幕間1 小5の初恋
その日は、秋のドッジボール大会が行われていた。4クラスの総当たり戦で、1番多く勝ったクラスが優勝になる。
柚芽の5年3組は、これから1組と対決する。1組は優勝候補のクラスだった。
「ぜったい勝つぞー!!」
「オー!!!」
クラス委員のかけ声とともに円陣が組まれる。柚芽は隣にいた西村和樹の肩をぽんっと叩いた。
「当ててこーね!カズくらいしかいないんだもん、当てる人」
5年生は男子の数よりも女子のほうが多い。特に、3組はスポーツの苦手な人の集まりだった。たぶんドッジボールで、隅に固まるタイプとまん中でボールに積極的に関わろうとするタイプに分けられるとしたら、隅に固まるほうが多いだろう。
現に、3組が今まで勝ち進んでこれたのは西村の活躍のおかげでもある。
次の相手は、同じように今まで勝ち進んできた1組だ。優勝候補と呼ばれる理由の1つに、佐々木翔太の存在があった。基本的に何でもこなす彼はドッジボールでも大活躍だった。
「もちろん!柚芽も当たんなよ」
大きなコートに先に1組が入る。その中に佐々木もいた。クラスメートと楽しそうに会話している。
試合が始まった。
試合はすぐに動いた。3組の固まっていた女子が続けて1組男子にボールを当てられて外野に移動になった。これで内野は動きやすくなったが、このまま時間が過ぎると、内野の数で負けが決まる。
3組があせり始めたとき、佐々木がボールを取り損ねて外野に行ってしまった。チャンスが訪れた・・・と思ったときだった。のんきに状況を分析しながらドッジボールに参加していたら、柚芽の顔面にボールが直撃した。
「柚芽!」
頭は当たってもセーフだが、さすがに硬いボールの、しかも佐々木が投げたボールが直撃したのだ。さすがにクラクラしてきて外野に移動する。後で覚えてろ・・と柚芽は胸中で呪った。
その後、別の人を当てて内野に戻ってきた佐々木が奮起して、西村と直接投げ合いになったが、結局ほんの少しの差で3組が負けた。
「柚芽、ごめん・・・大丈夫?」
あの後、鼻血が出て保健室に行ってしまったので、試合終了後に柚芽は佐々木とは会わなかった。その日、帰ろうとすると下駄箱で佐々木が待っていて謝罪された。
「佐々のバカー!!すごく痛かったんだから」
「すっぽぬけちゃったんだよ!ほんとは上手く当てようとしたかった」
「もー絶交だかんね!」
「柚ー芽!わざとじゃないんだから許してやんなよ」
後からやって来た西村がフォローに入る。
と、西村の後ろから数人の男子生徒がどたどたと走ってきた。なにやら興奮した面持ちである。
「おい!和樹ー聞いたか!?」
「え?なんだよ?」
びっくりして西村は尋ね返す。
「1組の内田真希がおまえのこと好きなんだってさー」
「和樹はどーなんだよー!」
内田真希といえば、この学校で1番かわいいと評判の子だった。柚芽は同じクラスになったことがなかったので、話したことはなかった。しかし、クラス委員で偉そうなことを言ってることも、すごくモテモテなことも知っていた。
「カズ、どーすんのー?」
佐々木がニタニタ顔で尋ねる。噂を教えてくれた男子連中はすでに帰ってしまっている。柚芽も興味津々で聞き耳を立てた。
対する西村は平静を装おうとしているが、明らかに照れているのがわかった。
「俺のことなんか好きなわけないだろ!もうやめろって」
今さっき絶交したはずだったが、柚芽も佐々木も2人で顔を見合わせてニヤッと笑った。
その噂が本当かどうかはすぐに確認することができた。
「最初は否定してたんだけど、最近はもう否定してないからほんとにカズのこと好きだよ、ウッチー」
同じクラスの佐々木が教えてくれた。ちなみにウッチーとは、佐々木が命名したニックネームらしかった。
柚芽はなんだかうきうきしてきた。その後の佐々木の言葉を聞くまでは・・・
「ウッチー、もうすぐ転校するんだって」
柚芽にはわかっていた。単純な付き合いの時間の長さでは、佐々木よりも西村のほうが長かったからだ。保育園からずっと一緒で、西村の考えていることはなんとなくわかっているつもりだった。彼は、内田真希のことが好きだったのだ。
真希が転校する日、そのことをそれとなく西村に言ってみると、彼は初めてそれを認めた。昔から、柚芽にだけは正直なことを話してくれた。
「まぁ・・好きっていうか、いっつもキツイこと言ってるけど、ほんとは優しいんだなーって・・・・・何言ってんだ俺」
気恥ずかしそうに左手で口元を覆う。だからこそ、このままだともったいない気がしてきた。柚芽は猛スピードで1組に向かっていった。
残された2人はなんだか嫌な予感がしていた。逃げようとする西村を佐々木はがちっと捕まえる。
「まーまー。カズの悪いトコはすぐ逃げようとするトコだなー」
さすがにむっとした顔で西村は言い返す。
「佐々だって別に今柚芽に告りたいわけじゃないんだろ!?」
知られたくなかった自分の気持ちを誰よりも知られたくなかった人物にバレていたことを佐々木は初めて知った。
「なっなんだよ・・・!それとこれとは話が別だろ!」
「別じゃねーよ!同じだ!」
「違う!ウッチーは今日転校してっちゃうんだ!」
売り言葉に買い言葉だった。佐々木がはっとして我に返ると、半ば呆然とした顔で西村が固まっていた。まさか、と佐々木は思った。
「カズ・・・まさかウッチーが転校すること知らなかったなんて言わないよな?」
そのとき、柚芽が戻ってきた。その顔ですべて察しがついた。
真希はもう学校にはいなかった。
それほど落ちこんではいないようだが、やはり考えるところがあるのだろう。その日1日、西村の口数は少なかった。結局柚芽としては1度も真希と話すことなく終わってしまった。
あの噂が流れたのは、ドッジボール大会のときだったらしい。1組の真希がずっと3組の西村のことを見ていたから、クラスの男子がからかっていたそうだ。
帰りに柚芽は西村と2人で下駄箱に行くと、西村のくつ箱に黄色い便箋が入っていた。差出人は内田真希のようだった。
「カズ・・・私先帰ってるよ」
「あ、うん。ごめん」
その便箋に何が書かれてあったのか結局西村は語ることはなかった。しかし、その翌日の彼の表情は妙にすっきりとしたように見えた。
それは、小学校5年生のときの淡い初恋だった。
それから約5年と半年。
もう二度と会うことのないと思っていた内田真希と意外な所で西村は再会することになる。
「新入部員なんですけど、一応2年の西村和樹です。専門は短距離です。よろしくお願いします」
顔を上げた瞬間、ある人物と目が合った。彼女は陸上部のマネージャーだった。