第4章 男好きの天才犬
体育祭が終了すると、待ってましたと言わんばかりにやって来るのが、中間テストである。
テストといえば、「私全然やってないよ」と言っている人に限って、なぜか返ってきたテストの点数が良かったりするものだが、私の場合、「やってない」と言ったテストはとことんやっていないので、たいてい平均点以下で返ってくることが多かった。
「柚芽ってさ、理系科目はわりとできるのに文系科目はイマイチだよね。今さらだけど、なんで文系に来たの?ってカンジ」
「うっ・・・だって数学難しくなるって聞いたし」
薫の言葉はもっともだった。
「だぁぁぁ!全然わかんないよ〜英語なんて嫌いだー!!」
「じゃぁ、あの2人に教えてもらえばいいじゃん。秀明高校出身なんでしょ?」
「2人って・・・・カズと佐々のこと?やだよ。中学のとき教えてもらったら、散々バカにされちゃったもん」
「でもこれじゃやばいと思うよー?」
薫は今日返ってきた私の英語の小テストをひらひらとさせた。100点満点中25点という数字が時々見える。このテストの平均点は70点前後だ。
確かにこのままだとやばいかもしれない。私は、ちらりと教室の真ん中で男子たちに囲まれて談笑している2人の姿を見た。バカにされまくったが、その後の中学のテストはかなり点数が良かったことも事実だった。
中間テストまで1週間をきっている。明日の土日が最大の山場だ。
2人に頼んでみよう。このままじゃほんとに点数悪そうだしね。私はそう決意した。
勉強を教えて欲しいと必死に頼み込むと、以外にも佐々木も西村もあっさり承諾してくれた。私と佐々木は、今西村の家に向かっている。西村の家は住宅街の一角にあるごく普通の家で、時々遊びに来たことがあった。
ピンポン、とインターホンを押すと西村本人が出た。
『鍵開いてるから入って』『ぶきしっ!!』
西村の言葉とその背後でオヤジ臭いくしゃみが重なって聞こえた。
「あれ?今日誰もいないって言ってなかったっけ?」
「なんか最近犬みたいな生物飼い始めたらしいよ」
「何ソレ?犬じゃないんだ」
不審に思いながらも、玄関のドアを開ける。と、私は何かを踏んづけてしまいそうになり、避けようと思った拍子につまづいて転んだ。
「あっ、クゥ大丈夫か!?」
西村がその何かを抱えるのがわかった。
「それがクゥかー。踏まれなくて良かったなー」
と、佐々木。誰か1人くらい私の心配をしてくれたっていいのに。むくりと起き上がると、西村と目が合った。
「大丈夫?」
「遅いよ」
「ごめん。この子、俺んちのペット。名前はクゥ。犬みたいだろ」
「・・・犬じゃん。コーギー」
まだ少し黒っぽい毛が混じっているが、茶色い毛並みに胴長短足の体形、尻尾もほとんどない。間違いなくウェルシュ・コーギー・ペンブロークだった。こんなに立派な犬なのに、なぜ犬みたいだろ、と言えるのだろうか。
「ぶるっ」
それが、その犬の鳴き声だった。
「すげー鳴くじゃん!犬みてー」
「いや!むしろ鳴き声のほうが犬じゃないような気がするんですけど!」
佐々木も西村もボケてるのか本気なのかイマイチわからないのだが、とりあえず私たちは中にあがらせてもらうことにした。
2階の西村の部屋は、必要最低限のものしか置いていない殺風景な部屋だった。ベッド、たんす、テーブルに机、本棚、パソコン。それ以外はすべて押し入れに仕舞いこまれているらしい。
「見て見てー!カズのベッドに茶髪の毛が!!」
佐々木が嬉しそうに短めの毛を見つける。私はおおっと思った。
「マジ!?今度彼女紹介してよ!」
「違うっ!!家族の誰かだよ。家で茶髪は母親とクゥしかいない!!」
飲み物を持ってきた西村が慌てて否定した。なんだと私が思ったのに対し、佐々木は理解しなかったようで、
「え?母ちゃんと一緒に寝てんの?」
「・・・クゥの毛だよ・・・!それは」
そんなやり取りを無視して、私は持ってきたバッグから英語のノートと教科書を取り出した。薫が言うには、英語なんてちょっと覚えればいいだけの話らしいが、私にはその覚えることが暗号のように思えてしょうがないのだ。
そのとき家の電話が鳴った。西村が電話に出るために部屋を出る。
気づくと、いつのまにかクゥが傍にいた。
「クゥ?どうしたの?」
なんだかかわいらしい顔で私のことを見つめてくるので少し照れる。クゥはそのまま下を向いて、くんくんと鼻をひくひくとさせ、近くにあった私の英語のノートを・・・噛みちぎってしまった。びりっと音がする。
「クーーーー!!!」
私の声に驚いたのか、クゥはぶるっと鳴いてから窓へ向かって、あろうことか破いた私のノートの切れ端を窓の外に捨ててしまったのだ。
「あぁぁぁ!何するんだよー!」
「あっちゃー・・・今日は風が強いからねー」
隣で佐々木も身を乗り出す。どうしようと慌ててオロオロしていると、視界にクゥの姿が入った。なにやら口をもごもごとさせている。
「食べちゃダメー!吐けー!」
「ぶきしっ!!」
豪快なクゥのくしゃみだった。さっきインターホンから聞こえたオヤジ臭いくしゃみは、どうやらこの犬によるものらしかった。それはともかく、くしゃみと同時に唾とノートの細かい切れ端が飛んできて、私の顔にぺちょっと貼りついてしまった。
変な悲鳴と変な鳴き声と笑い声が西村家に響きわたった。
西村が戻ってくるとクゥは静かになった。たまに私の手を踏んできたりするが、西村の前では悪戯をするようなことはない。西村のことが大好きらしい。佐々木にも懐いているので、クゥは絶対男好きのメス犬だと私は思った。
思えば、人懐っこい佐々木が特別に懐いているのが、この西村だと言えるだろう。まるで飼い主とペットのような関係だ。
拾ったノートの半分はすでに風に吹き飛ばされてしまった。仕方がないので、2人に見せてもらおうと思ったら、
「ノート今学校に置いてあるんだ」
とあっさりと言われてしまった。英語のテストは月曜日。赤点は覚悟しなければならないかもしれない。
ふと、たんすの上にある写真立てが目に入った。
「あっ珍しい。写真だ」
前に来たときにはなかったものだ。ひょこひょことそれに近づくと、それが学級写真であることがわかった。しかし、誰も見知った顔がない。正確に言えば、佐々木と西村以外は誰も知らなかった。
「それ高1のときの学級写真だよ」
「秀明高校の・・・?」
「そう。それしかなかったんだ、写真」
西村の顔はなんとなく寂しそうに見えた。
そういえば、自主退学してきたと言っていたが、何か特別大きなことがない限り退学なんてしないはずだ。本人たちは言いたくなさそうだから私は理由を聞くことができなかった。
「前の学校に戻りたい?」
なぜこんなに緊張してしまうのだろうか。なぜこんな質問をしてしまったのだろうか。
2人は一瞬顔を見合わせてから、ゆっくりと首を振った。西村が答える。
「・・・・・もう戻れないよ」
「・・・・?どういう意っみぃ!?」
語尾がおかしくなったのは、私がおかしくなったからではない。背中にタックルをくらって前のめりに倒れ、壁に頭をぶつけたからだ。たんすの角に頭をぶつけなかった分まだましかもしれないが、今日の私は踏んだり蹴ったりだ。いや、踏まれたり蹴られたりだ。
タックルをした張本人は、私の近くでぶるっと吠えている。
「クゥ、柚芽のことが大好きなんだな」
佐々木がひょいっとクゥを抱き上げると、きゅーんとかわいい声を出してみたりしてされるがままにだっこされている。違うだろ、と私が思ってその様子を見ているとクゥと一瞬目が合って、ぷいっとそっぽをむかれた。絶対男好きだよ。
ひょっとしたら私が空気の読めない質問をしたから注意しただけかもしれない。ひょっとしたら、飼い主思いの利口な犬なだけかもしれない。真相は闇の中だった。
結局、佐々木と西村には次のテストに出るかもしれないヤマをはってもらい、無事だった残りのノートを必死に勉強して英語のテストに臨んだ。
「柚芽、どうだった?」
返却されたテストを見て私は愕然となった。
「薫・・・見て。93点とっちゃった」
「うっそ!すごいね・・・今までで最高点じゃない?」
テストのヤマはほとんど当たっていた。なにより、クゥによって破かれたページの問題はあまりなく、残ったほう、つまり私が必死に勉強したほうの問題がたくさん出たのだ。手ごたえも十分にあった。
本当にすごい。西村と佐々木。それからクゥ。彼女が天才なのか、ただの偶然なのかはわからなかったが、数日後に西村が、
「クゥって犬だったよ」
と教えてくれたことから、正式に犬であることが判明した。っていうか、どこからどう見ても犬にしか見えないけど・・・
 




