第44話 feroce~野性的に激しく~
けれど、その心配は結局杞憂に終わった。
竜馬車に入ると同時に、不機嫌そうな目で屈強な傭兵なんかに睨み付けられることを想像していた僕だったが、意外なことに、そこにいたのは二人の女性だったからだ。
しかも、機嫌が悪いとか怒っているなどということはなく、むしろ笑顔で迎えられた。
がたがたと竜馬車が揺れる。
その中で旅の道連れとなった二人の女性のうちの一人、背の高い赤髪の女性がその明るそうな容姿に見合った大きな笑い声をあげた。
「……あはははっ! なんだ、そんな心配してたのかい? 私たちがあんたが遅いことに怒ってるって?」
彼女の肉体は非常に鍛えられており、肌はなめし皮のように強靭で滑らかであった。
声にも張りがあり、姉御肌、と言って差し支えない雰囲気を持った女である。
その彼女が僕の心配を杞憂だったと笑ったわけだ。
「ちょっとレリス! そんなに大笑いするのは失礼よ! ……若いけど手練れっぽいお付きまでついてるのよ、あの子。もしかしたらどこかの貴族かもしれないじゃない」
女性陣二人のうち、もう一人の方――魔術師然としたローブを身に纏い、魔石の象嵌された杖を持っている細身の女性がそう言った。
金色の髪に水色の瞳を持ったその女性は、レリスと呼ばれた女性とは正反対の雰囲気である。
後の方の台詞は僕たちに聞こえないように小声で、レリスと呼ばれた女性の耳元でささやかれたものだが、僕もチネアルも種族的なものとステータスとがあいまって、耳はかなり良い方である。
つい聞いてしまった。
そして面白く思った。
なるほど、僕らはそう言う風に――つまりは、若い貴族の子息と、その世話を任された手練れの魔術師のお付き――に見えるのか、と。
言われてみれば、確かにそういう推測が最も落ち着きの良さそうな答えである。
まさか、異世界からやってきた魔物二匹だと言われて納得できる者などいないだろう。
とは言え、そういう推測で警戒されるのも面倒なことである。
特に身分など無く、普通に接してもらいたいところなのでその点について説明することにした。
「ちょっと聞こえてしまったから言っておくけど、僕は別に貴族ってわけじゃないよ。チネアル――彼も、そのお付き、というわけじゃない。確かにチネアルの僕に対する態度は少し大げさだけど、それはなんと言うか、別の理由あってのことでね。僕の身分が高いから、というわけじゃない。身分で言うなら、僕は平民、ということになるよ」
そう言ったとき、二人は目に見えて安心しているようだった。
ピュイサンス王国の貴族は何人か見たが、基本的にはいい人が多かったような気がする。
ただ、それはあくまで一部で、当然あまり性質のよろしくない貴族、というのもいるだろう。
そういうものに絡まれない、というのが平民階級に属する人間の処世術というもので、だからこそ、こうやって竜馬車なんかで乗り合わせた相手の身分を推測しようとすることは、当たり前の行為なのだろう。
しかし、僕が平民だ、と言ったことでそういう心配はなくなったとはいえ、今度はどういう人間なのか、ということについて疑問が生じ始めたらしい。
彼女たちはその疑問について、まず自分たちから自己紹介をすることによって引き出そうと考えたようだ。
まず大柄な赤髪の女性の方から。
長い赤髪は意外にも艶があって美しく、また体型もよく鍛えられてはいるが、女性らしさを失っていない。
身に纏っている防具類も意匠が精緻であり、男にはない品と凛々しさが感じられる。
こういう細かいところに、男と女の違いが出るな、と思いながら、僕は彼女の言葉を聞いた。
「平民、か。だったらよかったよ。見ての通り、あたしはあんまり礼儀ってものがなっちゃいなくてねぇ。そう言われて一安心だからさ。あたしの名前はレリス。レリス=ストリンゲン。流れの傭兵――剣士だね。レリスって呼んでくれ」
そう言って差し出された手は大きく、握りしめると固くて、確かに剣を握る者の手だな、と納得した。
僕は別に地球で剣士だったとかいう訳ではないから、それだけで相手の実力を図る、なんてことが出来るわけじゃないけれど、それでもこんなに固い手を握ったのは初めてのことだ。
それも女性のものだというのだから驚きである。
それに、IMMでは握手したからと言ってそういう手のごつごつとかが表現されることは無かった。
ゲームの中のバーチャルな世界に過ぎなかったから、いくらその世界で剣を振っても手が硬くなる、なんてことはなかったのだ。
反対に、レリスの方は僕の手を握って余計に訳が分からなくなったようだ。
首を傾げてしきりに考えている。
たぶん、僕の掌が柔らか過ぎるからだろう。
その割に、部分的にタコができていたりして、一体何を生業にしているのか想像できない、という顔つきである。
しかし、特に尋ねようとは思わなかったようだ。
推測はしても詮索はしない、ということなのだろう。
そういう気の遣い方は嫌いではなく、僕はレリスに笑いかけて、よろしく、と言った。
次に、細身の女性魔術師の方が手を出してきた。
レリスとは異なり、手首からして細い。
血管が透けそうなほど色白で、レリスとは異なる女性らしい色気のある滑らかさを持った肌だ。
ローブで顔は隠れていてそれほどはっきりとは見えないが、きれいな髪と瞳が覗き、その美しさの片鱗というものを僕は男の本能とでも言うべき何かで理解した。
あんまりそう言った方面では朴念仁扱いされることが多かった僕だが、これでもやはり男の端くれ、というものらしいということがそれでわかる。
「私もレリスと同じで流れの傭兵。ただ、剣士ではなく魔術師だけどね。名前はフォレスティーナ=エルリルス。ティーナとか、ティナって呼んでくれると嬉しいわ」
そうして、彼女はローブのフード部分を外して、僕らに微笑みかけた。
僕もチネアルも、それに驚く。
フードをとった彼女は輝かんばかりに美しかった、というのもあるが、それ以上にフードで隠れていた耳が、長く伸びていたからだ。
それは明らかにエルフのそれだ。
ティナは、エルフであるらしい。
そのことに驚く僕とチネアルを、レリスが笑って見つめている。
「驚かすことができたみたいだねぇ。やっぱり、エルフの見た目の力は絶大だよ」
どうやら初めから驚かせてやろうと思っていたらしい。
ティナは、
「そんなに驚かなくてもいいのに……」
と、とぼけたように言っているが、彼女も驚かせようと思ってそうしたのだろう。
僕らが驚いたことには当然理由がある。
なぜなら、この世界において、エルフという種族は非常に珍しいからだ。
と言うのも、人族より数が少ない、という単純な事実がある。
それに、彼ら彼女らはその容姿が人族の目から見て美しく、その姿をさらしながら歩いた場合、攫われやすく危険と言うのもあり、彼女たちは出来るだけ自分の姿を隠していることが多い。
そのため、街中などでは頻繁に見ることが出来ず、そういう意味で珍しいわけである。
だから、ティナがそうやって初対面に過ぎない僕らにその姿を晒すことは極めて危険な行為であると言えるのだが、その点についてどう考えているのだろうと思い、尋ねてみる。
「エルフがそんな風に初対面の人に姿を晒すのはあんまり勧められた行為じゃないと思うんだけど……」
すると、ティナが笑って、
「貴方たちがそういうことを言う人である限り、大丈夫よ。私達、これでも人を見る目には自信があるの」
ティナに続いてレリスも、
「ま、そういうことだね……それに、もしものときにどうにかできるくらいの力はある」
そう言って横に立てかけた剣を撫でた。
確かに、僕らの目から見て、彼女たちのレベルはそこそこのところにある。
その辺のチンピラには、決して負けないだろうと言えるくらいには。
とは言っても、僕らが本気になれば一瞬で決着がつく程度のものでしかないのだが、この世界においては相当な高レベルだろう。
傭兵とはこういうものなのか、と思いつつ、僕らは話を続ける。
「ならいいけど……気をつけなよ。さて、それじゃあ、今度は僕らが自己紹介する番かな」
わざわざエルフであることを晒したのは、きっとそこらへんにも理由があるのだろう。
自分たちの隠しておきたいところを明かしたのだから、お前たちも少しは見せてくれと、そういう話だ。
もちろん、それでも断ることは出来るだろう。
けれど、そんな風な迫られ方をされては断りにくいし、特に隠しておきたいところもなく、険悪な雰囲気にもなりたくないので正直に自己紹介することにする。
「まずは僕からかな……僕は音楽家のエドワードだよ。そして、少しは戦える。今度、王都で開業する未開拓領域探索団体――探索者協会に所属する探索者でもある。今回は、その関係で未開拓領域に向かうところなんだ」
そして、その言葉を聞いた二人の女性は、驚きに目を剥いたのだった。




