第5章 親って超大変
5月になった頃には、すでに西村と佐々木はまるで転校生だったことを忘れさせるくらいすっかりクラスに馴染み、6月に入った今、クラスの中心的存在になっていた。
たぶん体育祭が終わった頃からだろうか。2人はすごく人気になった、とミッチーが教えてくれた。彼らの影響か知らないが、西村、佐々木と名前が出ると、一緒にくっついている人として私の名前が出てくるらしい。なんだか当の本人たちが知らないところでいろいろ言われているのかもしれない。
その噂の人物の1人、佐々木翔太に初めて別の噂が浮上した。
「はぁ?佐々に隠し子?」
「そうそう!もうすっごい噂だよ。さっき佐々木君が小さな子供を保健の先生に預けてたんだって。そのとき、『何かの間違いだと思うんですけど』って慌てたカンジで言ってたからマジで隠し子だったりして。でも・・・だとしたらちょっとショックだな」
ミッチーの言葉に私も薫もへーと感心してしまった。
チャイムが鳴ったので、もうすぐ足立先生が来てホームルームが始まるだろう。多くの生徒がすでに教室に入っているのに、佐々木がまだ教室にいないことがますます噂に拍車をかけた。
そのとき、教室の後ろの扉が開いた。いつもは犬のようにはしゃぎながらおはよーと挨拶する佐々木が、今日はしょんぼりとうなだれて一言も言葉を発することなく自分の席に着いた。クラスメートの誰もが声をかけることができなかった。
足立先生も教室に入ってくる。いつもはもっとざわざわとホームルームが行われるのに、この日に限ってはしんと静まり返ったまま終わった。
沈黙を破ったのは、他ならぬ佐々木だった。彼はペットボトルのお茶を飲みながらきょとんとして、
「なんか今日みんな静かじゃない?」
その言葉に、みんな挙動不審にオロオロとする。しばらくして落ち着いている西村が代表して質問をした。
「佐々、隠し子がいたんだって?」
とたんに、佐々木は飲んでいたお茶をぶっと吐き出しそうになっていた。
「はぁぁあ?」
「朝、保健の先生に子供を預けてたって・・・」
「ちっげーよ!俺の子じゃねーよ!」
はっとして、佐々木は教室を見渡す。
「それでみんな今日変なのか・・・・・・」
「で、結局のところどうなんだよ?身に覚えねーのかよ?」
よく喋る男、鳩山大貴がニタニタと笑いながら尋ねてくる。だんだんクラスの雰囲気も元通りになってきた。
「ないよ。俺彼女いたことないし」
「えっ!?そうなん?意っ外〜!」
「だって照れるじゃん!」
「おまえかわいいなー。今絶対女子の母性本能くすぐりましたぜ」
精一杯照れ隠しをする佐々木の態度は、確かに見てて微笑ましくなってくる。女子のほとんどがクスクスと笑った。
「じゃぁ誰の子なんだよ?」
「・・・・・や、俺にもわかんないんだ。朝起きたら隣で寝てて・・・」
「佐々木の知らない間に弟か妹が誕生してたのかもしれないぜ」
「・・・それはないって。ウチのオヤジすっげー堅いもん」
答える前に一拍置いたことに私と、おそらく西村も気づいた。佐々木のお母さんは、佐々木が小学生のときにすでに交通事故で亡くなっていたのだ。あの頃の彼は、周りに悲しいことを悟られないようにいつも笑顔で接してきたので、逆にそれが痛々しかった。佐々木は泣いていないのに、なぜか私が泣いてしまったことを思い出した。
今では、佐々木家はとてもにぎやかである。彼の他に、似たような性格の双子の妹がいるので、弱腰の父親がいつも大変な思いをしているらしい。
「それに今親が家にいなくてさ、電話しても出ないから確かめられないんだ。学校休むのもアレだったから保健の先生に相談して預かってもらった」
どうやら、佐々木の隠し子の噂はここで間違いであることが証明されてしまったらしい。それにしても、クラスメート全員にこんなに心配されるというか気にされる佐々木は、本当に好かれているんだなと私は改めて実感した。
「みんなごめんな。つきあわせちゃって・・・」
放課後、佐々木の家に私、西村、薫、ミッチーの4人が集まり、子供の面倒を見ることになった。これもわからない話なのだが、リビングのテーブルの上にはオムツやミルクの粉などが入った袋が置いてあり、3、4日くらいなら生活できそうだった。
「親戚の誰かの子じゃないのか?預かってくれるように頼まれてたとか」
「覚えないんだよ・・・」
困ったように頭を抱える佐々木の傍で生後1年に満たない赤ちゃんはびーびーと泣き出してしまった。
「あーよしよし。ミルクの時間かな〜」
慣れない子育てだったが、ミルク缶の記載どおりにミルクを温めて飲ませた。
「柚芽、お母さんみたい」
ミッチーの言葉がなんだか私には照れくさかった。
「でも、子育てして初めてわかるお母さんの大変さってやつだね」
薫も興味津々にその様子を眺めている。
「俺も早く結婚したいなー」
それは佐々木の言葉だった。
「佐々木君、彼女とか照れくさいんじゃないの?」
「男だし、ほしーよ。相手がいないだけ」
「じゃぁ、柚芽なんてどーよ?」
突然話題にあがってしまってさすがにびっくりしてしまった。
「幼なじみの三角関係とかないの?」
ミッチーの言葉を聞いて私たち3人は、深いため息をもらした。自分たちでもかなりジジ臭いため息が出たと思った。
「マンガじゃないんだから、そんなのありえないって」と私。
「だよな。腐れ縁じゃなくて腐りすぎた縁だし」と西村。
「俺たちって他人が考えてるような素晴らしい友情で結ばれてるんじゃなくて、自己中心的な人間の集まりってカンジ」と佐々木。
言ってむなしくなってきた。ジジ臭い空気が流れた。
いつのまにかミルクを飲み終わった赤ちゃんは、あっとかきゃっとか言い始めた。
「ミルク飲んじゃったー?おいしかったかな?」
「きゃーぁ」
そのかわいらしい声とともにその子はげっぷを出してきた。それが私の顔にミラクルヒットする。確かに、ミルクを飲んだら空気を出したほうがいいと思うが、まるで狙ったかのように私の顔に向けて出さなくてもいいのに。
手をぶんぶんと振り、笑顔でみんなを見渡した。そして、キッチンに向かってハイハイをし始めた。
「あっ、もうハイハイできるんだ」
薫と私の間を通り抜けていく。キッチンのテーブルの下までハイハイし、ぺたんとその場に座った。反動でテーブルが揺れた。
「あぶないっ!!」
西村の声で私ははっとした。揺れたテーブルの上から置いてあったマグカップが落ちてきたのだ。とっさに体を乗り出したが、傍にあったイスに足の小指をぶつけてそのままこけてしまった。
一拍置いて起き上がった。見ると、マグカップは赤ちゃんとは離れた所に落ちていた。関係ないが、プラスチック製らしい。こっちの心臓が縮んだ。
「ほーら、もうお休みの時間だよ」
佐々木が傍に行ってその子を抱き上げた。私の前まで来て、
「はい、お母さん」
「え?なっ何!?お母さん?」
「この子のお母さん」
そう言われて赤ちゃんを渡され、私はその子をだっこした。笑顔で手を伸ばしてくる。もともと子供好きだからかその行為がうれしかった。
「あっきゃ」
いつのまに持っていたのか、赤ちゃんは左手にマジックを持っていた。そして、あろうことかキャップを抜いて私の顔にペン先を押し付けてきた。
「ひゃーーー!!やめてー!」
私の右頬にひげが生えた。
「柚芽っていつ見ても飽きないよな〜」
のんきな佐々木の言葉だった。
「あんたらと関わるとロクなことが起こんないんですけど・・・・・」
「いや、俺らは楽しいよ」
そんなことを言ってもらいたかったわけでなはいのだが、もう何も言う気にならなかった。
私の腕の中で赤ちゃんはすやすやと寝息をたてていた。
佐々木に次に会ったのは月曜日だった。
「あの子供なんだけどさ、俺のいとこの子供だったんだ。なんかこの前預かってくれって電話がかかってきたことすっかり忘れててさー、そのとき俺寝起きだっかからかなり寝ぼけてたみたいなんだ。金曜日学校ないとか言っちゃてたらしくて・・・ちなみに名前は聖羅ちゃん。俺初めて会ったんだ」
陽気に佐々木はそう言った。
「柚芽、殴っていいんじゃない?」
「そう?カズがそう言うんなら殴っちゃおうかなー」
「いや、待って待って!柚芽、お母さんみたいだった。聖羅も喜んでたよ!俺もなんか久しぶりに母さん思い出すことができたし!」
「・・・え?」
佐々木はにーっと笑う。その笑顔が、本心であることが私にはわかった。
今回の出来事でわかったことがある。まず、子供を育てるということは大変だということ。世のお母さん、お父さんはいつもこんなハラハラしているのだろうか。2つ目、あいつらが来てから私にとってロクなことが起こらないということ。