第6話 heroically~勇敢な~
それが襲ってきたのは一行がモリトー村に大分近づいてきたときのことだった。
見つけたのは馬車を先導していた近衛騎士の一人で、彼はそれを見た瞬間に叫んだ。
「魔物だ!! 魔物が出たぞ!!」
一行に緊張が走ったのは言うまでも無く、このような事態を一度も経験したことのない箱入り娘のエスメラルダ王女に至っては混乱して指示も出せない有様である。
「な、なにが起こったのです!? 魔物とは!? だ、だいじょうぶですよね? この馬車は」
王女とは対照的に落ち着き払っているのは対面に座るレド侯爵である。
その輝かしい経歴に見合った経験を持つ彼は、魔物との戦いも数多く経験していた。
王族の護衛としても長い経験があり、このような事態にも勿論慣れている。
そもそも、彼が着いてきているのはこんな事態に対処するためなのだ。
だから彼は落ち着いて王女を諭す。
「魔物の一匹や二匹にそう簡単にやられる近衛騎士ではございません。ご安心を、王女殿下」
彼の落ち着き払った様子に王女の混乱は徐々におさまっていく。
しかしその目の奥に宿った怯えは払しょくしきれないようで、不安そうに外に目をやっている。
「ほ、ほんとうでしょうか。万が一ということもあるのではないですか……」
確かに、戦と言うものに絶対はない。
しかし、それでも目算と言うものは立つ。
それに数体の魔物相手ならば、騎士の壁の一番奥にいる王女に被害が及ぶこと等は、それこそ万が一にもあり得ない、と言い切れる。
それくらいの力は自分たちにあると、うぬぼれでなくレド侯爵は考えていた。
「万が一ということすらなくなるように、日頃から厳しい訓練を積んでいるのが兵士と言うものです。そして近衛騎士はその中でも最上の能力を持つ者でなければなることができませぬ。まぁ、確かに、ドラゴンや死霊王でもいればまた話は別ですが……」
レド侯爵は笑いながらそう言った。
どれだけ訓練を積もうが勝てない相手がいるということも、分かっている。
その代表格が、ドラゴンや死霊王という存在であった。
しかし、そんなことはまずありえないことだと分かっている。
ドラゴン――つまりは、飛竜や亜竜ではない、本物の竜――の住処はここからはるか遠くのバーグ渓谷であるし、死霊王など余程魔素の濃い場所でなければ発生しない。
こんなところに唐突に出現すること等、まずありえないと言っていいことなのだ。
けれど、そんなレド侯爵の予想は簡単に裏切られることになる。
外から絶望的な近衛騎士の声が響いたのはそのときだった。
「死霊王が死骸竜を連れて来たぞ!! 殿下をお守りしろ!! 絶対に通すな!!」
聞こえてきた単語にレド侯爵の顔は一瞬で蒼白に変わり、泳ぎだした目が王女と合ってしまう。
「レ、レド侯爵……い、いま……なにか……聞こえませんでしたか?」
王女にも聞こえたらしい。
そして、彼女はレド侯爵の蒼くなった顔を見つめ、この事態のまずさにも気づいたようだ。
どうやら自分は国王の命令を遂行できそうもないとここで覚悟を決めたレド公爵は、王女に頭を下げつつ、言った。
「……申し訳ございません、殿下。どうやら我々の命もここまでのようです。殿下は、隙を見てお逃げください。我々が死力を尽くして間を作りますゆえ……」
「こ、侯爵! 死霊王と死骸竜とはそこまでのものなのですか! 皆で逃げることはできないのですか……!」
それは、王女の心根が良く現れた優しい言葉だった。
戦うのが使命である騎士たちに、そんなことはせずともいいと言ってくれるその気持ち。
何よりも命を大事にすることを考える王女。
しかし、それは聞けない命令である。
なぜなら、その命令に従えば王女の命は危うくなってしまうからだ。
少なくとも騎士である自分たちには、王女の命を繋ぎとめられる最善の策をとるべき義務がある。
そう思ってレド侯爵は言った。
正直に、自分たちの置かれている状況についての説明を。
「……死骸竜、死霊王、どちらも共にSS級指定を受けている強力な魔物です。倒すには一軍が必要でしょう。近衛騎士団だけではとても……。それに逃げられないか、ということですが、皆で一斉に逃げれば何人かは逃げられるでしょうが、その場合、王女殿下の生き残る可能性は低くなります。そのような行動は騎士として絶対にとるわけには参りません。幸い、近くに町があります。そこまでなら王女殿下が一人で逃げることもできます。我々全員で一秒でも長く魔物を足止めしておりますので、その間にどうか、お逃げください」
苦々しくそう語るレド侯爵の顔は冷や汗が滲んでいる。
これから自分が挑まねばならない敵の強大さを自らの口で説明しながら、改めてその恐ろしさを理解したためだろう。
エスメラルダはその侯爵の顔に何も言えなくなって口を引き結ぶ。
「では、王女殿下。私がこの馬車を出たあと、しばらく時間を置いてお逃げください。先ほど外に宿場町が見えたと思います。そこには伝令が滞在しておりますゆえ、そこまで逃げれば王都へ帰ることができるでしょう……それでは、お元気で」
そう言って短く最後の挨拶を告げたレド侯爵は馬車を颯爽と後にした。
騎士の鑑と言うべき立派な態度である。
後姿には力強い決意の炎が見え、凛々しかった。
エスメラルダはその姿を忘れぬよう、王都に戻った時に彼の家族に彼の最後の在り方を伝えられるように記憶に焼きつける。
彼が出るとともに外から聞こえる剣戟と魔法による破砕音は激しさを増し、振動が馬車の中にまで伝わって来た。
エスメラルダはおそろしさの余り、耳を塞ぎ、体を丸くして震え続けた。
それから、どれくらい時が経っただろう。
ふと、塞いだ耳に遠くから柔らかな旋律が聞こえた気がした。
どこか懐かしいような気がする音色。
優しく心に触れてくる降り注ぐような音。
もしかしたらこれは極限状態におかれた精神の聞かせる幻聴なのかもしれないと王女は思った。
そうして、しばらくして、振動が収まった。
王女は抑えつけていた手をゆっくり耳から外すと、剣戟の音も破砕音も聞こえないことに気づく。
エスメラルダは不審に思って、外に出た。
とは言っても、勿論警戒は怠らない。
レド侯爵は命を賭けて時間を作ると言っていた。
今がそのときなのかもしれない。
彼の命を、決して無駄にしてはならない。
そう思って、エスメラルダはゆっくりと馬車の扉を開け、逃げようとした。
――でも、一瞬だけ。
そう思って、魔物がいるだろう方向に振り返った王女はそこで驚愕の光景を見る。
「あれは……」
そこにはどう見ても、そこには魔物の死骸が転がっているように見えたのである。
死霊王にしても死骸竜にしても、元々死骸のようなものだが、そうではなく、全く動かずに地面に倒れ伏しているのだ。
明らかに、誰かに倒されたように見える。
近衛騎士団の皆がやったのだろうか。
そう思って周りを見ると、数人の騎士たちが怪我をしているのが分かった。
鎧が完全に破壊されている者もいるほどだ。
けれど不思議なことに誰もが軽傷で、そのうちの幾人かは不思議そうな顔をして自分の体を点検している。
それにしても、あの魔物たちは一軍に匹敵する強力無比な魔物なのではなかったのか。
それなのに、この被害の少なさはおかしい。
けれど、現実に魔物は倒されている。
レド侯爵が言っていた命を賭けるという話は実は誇張だったのだろうか。そんな風に思ってしまうほど、奇妙な光景である。
けれど、あのときのレド侯爵の顔を思い出すに、冗談を言っているような雰囲気ではなかった。
だったら、これは一体――。
少し先にレド侯爵の背中が見えた。
どうやら彼も命を落とさずにいてくれたようで、エスメラルダは安心し、それから駆け寄った。
彼に事情を聞かなければならないからだ。
近くまでくると、彼の左目が大きく傷ついているのが見えた。
どうやら戦いでやられたようで、魔法でもってもこういった失われた身体の一部の回復は出来ないことを考えると、この様子では一生見えない可能性もある。
残念に思ったが、あれだけの魔物相手にこの程度の被害で済んだだけ、幸運だったのかもしれないと思いなおす。
レド侯爵のこの様子を見るにどうやら彼の怪我が一番重いようであるが、彼が倒したと言うことなのだろうか。
そう思って、魔物の死骸を見ながら震える声でエスメラルダは尋ねる。
「侯爵! これは一体――」
「王女殿下! それが……」