリアーヌの想いが本当のポールに向いていなかったからだ。誤解されがちだが、莫迦では武芸を極められない。騎士団長も認める腕前のポールは聡く、クレマンよりもずっと前から彼女の真意に気づいていたのだ。
(彼女が本当のポールを見たら、ポールが彼女を受け止めたら)
なんの問題もない恋人同士の出来上がりだ。
新しい婚約者という名のお邪魔虫はもうすぐ消え去る。
ドリアーヌが話してくれた未来の話のように卒業パーティでの婚約破棄では醜聞になるだろうが、貴族社会の勢力図は常に動いている。政略的な問題で婚約が解消され、新たに結ばれるのは珍しいことではなかった。
ましてやポールは未来の王だ。
死んだ従兄が遺した婚約者を娶れば、慈悲深いと褒め称えられるに違いない。
最初は彼が相手と婚約を結んでいたなどという昔話は、そのころには消え去っている。王都と周辺の町が滅んで残骸が焼かれただけで、白い貴婦人の話だって人々の頭から消し去ることができたのだから。
(それが正しい形だ)
未来の──死に戻る前のドリアーヌは王妃だった。
男爵令嬢セリアを愛妾に迎えるための形だけの王妃でも、彼女は受け入れた。
「……っ」
吐き気がして、クレマンは自分の口を手で押さえた。
昨夜ドリアーヌにその話を聞いたとき、何度暴れ出したくなったかわからない。彼女はポールの妻になった。彼に、あの逞しい従弟に抱かれたのだ。
嫉妬する権利などないとわかっている。起こってもいない未来の話なのだから。
それでも嫉妬が止まらない。
気が狂いそうなほどの嫉妬が体の中で荒れ狂っている。
胃の底からなにかが上がってくる。体内のものをすべて吐いてしまったら、昨夜彼女に聞いた話を忘れられるだろうか。この身の程知らずの嫉妬も消えてしまうだろうか。
ドリアーヌは、初夜のときに違うと感じてポールを拒み、以来夫婦生活がなかったことをクレマンに伝えていない。
結婚して違うと気づいた、と話しただけだ。
初夜という言葉を発することが恥ずかしかったのである。
「……クレマン様、大丈夫ですか?」
親しくもない人間に名前で呼ばれたことに嫌悪を感じながら、クレマンは顔を上げた。
男爵令嬢セリアだった。
彼女はいつも人の心に土足で踏み込んでくる。それを心地良いと思う輩もいるようだが、クレマンは違った。夜遅くなってしまった食事の席で、静かに話を聞いてくれる少女がいい。彼女でなければ嫌なのだ。
「これはセリア嬢」
白い貴婦人に対抗する策は必要だ。クレマンが犠牲になった後で、ドリアーヌとポールの子どもが生け贄にされたのではなんの意味もない。
それでも彼女の幸せのため、この男爵令嬢は始末しておいたほうがいい。時間を使う価値はある。
クレマンはセリアに微笑んだ。




