第43話 andante con moto~やや活発に~
馬車乗り場、とは言ってもこの世界において、馬車を引いているのは馬とは限らない。
馬らしきものが引いている馬車もないではないのだが、それよりもむしろ蜥蜴と馬を混ぜたような生き物である竜馬が引いていることが多い。
それはなぜかと言えば、この世界においては馬よりも竜馬の方が安く、また育成が簡単であり、しかも丈夫で足が速いからである。
馬の中でも最上位である八足馬ともなれば話は別で、王族や貴族の馬車はこれが引いていることを少なくないが、民間の馬車は大体が竜馬が引いている、というわけである。
僕は馬車乗り場の中、自分が乗るべきものを探して歩く。
竜馬特有の饐えた匂いが漂ってくる。
これはIMM時代には存在しなかったもので、≪フォーンの音楽堂≫で初めてこの匂いを嗅いだときは、なるほど、と思ったものだ。
竜馬もまた、IMMでは魔物扱いであり、乗ろうと思ったらテイムするのが基本であり、何体か捕まえていたのである。
その解説文にしっかりと書いてあったが、確認することは永遠に出来ないだろうと思っていた"竜馬特有の据えた匂い"を嗅げたことは意外にも嬉しいものだった。
他にもきっとたくさん、IMMがゲームだったころには経験できなかったことがこの世界にはある。
その一端に触れることが出来て、僕は世界の広がりを感じたのだった。
「……あるじ殿! こちらですじゃ! あるじ殿!!」
そんなことを考えていると、少し離れた位置から男性の美声が聞こえてくる。
ふっと馬車乗り場を歩いていた女性たちがその声の主を探そうときょろきょろし始めた。
そんな気持ちになるのも分からないではない、魅力と自身の溢れる声だったからだ。
ただ、どこか老人じみたその口調が僕に素直にそう思わせることを妨げている。
見た目と似合わない、年より染みた口調は、ゲームの時からずっと親しんできた彼のロールプレイを弟子がそのまま再現したもの。
振り返ってその姿を探すと、クーラウとそっくりの、銀髪のエルフの青年が右手に杖を持ち、左手を振りながら僕に笑いかけていたのだった。
とは言え、その耳は人化の術により丸耳になっているのだが。
僕は彼に――チネアルに近づき、言った。
「やぁ、チネアル。待たせたかな?」
するとチネアルはその長い銀髪を振り乱さんばかりに大きく首を振って、
「いやいや! そんなことはありませんぞ! このチネアル、あるじ殿のためなら雨が降ろうと槍が降ろうと何時間でも待ち続ける覚悟ですじゃ!」
真剣な目でそんなことを言うものだから、僕は笑ってしまって彼の肩を叩く。
「ふふ……槍が降ったら普通に逃げなよ……おっと、そんなことを話してる場合じゃなかったかな? 分かっていると思うけど、僕は依頼を受けたんだ。そのための引率が君、ということでいいかな?」
このままだとどこまでも話が脱線していってしまいそうな気配を感じたので、話を引き戻して質問する。
チネアルは僕の言葉に頷き、説明を始めた。
「ええ、その認識で間違っておりませんぞ。あるじ殿が受けられた依頼は、未開拓領域の探索、でございますな?」
「そうだね。と言っても、どこに行くのかろくに見てないんだけど……」
詳しくは依頼票に書いてあることだし、あとで見ればいいかと思って適当に剥がして受けてきたのである。
とは言え、流石にリハーサルに過ぎない今回の依頼で、あまりに遠出するようなものが貼ってあるとは思えないからどれでもいいと思っただけなのであるが。
懐から依頼票を取り出してみてみれば、やはりそれほど遠出、という感じの依頼ではない。
あくまで未開拓領域の端の様子を少し見てきてくれ、という程度の依頼だった。
それを後ろから覗きこみながら、チネアルが言う。
「ふむ……まぁ、順当なところでしょうな。もちろん、ノクターン殿の指示でこうなっているのですが。王都から向かって南西にある未開拓領域"黒王の守護森"の周辺地域の探索……期限は一週間、ということですが……どうされるのですじゃ?」
チネアルが首を傾げて僕に尋ねた。
どうする、とはどういう意味かと聞きたいところだが、どの程度滞在するのか、くらいの意味だろう。
僕としては長くいてもまた短めに切り上げても構わないところだが、この依頼の望んでいる成果がどの程度なのかよく分からないため、悩む。
するとチネアルが言った。
「あくまでこの依頼の区分は調査ですからな。もちろん、出来る限り詳細に情報を集めた方が探索者協会としてもありがたいのは間違いないのですが、未開拓領域については慎重に扱うことが決まっておりますゆえ……そうじゃな、これに記載してある地域の様子をある程度見て、数体の魔物を狩り、討伐証明部位を持って帰る、くらいが想定されていると考えればよいと思われますじゃ」
意外と緩い依頼だった。
それくらいなら、僕とチネアルならそれこそ一週間などという期間はいらず、行って帰ってくる時間を除けば、それこそ数時間もあれば達成することが可能だろう。
移動も自分の足を使えば竜馬車を使うよりも早く済ませられそうだが、それをやってしまうと冒険の醍醐味と言うものが失われそうな気がしてやりたくない。
僕は純粋に楽しみたいのであるから、竜馬車には乗るのである。
それでも三日見ておけば間違いなく終わるだろうと確信しているが。
それから、僕は少し気になった部分について、チネアルに質問する。
「今回行くことになっているのは、未開拓領域"黒王の守護森"ということだけど、黒王って何?」
「あぁ、それはですな、以前、この世界には魔王がいる、というお話はお聞きになりましたな? どういう存在を魔王、と呼ぶのかと言うと、どうやら未開拓領域をテリトリーとして活動する強大な生物のことをそう言うらしいのですじゃ。そして未開拓領域は、その存在から名前が取られることが多いらしく……つまり"黒王"とはこの森を自らの縄張りとしている魔王のことということになりますのう」
魔王"黒王"が守護する森、で"黒王の守護森"ということらしい。
安直ではあるが分かりやすいそのネーミングになるほどと思う。
しかし、僕よりもすっかりこの世界に詳しくなってしまっているチネアル。
僕はこの世界に来て、かなり遊びほうけているのでそんなことになってしまっているのだ。
従魔たちは細々とした仕事のみならず、この世界に着いて様々な調査も行っているので、必然的にそうなってしまっている。
得られた情報は随時まとめられて、≪フォーンの音楽堂≫の中にある図書館に収められて行っていると言う。
何か分からないことがあったら、調べに行ってみようか、と思いつつ、僕はそろそろ馬車に向かうべきと思い、チネアルに言う。
「……時間は大丈夫かな? 馬車に乗らないと置いてかれる、なんてことは……」
「おぉ、そうでしたな! いや、置いて行かれるなどということはございませぬが……何せ、未開拓領域の周辺とは言え、そこまで行こうと言うものは少ないですからのう。それに、すでに馬車に乗っている者たちとは知己になりましたでな。あるじ殿がいらっしゃるまで待っていただけるようにお願いしておるのですじゃ」
その言葉に、僕はなんとも言えないものを感じる。
もしかして僕はその馬車に乗っている者たちに、従者を使って無理を聞かせる嫌な奴、などと思われてはいやしないかと、そんな気がしたのだ。
僕は慌ててチネアルを急かし馬車の止まっているところまで案内させる。
もし、同乗者たちの機嫌が悪いようであれば謝らねばならないと胸に決めながら。




