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創作についての自己考察。

作者: 黒宮杳騏

多くは完全に僕の引き出しから出て来たものだが、時には何かに影響されて言葉が湧いてくる時もある。

基本的に、書いたものを読み返せばすぐに「これはどういう精神状態で書いたのか」は思い出せるので、何かに影響されたものも「あぁ、これは誰の影響を受けたものだな」と思い出して、そういう時はそっと心の中でお詫びをしている。


本を読むと、その作家の作風(センス)に影響されてしまって、「自分の言葉」が出てこなくなる事がある。

以前、あるノベルゲームにハマった時に、その文章がとても好みだったのも相まって、一切自分の言葉が消えてしまった。

その淡々とした文章は、まるで自分の言葉のように僕の頭を無自覚に支配して、生まれてくる言葉や情景がすべて自分のものだと錯覚さえしそうになった。

だから、少々癖のある文章を書く人の本は基本的に読まないか、もしくは読んだ後しばらく、影響が抜けるまで一切の文筆活動を自粛する。

そうしないと、書いている途中で自分の言葉と他人の言葉が混ざり合ってしまうからだ。

それでは純然たる僕の作品とは言えない。

そうなってしまった作品は、大概書きかけで放置して「お蔵入り」になる。


時々、書いている途中に作品の方向性を見失ってしまう事がある。

大抵が私事に起因する、俗に言う「スランプ」というものだったりするのだが、そこから脱却する方法というのは、残念ながら僕は知らない。

とりあえず、何を書いても納得がいかないので、スランプ中は何もせずに好きな音楽を聞いたりして過ごす。


「自分が納得していない作品が、他人を納得させる事など出来る訳がない」

というのが僕の自説だ。


過去に書いた作品でも、時間に追われて書いただけで気に入っていない箇所はある。

例えば、長編の「それは彼女にとってとても大切な存在(モノ)だった」に関しても、後半へ行くにつれて「自分の中のイメージをそのまま描写する」という当たり前の事をしようとしても全く上手くいかず、とりあえず「5の倍数の日に投稿する」という自分で決めたルールだけは守ろうと、未完成のまま投稿してしまった部分がある。

これについては、後で加筆修正をしていくつもりだ。


僕の持論を展開しただけの話が、一体どれだけの意味を持つのかは分からないけれど、ひとまずこれで自分ルールは守れたので良しとしよう。

僕の生い立ちや過去を語った所で、そんなものは取るに足らない私小説だ。

伝記にもなれない、些事の連続でしかない。


だから僕は、作り話の中にほんの少しだけ、僕の現実を混ぜている。

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