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「ああ本当にあそこの娘は醜いのよね」
「知ってる?あの家に婆さんいたじゃない?亡くなったんだってよ」
「醜い娘がいたらそりゃあ死にたくなるでしょ」
「……本当に、醜い子」
口々に噂をする町の女性たち。
その内容は、すべて一人の少女の――17歳を迎えたばかりの――ことである。
彼女の名はアグリー。
アグリーは誰もが見て恐れるほど醜い容姿をしていた。
細くて睨み付けているようにしか見えない目、その目蓋は1重で目を覆い隠す彼女のように大きくて細くて鋭い目をさらに怖く見せる。
口はそれは大きく、どってりとした唇は恐怖でしかない。
何より、恐ろしいのはその顔の右側が火事で焼けたかの様に爛れているのである。
右側の頬はそれは醜くつりあがっており、そんな彼女を人々は恐れた。
唯一誇れそうな綺麗な銀髪とアメジストの瞳はその容姿によって恐怖を倍増させるものでしかなかった。
彼女が恐ろしく、そしてあまりにも醜い姿を見下してやがて、アグリーと呼ぶようになる。
「アグリー!さっさとこっちの掃除をしなさいよ!」
「あんたのせいで叔母様が亡くなったのだから、しっかり働きなさい。」
「なんで、あの人はこんな化け物のような娘を連れてきたのかしら!」
日々、言われている言葉には慣れた。私が記憶があるずっと昔から言われているから。いまさら、何も思わない。
だって、私は醜いのだから。
自分で川を覗いたり、こっそりお嬢様の鏡を覗いたから知っている、私が醜い事を。
「………はい、わかりました。」
私にいつも優しかったのはお婆さん――奥様の話していた叔母様――だけだった。
町の噂を耳にしても、何処からか私を拾ってきたとしかない。なんで、お婆さんは醜い私を拾ってきたのか。
なんで、お婆さんは死ぬ最後の瞬間まで私に優しかったのか。
ずっと亡くなる時も私に名前をつけてくれなかった理由も。
わからない。
「アグリー、どこよ!」
「こちらです、お嬢様」
「はやく来なさいよ、この役立たず。醜いあんたはそうすることしか出来ないのだから!」
そう言って笑うお嬢様。
お嬢様はこの町一番の豪邸に住んでいる。
父君である旦那様が商売で繁栄していったからである。そんな旦那様の娘であるお嬢様はそれは美しい女性だ。
旦那様や奥様が溺愛して、甘やかされて育ったお嬢様。愛情をたっぷり受けて育ったお嬢様を羨ましいと思ったことがないとは言いきれない。
アグリーが側についていると私が更に美しく見えるから、とそんな理由で私を側に置いているお嬢様。
それに私はどうも思わなかった。生きるさえ精一杯だった私が少ないながらも給料を貰えるのはお嬢様の下に付いているから。
醜いと言われても、石や気の棒を投げられ、化け物だと言われも、私は生きようと必死だった。
それがお婆さんに死ぬ直前に言われた言葉の償いになると思っているから。
お婆さんが元側妃付の侍女らしい。なぜ辞めたのか誰も知らなかったけれど、大金をもってここに戻ってきたと話していた。途中で、捨てられていた私に出会い連れてきたとも。
側妃であった人は数年前に亡くなったらしく、王に寵愛を受けているのに一人も子供を授かれなかったという話は私でも知っている位には有名である。その若いながらも早い死に誰もが哀れんだのは懐かしい。
そして、側妃が亡くなってすぐだった。内乱がおこったのは。
「ちょっとアグリー。なにぼさっとしてんのよ。お父様に言いつけてクビにするわよ!」
「……申し訳ありませんでした。」
内乱なんて、私には関係ない話だ。
私は今生きるのに精一杯なのだから。
そんなある日、この村に隣国の王子が来るという噂が流れた。
王都へと行く為に通るだけだが、一目王子を見たい人達、もしかしたら見初められるかもと沸き立つ女性達はざわめきあった。
当然、私の仕えるお嬢様も。
この国に訪れる隣国の王子は第2王子で、王位継承権を第1王子である兄に譲ったことは誰もが知っている。
婚約者や許嫁がいない第2王子と良縁が結ばれる可能性に思いを巡らす人は多い。
お嬢様も毎日のようにうっとりとして、肌も髪も手入れをして王子を来るのを待つ。
私がお嬢様に仕える事をよしとない人は多い。
旦那様や奥様は勿論の事、使用人達も。
理由など、とっくの昔に分かっている。私の容姿が醜いから。
そんな私を仕えさせて人がいる場所では優しく接するお嬢様は天使の様だと言われている。
優しいお嬢様は醜いアグリーを同情して下さると。
そして、そんなお嬢様の近くにいる私に敵意を向けるのは多い。そして、王子が来ると浮かれているお嬢様に使用人の方々は口々に言った。
「お嬢様、王子様が来るのにあのアグリーをお側に仕えさせるのでしょうか?」
「醜い人の子に手を差しのべるお嬢様はとても優しいです。…ですが、醜いアグリーを側に置いときますと王子様に軽蔑させるかもしれませんわ」
「王子様は美しいかたをお好みでしょう?お嬢様があれを連れていたら見初められないかもしれません…」
私がいたら、王子に見初められないかも知れない。その言葉を信じたお嬢様は直ぐ様、旦那様に私をクビにすると伝えた。元々私を嫌っていた旦那はそれは喜んで、給料より多い手切れ金を渡して家から追い出した。
分かっていた。私が誰にも必要とされない事を。
なんで、私はこんなに醜い容姿で生まれてしまったんだろう。
こんな容姿じゃなければ、裕福とは言えないかもしれないけれど誰にも険悪の目で見られずに平和に暮らせたのに。
お婆さんが亡くなる直前に私によく言っていた言葉。
ーーー貴方を愛してくれるかたは絶対にいるわ。だから、お願い…生きて
ずっとそれを信じて過ごしていた。私が生きていてもいいんだという理由を見付けたくて、周りから私を捨てろと言われていてもずっと育ててくれて、孤立していったのに私を恨むはずなのにいつも笑顔で居てくれたお婆さんの為に生きていた。けれど、
「……疲れた、なぁ…」
お婆さんの言葉を疑う訳じゃない。けれど、この容姿の私を少しでも好いてくれる人なんていない事は目に見えている。
だったら、天国にいるであろうお婆さんの所にいきたい。
ふらふらと歩いて行き着いた先。目の前にあるのは深い池。足掻こうとしなければ、溺死できるはず。
ごめんなさい、お婆さん。
心の中で謝って池へと足を踏み出す。
「何をやってるんだ!」
池に落ちる直前、後ろから誰かに抱き抱えられて池から遠ざかる。
あと、もう少しだったのに。そう思ったアグリーは思わず抱き抱えた人に怒鳴りたくなる。
「なんで…!」
「なんでって、女性が人のいない場所で死のうとしたら誰だって止めるだろう!」
「止めないわよ!私は死にたいの!お願いだから、死なせてよ……」
「駄目だ。」
きっぱりと言い放つ私を後ろから抱き抱える人物。声からして男性だろう。
きっとその男性も私の容姿を見たら手のひらを返すに決まっている。
もう、期待なんてしたくない。
アグリーは後ろを振り向いて、そして息を呑んだ。目の前にいる男性…いや青年のそのあまりにも整った容姿に。
濡羽色で艶やかな髪に、グレーのような漆黒で吸い込まれそうな瞳。艶やかな風貌である青年に引き込まれそうになって、慌てて体を離した。
「…この醜い容姿を見ても、そう言える?」
にっこりと笑ってアグリーは言う。
にっこり言っても相手から見たら不気味にしか見えないだろう。この容姿を見れば誰だって怖がって、暴言を吐く。きっとこの青年だってそうだ。
「ああ。」
そう思ったのに青年は真っ直ぐアグリーを見ながらきっぱりといった。その表情には侮蔑の欠片もない。
今まで蔑まれきたアグリーが戸惑うのは仕方がない。
「なんで…」
「…俺のいる場所に、肌が爛れて生まれてきたから親から捨てられたり腕や足を失って周りから避けられたり罪人の子だからと酷い言葉をかけられる人達がいた。けれど、あいつらはそれでも羨ましくなる位に強く生きている。それをずっと見てきた俺が人を蔑む事はしたくない。」
「だからって…」
「俺の自己満足だ。けれど、お前が言うほど醜いとは思わないが。」
「は…」
目を丸くするアグリー。
自分から見ても、絶対に醜いと思う容姿になのに。青年の目は大丈夫なのかと不安になるのは仕方ない。
そんなアグリーの考えを読んだのか、青年は違うぞと笑う。その姿にどくんと胸が打ったのは気のせいだと思いたい。
あれから数日が経つ。
青年の名がルークだと教えてもらったアグリーは彼と毎日のように会っていた。
というよりは、ルーク達がいる宿に強制的に連れていかれて同じ宿に宿泊する事になった。野宿をしようとした私を笑顔で強制的に。
その時に色々と騒ぎになったりしたけれど、ルークに連れられてくる人達とも仲良くなった。
ルークと同じように容姿端麗で一見冷たく見えるけれどルークを何よりも大切にしている右腕が義手である青年。
腕が爛れているのを隠すようにぶかぶなの服を着ていて怯えた表情をしていたけれど同じ私にすぐになついて初めて魔法を見せてくれた少年に近い青年。
この世界で女性は闘うことを蔑まれているのに関わらず戦士である道を選んだとても真の強くて格好いい女性。
ぶっきらぼうで歯に衣着せぬ物言いだけど、実は誰よりもルークを心配していて何故か私に罪人の息子だと教えてくれた何だかんだ優しい騎士の青年。
他にも、沢山のいろいろな悩みをもつ人達にもあわせてもらった。
私のつくった料理が喜ばれるのは初めてのだった。ほつれた場所を裁縫して尊敬の眼差しで見られるのは擽ったかった。
誰かに必要とされるのが、こんなにも幸せだなんて初めてだった。
私の悩みが、死のうと考えた事が馬鹿みたいとルークに伝えたら、そうだろうと笑顔を向けられて頬が熱くなった。
私は、ルークが好きなんだと思う。
それは初めての感情。けれど、その想いを伝えることは出来ないだろうし、無理だと知っている。
ルークが会わせてくれた人達は全員ルークを守る為にいる事にすぐに気付いた。ルークはきっと私なんかが手を伸ばしてもいい存在じゃない。
容姿端麗で美しいルークの隣に立てるのは美しい人物だけだろう。そう思って胸がぎゅっと締め付けられる。
私の中で美しいと思われる人物は一人だけ。私を仕えさせてくれていたお嬢様。
お嬢様がルークの隣に寄り添って微笑みあう姿を思い浮かべるだけで苦しい。
けれど、ルークには、彼には相応しい人物がいる。
胸元をぎゅっと掴んだアグリーはこれ以上考えたくなくて別の事を考える。
お嬢様のいる町とは別の町に通っているアグリー。容姿を隠すために顔まで隠せるローブを着ながらだが。その町で隣国の王子がとうとうお嬢様のいる町を通ると聞いた。
予定していた日よりだいぶ遅れてらしけれど、沸き立つ店の人は興奮した様子でいた。
隣国の王子、見たことはないけれどルークと同じように綺麗な容姿なんだろうと思う。
ルークが例外なだけ。
前みたく死のうとは思わない。けれど、この容姿が醜い事は私が一番自覚しているのだから。
だから、ルークの言った言葉は信じられなかった。
「俺と一緒に王都に行かないか?」
「えっと…」
「明日には王都に向かわないと行けない。けれど、俺はアグリーにも一緒に来てほしい」
「そうですね。アグリーさん程料理の得意な方もいませんし。正直私達の中で料理が出来る方がいなくて困っていたのです。私達の為にもお願いします。」
「アグリー、好き。僕の事を嫌な目で見なかったし、優しくしてくれる。アグリーは、僕達といたくない…?」
「こらこら、そんな言い方だとアグリーが困るわ。女性のいない旅で私も少々困ってたのよ。アグリーがいたら、私も嬉しいわ。駄目かしら?」
「……それはお前もだろ。おい、ルーク様が言ってんだぞ。悩むことなんてねぇじゃねえか。誰も嫌がってねぇしルーク様が願うんだから叶えろ。」
言い方に違いがあるけれど、全員が優しくアグリーに伝えて。
ルークを慕う事は許されない事だと思う。けれど、せめて近くで彼を見ていたいと思ったアグリーはその申し出に頷く。
隠れていた人達も含めて全員がその瞬間喜び上がったのに驚いたのは仕方ない。
翌日、ルーク達の乗る馬車に共にのるアグリーはルークが何者なのか改めて考える。何人もの人々を連れていき、王都まで行ける辺りは権力を持つ人で間違いはないはず。
もしかして、隣国の王子…?いや、そんなはずはない。
王子が恥になる私みたいな容姿の人物を連れていくわけがないし。
結局アグリーが改めて知った事は、ルークが変わっているという点だけだった。
お嬢様の住んでいる町に立ち寄る事はないとルークは話す。
あくまで通り抜けるだけだという彼に、首をかしげるがまあいい。
何台もある馬車。
その中で私がルークと一緒にのる馬車もある。
「……なんで、あの醜いやつがっ…!」
笑って話しながらルークといる私は、そう拳を握りしめる人がいる事に気付かなかった。