幕間2 小2の涙とひだまり
楽観的な考え方と自己中心的な性格、そして面白いことが大好きなところはとにかく母親と似ていると昔から言われてきた。佐々木翔太は母親似だった。性格を知らなくても、外見だけで父親より母親に似ていることがわかる。佐々木が父親に似ているところと言えば、器用なところだけだと思う。
「翔太は親のいいところだけ受け継いだよな。小夜は学校一美人だったけど、かなりぶきっちょ。反対に俺は外見は悪いが、器用なことは自慢だったからなー」
父である佐々木春明はよくこんなことを言ってきた。顔がどうとかはわからないが、確かに何でもできた。
母の名前は佐々木小夜。今の佐々木翔太の原点であると言える人だろう。
今から10年くらい前になる。
佐々木翔太は小学校2年生だった。持ち前の明るさと、なぜだか人を楽しくさせる雰囲気があるのか学校ではいつも周りに友達がいた。その中でも特に仲が良かったのは、1年生のときからずっと同じクラスの西村和樹と、三枝柚芽だった。元々2人は保育園に通っていたときから友達だったらしく、最初に名簿番号順に座ったらたまたま柚芽と隣の席だったことがきっかけで仲良くなった。
「佐々ー!帰ろー!」
「あっ・・今行くー!」
ちなみに佐々というニックネームの由来は、最初に柚芽と西村に自分の名前を言ったときに、『ささき』を『しゃしゃき』と聞き間違えられたため、訂正して「ささ!」と言ったときから『佐々』と呼ばれるようになったのだ。
小2にしてすでに潰れかけた黒いランドセルをしょって、いつも翔太たちは3人で帰った。
「ねーねー!あそこの電柱まで3人で勝負しようよ!」
柚芽の提案で、翔太たちは一気に駆け出す。提案者の柚芽がフライングで先に飛び出したが、たいていは西村が勝ってしまう。テストではあまり負けたことがないのに、翔太は走ることではいつも負ける。
「カズ、すごーい」
別にこの頃は柚芽に対して特別な感情は抱いていなかったが、そんなふうにカズを賞賛するのをいつも悔しい思いで見ていた。
「おーっ!みんな、おっかえりー!」
そのとき、自転車で坂道をけっこうなスピードで下ってくる人の姿があった。翔太にはすぐに誰だかわかった。
「お母さん!」
買い物帰りらしい母、佐々木小夜だった。
「なになに?3人で競走?」
「うん!おばさんもする?」
「お姉さんは自転車だから絶対勝っちゃうよ〜?」
おばさんをお姉さんに変えたのはわざとだろう。翔太は柚芽と西村に手を振った。すでに家の目の前だったのだ。
「じゃーなー!」
「うん。じゃーな」
西村と柚芽が行くのを見送った後、母は自転車をよいしょっと停めた。前かごから買い物袋を持ち上げた。
「どう?学校は楽しかった?」
翔太は玄関の扉を開けてあげた。もちろん鍵はいつも持ち歩いている。
「楽しかったよ。聞いてよ!今日給食の時間にタカシが牛乳一気飲みで吹いちゃってビッチョビチョになっちゃったんだ!」
「えっ、ほんとー!?タカシやっちゃったねー」
「それからカズが・・・・・・・・」
思い返せば、母はいつも翔太の話を聞いてくれた。いつだって笑ってくれた。
リビングに行くと、妹たちがテレビを見て騒いでいる。今保育園の年長で、姉が理緒、妹が麻衣といい、二卵性双生児の双子だった。
「お兄ちゃん、おかえりー」
2人の声が重なって聞こえる。妹も母親似だったから、いつも明るくて子供のくせに聞き上手なところがあった。
「ぃやーーーーー!!!」
変な雄たけびが聞こえてきた。驚いて翔太は声のしたほう、台所へ行ってみると黒いテカテカした、いわゆるゴキブリがかさかさと動き回っていた。翔太についてきた理緒と麻衣がそれぞれに悲鳴をあげて逃げていく。母が、スリッパを高く掲げた。
「わっ、待って!俺にやらせて」
翔太は慌てて母を止めて、ゴキブリをわしづかみにした。男子でもあまり好かないゴキブリだったが、殺すくらいなら逃がしたほうがいいと思った。そのまま家を出て、近くの公園まで行って放した。
帰ってくると、母が玄関先で待っててくれた。
「翔太、ありがとう」
心底ほっとしたような、安心したようなそんな顔だった。
「翔太はひだまりになれるかもね」
「ひだまり?」
意味がわからなくて聞き返す。
「そう!そこにいるだけで周りの人の心を明るく、あったかくするの。それが、私的なひだまり。翔太にも理緒にも麻衣にもそんな人になってほしいなってお父さんもお母さんも思ってる。翔太はなれるかな?」
それは幼心にすごくかっこいいことのように思えた。翔太は嬉しくなって大きくこくんとうなずいた。
「俺、がんばってひだまりになる!」
母はにっこりと笑って、その温かい手を翔太の頭に乗せた。
「でもね、ひだまりになるだけじゃダメ。翔太にとってのひだまりも見つけてね。一緒にいるだけであったかくなれる人・・・・・・お母さんのような!!」
「じゃぁ、お母さんってよく喋るひだまりだね!」
素直な物言いに、なんだとーと言って母は翔太の首に手をまわしてしめようとする。もちろん力は全然こもっておらず、理緒と麻衣が次は私の番だと言って寄ってたかってくる。
「こらこら順番じゅんばーん」
母はやっぱりひだまりのように笑っていた。
その日の夕食は、家族みんなが大好物のハンバーグだった。それが、家族全員で食べた最後の夕食だった。
翌日の学校の帰り道、翔太はいつものように柚芽と西村と一緒に帰っていた。ちょうどそのとき、大通りに並行する歩道に人だかりができているのを見つけた。
「なんかあったのかな」
3人は好奇心で見に行ってみた。小さな体で大人の隙間をかいくぐり、先頭まで来た。翔太の目に電柱にぶつかっている車の姿が目に入った。車がぶつかったんだと頭の中で考えていると、隣にいた西村と柚芽の表情が見えた。2人とも、ある一点を見つめて動かなくなっている。
翔太もそちらを見た。
一瞬ですべてのものが目に入ってきた。
朝まで元気にしていた母が血まみれで倒れていた。傍には、ハンドルの曲がった自転車。仰向けで寝ていて、近くにいた何人かの大人に応急処置をされている。
「お母さん!!」
無意識に叫んでしまった。傍に駆け寄って、何度もその名を叫ぶ。やがて、ゆっくりと母は目を開けた。
「お母さん・・・・・・」
母の手がゆっくりと翔太の右頬に触れた。血まみれの冷たい手だった。昨日なでてくれた温かい手ではなかった。
「・・・・・ご・・めん・・・・・・ね・・・・・・」
翔太が聞いた母の最期の言葉だった。
葬式が行われていても、翔太はずっとぼんやりとしていた。まだ信じられなかった。あの母のことだ。どこからともなくひょっこりと現れるような気がしていたのだ。
葬式に訪れた人の多くが泣いていた。理緒も麻衣も泣きすぎて涙が枯れていた。翔太は父が涙を流すのを初めて見た。
翔太は泣かなかった。涙を流してしまったら、本当の出来事になってしまうと思ったからだ。
それからも、翔太は明るく接してきた。周りに何か言われることが怖かっただけなのかのしれないが、何も考える余裕がないときが1番良かった。
ひだまり、母の残した言葉をそのときは忠実に守っていると思っていた。笑っていないとダメだ。笑っていれば、忘れられる・・・そう思っていた。
あの日、柚芽の涙を見るまでは。
いつも一緒に帰っていた。それは西村も同じことで、葬式が終わった後も変わらず競走したり、とにかく笑いあった。だけど、突然泣いた。道端で突然涙を流した。
翔太は驚いてしまった。西村は何も言わずにただうつむいていた。
「2人とも・・・どうしたの?」
「だって・・・・・佐々・・・・・悲しい、から・・・・・・・・・」
そう言って泣いていた。悲しいから泣いている。ただ純粋な表現だった。
その当時背が同じくらいの西村が翔太の元へ寄ってきて、そしてぎこちない手つきで頭をなでる。温かかった。母のように・・・・・
母はいつだって笑ってくれた。いつだって傍にいてくれた。・・・・・・今はもういない、ひだまりのような温かい存在。
翔太の頬に大粒の涙がこぼれた。
「お母さん・・・・・おかあさん・・・・・・」
ずっと泣けなかったから、涙がとまらなかった。人前でこんなに泣いたのは初めてだった。
後になって気づいたことだ。あのときは自分のことで精一杯でそんなことを考えていなかった。
翔太にとってのひだまりを見つけることができた。
父さん、理緒、麻衣。それから・・・
「佐々ー!遅刻するよ」
今までと変わらずに差し伸べてくれる温かい手。
「柚芽、カズ・・・ちょい待ってよー!」




