第9章 後先考えられず
長い夏休みがあっという間に終わってしまった。今日から2学期だった。
大量にあった夏休みの宿題も29日に薫の家に集まってみんなで片付けた。おかげで残りの2日間だけは気楽に過ごすことができた。
しかし、また今日から勉強付けの毎日だと思うと憂鬱だった。
下駄箱で靴を履き替えていると、よぉと朝から上機嫌な声で声をかけられた。
「あ、おはよー鳩山」
「おう!久しぶりだな。キャンプんとき以来か?」
そう、キャンプのときに鳩山と薫の熱愛疑惑が発覚したのだ。本人はそのことについて聞かれても肯定も否定もしていない。いっそ鳩山本人に聞いてみようかと私は思ったが、なんとなくやめておくことにした。
「そうだね。キャンプすっごい楽しかったよね」
「そういやそんとき三枝と佐々木失踪したんだよな」
「だーかーらー違うっつーの」
この話題をされるのは正直嫌だった。みんなが思っているようなことなんてなかったのに、とやかく言われるのはごめんだ。
教室に行くと、ほとんどの生徒がすでに登校していた。鳩山はさっさと自分の席に向かっていき、私はおはよーと最初に声をかけてくれた涼子たちの元へ行った。みんな雑誌を読んでいるようだった。
「何?なんかかわいい服でもあんの?」
私が尋ねると、涼子が怖い顔をして雑誌をつきつけてきた。
「最近この辺でひったくりがけっこーあるんだって。170センチくらいの痩せ型。右目の下に大きなほくろのある奴!柚芽も気をつけなよー、ぼーっとしてると簡単にかばん盗られちゃうかんね」
「ないない。私に限ってそれはない!」
その5時間後のことだった。私は自転車の前かごに入れていたかばんを見事にひったくられた。
「それじゃ採用にしましょう。早速明日から来てください」
「はい!よろしくお願いします」
ひったくりから約5時間後、私のアルバイト先が決まった。警察には一応届けたが、相手はバイクで黒い服を着ていたことしか覚えていないので役立つことなんて何もなかった。こういうとき、ドラマの主人公はバイクのナンバーを覚えたりするのかもしれないが、そんな芸当は不可能だと思う。代わりにキーホルダーを拾ったが、何の役にも立ちはしない。
かばんの中には、何よりも全財産が入った財布があった。そう、何を思ったのか全財産。
自然とため息がもれた。
家族に話したら、母親にはさんざん文句を言われ、父親には苦笑いをされ、弟にはバカにされた。当然私の周りの友達に話したら同じようなことを言われると思ったので、ミッチーや薫に泣きついたりはしなかった。私がとった行動は、バイトを探すことだった。
三角巾にエプロン。私はうどん屋で働くことになった。
2学期が始まってから2週間が経過した。
平日のバイトは夜の6時から10時まで、休日は3時から10時まで働いている。ウチの高校はバイト禁止だったので、つまりは内緒でバイトしていることになる。どうかバレないことを祈るしかない。
しかし、慣れないせいか授業中に寝てばっかりいた。
「柚芽!起きろ!!」
はっとして目を開けるといつのまにか弁当の時間だったらしい。私は箸を持ったまま固まっていたようだ。ミッチーと薫が覗き込んでいる。
「あんたってありえない所で寝てるよね。前は入学式が終わった後に寝てたし。最近寝れないの?」
「んー・・・・・ちょっとねー・・・」
「もしかして佐々木君たちとなんかあったの?」
意外なことを言われて少しびっくりしてしまった。ミッチーは続ける。
「だって最近一緒にいるとこ見ないような気がして・・・特に佐々木君と」
「・・・?そーかな?そんなことないと思うけど」
そう答えたものの自分でもなんとなく線を引いて接しているような気がしている。恋とかそんなものではないと思う。なんていうか、これ以上佐々木に踏み込んではいけないような気がしたのだ。
「それは・・・恋だよ!三枝君!」
ミッチーがびしっと箸を伸ばしてきた。
「違う違う。そんなんじゃないって」
私は慌ててしまった。今まで西村とも佐々木ともそんなことを言われたことがあるが、どれも根も葉もない嘘っぱちだった。今回もそうだ。そんなはずはない。
と、薫が私の後ろをじっと見つめていた。
「あ・・佐々木君」
ぎょっとなった。慌てて振り返ると・・・振り返ったが、誰もそこにはいなかった。
「・・・なーんてうっそ」
「おや〜?なぜにそんなに慌ててるんですかー?なんか顔も赤いよ〜」
「ちっがーう!私今日バイトだからもう寝る!」
「え!?柚芽バイト始めたの?」
矢継ぎ早の質問が飛んできたが、私は無視を決め込んでそのまま黙々と弁当を食べ始めた。
やばい・・・初めて意識してしまった。
その日の夕方、いつものようにバイトをしていると、スーツを着た男性が1人で来店してきた。眼鏡をかけた優しい印象を与える40代くらいの人だった。別に最初は気にならなかったが、店長の知り合いらしかったので気になってしまった。
「店長、あの人誰ですか?」
「ああ、門脇先生のこと?秀明高校の先生だよ」
秀明という言葉に一瞬反応してしまった。この人ならもしかしたら佐々木と西村の退学の理由を知っているのかもしれないと思った。しかし、部外者である私がそんなことを聞けるはずがなかった。とまどっていると、その人と目が合ってしまった。注文のようだった。
「じゃぁ、この山菜しめじうどんをお願いします」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
テーブルを離れると、にっと帽をかぶった黒服の男性が入ってきてしまった。なんとなくくっそーと思った。
「いらっしゃいませ」
水を持っていくと、すぐに山かけうどんを注文された。
店長が厨房を他の店員に任せて門脇先生のテーブルへやって来た。
「やぁ、先生。最近来てくれないから寂しかったよ。どうだい調子は」
「上々だよ。久しぶりにここのうどんが食べたくて来たんだ。店長こそ最近はどう?」
「まぁなんとか細々とやってるよ」
会話からするとなかなか親しい間柄のようだった。私はなんとなく聞き耳をたてていたが、なんだか盗み聞きのようだったから意識して聞かないようにした。ただでさえ今『盗』という文字が嫌なのに・・・
「あれ?いつもつけてるキーホルダー取っちゃったの?」
聞くつもりはなかったが、店長の言葉に私はぴくっと反応した。
「ああ。どこかで落としちゃったらしいんだ。豆子のキーホルダー気にいってたのに・・・」
豆子、それは一昔前に流行った豆のキーホルダーだった。人相の悪い豆だが、愛嬌がある。そういえば、こないだ私が拾ったのも確か豆子だ。
「あの!」
私は思わず話しかけてしまった。
「どうしたの、柚芽ちゃん」
「キーホルダーってひょっとしてこれのことじゃないですか?」
ポケットから豆子のキーホルダーを取り出す。門脇先生の前に差し出すと、彼はしばらくそれを見た後申し訳なさそうな顔でゆっくりと首を振った。
「すみませんが、これとは違うようです」
「あっ・・・そうですか・・・すみません、出しゃばっちゃって」
しゅんとなった私の横で何かががたんと音がした。振り向くとさっき山かけうどんを注文した男性がこちらを見ていた。私も見返してしまった。黒い髪に、痩せ型、身長170センチくらいの、右目の下に大きなほくろ。その人物は私を見て、明らかにやばいという顔をした。
瞬間、ダッシュでその人物は店を飛び出していった。私はすべてを悟った。あいつがひったくり犯だ。
「店長!ちょっと出ます!」
「おい!柚芽ちゃん!?」
私はお構いなしに店を出て行った。数メートル先に男が走っている。私は店の前に停まっていた自転車に飛び乗った。そして、日ごろ登校で鍛えた自転車の足で思いっきりこいだ。あとちょっとで追いつく・・・ところで男が180度向きを変えてまた走り出してしまったので、どうすることもできずにそのまま電柱にぶつかった。
頭がクラクラした。
「柚芽ちゃん!」
見ると、店長が走って駆け寄ってくる。その向こうで門脇先生が、なんとひったくり犯を捕まえていた。
「大丈夫か!?一体どういうことなんだ?」
「店長・・・あいつひったくり犯なんです。捕まえてください・・・」
そこまで言ったのが最後だった。私は生まれて初めて意識を失った。
目が覚めたのは病院だった。見慣れない天井に、心配そうに覗き込んでいる家族の姿があった。
話によると、電柱にぶつかったひょうしにしたたか頭もぶつけたらしい。そのまま意識がとんだわけだが、命の別状はないそうだ。この後脳に影響がないか検査するとお医者さんに言われた。
ちなみに、ひったくり犯は逮捕されたとテレビで知った。その後のニュースで、私は犯人を捕まえようとして傷を負ってしまった不幸な少女として登場していた。傷といっても、自業自得のかすり傷だったが。
コンコンと病室の扉がノックされた。どうぞ、と答えると門脇先生と店長が入ってきた。
「店長、ご迷惑をかけてすみませんでした・・・」
「何言ってるんだ。すごく心配したんだからね。もうちょっと自分を大切にしないと」
「はい・・・・・」
私は門脇先生を見た。
「あの、こんなことに巻き込んでしまってすみませんでした」
「もう二度とあんな危険なマネをしちゃいけないよ」
しっかりと私を見据えた目は、私の心の奥深くを見ている気がした。
「私は君と似たような境遇にたった人たちを見たことがある。もうこんなことはしてはいけないよ。今、自分がここにいられることをもっと考えなきゃだめだ」
後先考えずに行動した自分の行動を私は今さらになって後悔した。どうして私はこんなにダメな人間なんだろう・・・もっとしっかりしなきゃダメだ。私は2人の言葉をしっかりと受け止めた。
翌日、私がひったくり犯を捕まえようとしてケガしたことがすでに学校に知れ渡っていたことを知った。正確には、電源を切っておいたケータイに多くのメールが届き、それで知った。ついでに私がひったくられたことも知られているようだ。
いつもどおり学校に行くと、クラスメートに出迎えられた。こんなことは初めてだったので少し戸惑ってしまった。傷はたいしたことなかったのだが、ガーゼを当てて包帯を巻いていたのでオーバーに見られるのだった。
「柚芽・・・よかったー」
ミッチーの言葉も嬉しかった。
しばらくしてようやく席に着くと、西村と佐々木が待っていた。
「ケガ大丈夫か?」
西村が気遣うような顔で尋ねてくる。私は苦笑して大丈夫と答えた。
と、そのとき頭をぽんぽんとなでられた。佐々木が一瞬顔をうつむかせ、しかしすぐに笑顔になって、
「心配させんなよな!」
「ん・・・ごめんね」
佐々木が一瞬だけすごく悲しい顔をしたのを私は見た。
みんなの気遣いがすごく嬉しかった。まさか、ひったくり犯を捕まえようとして、失敗して自分で電柱につっこんだなんて口が裂けても言えない。