13.『対話』
『対話』
また、私の嫌いな人が私に聞こえる様に、大きな声で、私への厭味を、誰かと楽しそうに話しています。
その声を聞く度に、その嫌いな人が私の視界に入る度に、その人を“私の物語”から“削除”したくなります。
でも、そんな事は出来ません。
ならば、自分が“消えて無くなれば…”と考えるのですが、そう考えると“私の体”が勝手に泣くのです。
“私の体”が
『アナタが、必死に嫌がらせに堪えているのに、なんて私(“体の私”)は無力なんだ…』と
だから“私”は“体”に尋ねました。
『あの人の声も姿も見たく無いから、あの人の声と姿だけ見えなくなる様に、両目の視界をぼやかしたり、あの人の声だけ聞こえない様にはできない?』
すると
『ごめん。ムリ。でも、私は、どんな事があってもアナタと一緒に、ここにいるよ。心臓を叩いてアナタの事を応援してるよ。だから、一緒に、乗り切ろう』
と言われました。
切り傷を治す(再生する:さいせいする)事が出来る凄い力を持ってる“体”が、自分の“体”を“壊す”事は出来ない事に改めて納得すると共に『それは出来ない!!(視力と聴力を壊す事)』と言い切る“体”に、少し笑えました。
そして何より、自分の“体”と“対話”する事で、少しの間ですが、嫌いな人の声も姿も気にならない様になっていました。
お疲れ様です。
今回は文章を作成していて、改めて“身体は自ら死ぬ事を選ばない事”を再確認させられました。
どんな時でも“生き続ける”と言う事しか考えていません。
心が壊れそうになっていても身体は元気なんです。
上手く説明が出来ませんが、なんか“身体が元気”と言うだけで、落ち込んでいた心も“身体の元気パワー”で引っ張り上げてくれそうな感じになりませんか?
私が単細胞だから、そんな感じがするのでしょうか?
まぁ、何はともあれ今回の作品は
“身体は、自分を生き続け様とする為に不利になる様な事(視力や聴力の破壊。ましては死ぬ事)はしない”
という事を再確認できた作品だと思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




