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第38話 Rusalka~ルサルカ~

 『月の光』を弾き終わったその瞬間、会場は奇妙な静寂に包まれていた。

 と言っても、決していやなものではない。

 そうではなく、ここで物音をたてると、何かが崩れてしまうような、そんな不安から誰もが息をすることすら自制しているのだ。

 みんなが、何かに抱擁されているかのような、ほうとした表情になっている。

 それは、体の奥底から、否応なくせり上がってくるような感動と、震えから来るものだ。

 それは、人の体を弛緩させ、経験したことのないような安心を運んできている。

 けれど、それと同時にその安心の底には、まるでピン、と張りつめた糸のように、触れると何が起こるかわからない、そんな緊張も漂っているのを感じていた。

 だから。


 今、この瞬間が、分岐点なのかもしれない。


 ふと、そんなことを、僕は感じたのだ。

 僕たちが、≪フォーンの音楽堂≫が受け入れられるか否か。

 それを、この一瞬の間を何が埋めていくのかで、決まる。

 決まってしまう。

 そんな気が、した。


 その予感は僕に期待を抱かせると同時に、酷く深い恐怖を感じさせた。

 本質的な性格の問題として、僕は戦いなんてしたくない。

 人殺しなんてしたくない。

 けれど、もしもここで、この国に僕らが受け入れられなければ、その先に続いているのはおそらくは血で血を洗うような戦いしかないのは、分かり切っている。

 なぜなら、本当に困ったことに、僕らにはこの国を滅ぼしつくしてもお釣りが来るような戦力に、十分な心当たりがあるからだ。


 会場のそこここに感じることのできる、強大な魔力と威圧感を持った存在。

 それらは、この会場にすべてを殺しつくして余りある、大きな力を持っている。

 そしてそれは、僕の従魔たちなのだから。


 彼らは今、この瞬間に、一体、人々がどのような行動に出るのかを注視しつつ、いざというときにはすぐに行動に出れるように身構えている虎のようだった。


 今は雌伏し、眠りに落ちている虎も、きっかけがあれば即座に目覚める。 

 そして起き上がり、目に入った獲物に飛び掛かることだろう。

 当然、牙を剥いた虎に躊躇などあろうはずもない。

 一瞬にしてこの会場は血と肉片吹き荒ぶ恐怖のパーティ会場へと変貌するだろう。

 朱く輝く彼らの目には、それを心のどこかで望んでいるような凶暴性が宿っているのを僕は知っている。

 彼らは、本来的に魔物なのだ。

 戦うことが、否応なくその本能に刻まれているもの。

 それは、おとなしそうな乙女ですら、そうなのだ。

 他の者も強力な衝動を宿していることは紛れもない事実。

 だから、その機会があるのなら、決して尻込みしたりはしないで、一瞬でその判断を行うだろう。


 だから、僕は怖い。

 この場所を、死の支配する空間にはしたくないのだ。

 お願いだから、僕らを受け入れてくれと、そう、思った。


 だから、演奏を終えて後、一瞬のあとに、誰かが僕に向かって、僕らの事を受け入れると叫んでくれた瞬間は肩の荷が下りたような、不思議な脱力感があったことを記憶している。


 そのたった一言で、会場の空気もその瞬間に、ふっと緩み、そして拍手と歓声が支配する素敵なパーティ会場へと変わったのだ。


 会場のそこここで魔の力を立ち上らせていた従魔たちも、その空気を理解したのか、先ほどまでのような殺気じみた魔力を漏れ出させたりはもうしていないようだった。


 彼らはあれで、空気が読める従魔たちなのである。

 その優秀さに、今は感謝を評したいような、そんな気分だった。


 それから、会場のどこかから侍従のような人物が僕の後ろにひっそりとやってきて言う。


「エドワード様……皆様に何か、お言葉を。未開領域探索組織への協力を貴族の方々、それに有力組織のトップの皆様に求めるには、今が最も良い頃合いかと」


 その言葉になるほどと思った僕は、侍従の言葉に従い、協力を求めるために少し話をすることにする。

 未だこの身は吸血鬼の体のままであるから、先ほどの子供のような体で演説するよりずっと説得力もあることだろう。

 恐怖は、先ほど払われた。

 残るのはプラスに働く側面のみである。

 そう自分に言い聞かせながら、僕は声を張り上げる。


『みなさん、今回は僕らのためにお集まりいただき、ありがとうございます』


 僕の声は、思った以上に遠くまで、はっきりと広がった。

 これは僕の地声、というわけではない。

 IMMスキルの"拡声"である。

 それによって、僕の声は会場全体へと広がっているのだ。

 そういうスキルが存在しないのか、それとも何の道具もなく発動させたことに驚いたのか、一瞬がやがやと騒がしくなるも、すぐにそれも収まり、静かになったので、僕は続けた。


『今日のパーティは、僕ら≪フォーンの音楽堂≫がこれから始めようと考えている事業、未開領域探索組織の開業を記念するもの。このたび、パーティに出席していただいた方々には、何らかの形でご協力をいただければ、と考えています』


 淀まないように、そのまま続ける。

 大勢の前で話すのは久しぶりで、だから少し緊張した。

 しかし、さっきまでの、息が止まりそうなそれと比べればマシな方だ。

 失敗しても、せいぜい笑われるくらいで済むのだから。


『ご協力いただければ、すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕らが提供できる何がしかの道具、技術等について便宜を図りたいとも考えておりますし、またそのようなことがたとえなかったとしても、未開領域自体に多様な資源等が眠っていると考えられます。今回発足する組織は、依頼として様々なご注文にお答えしていく予定で、その中にはそのような資源の採取や、未開領域への旅の護衛なども考えております。ですから、この国にとって非常に有用なものになるだろう、と考えています』


 ただ、供与できる技術や道具にはさほど高価なものは含めるつもりはない。

 あくまで、僕らの基準ではなくこの世界の基準で、高価とされているもの、貴重とされているものを提供していく予定である。

 僕らの基準において高価で貴重なものは出来る限り温存、秘匿していくつもりで、それは僕らがこの世界である程度の優位性、安全性を確保するためにはどうしても必要なことだからだ。

 僕は続ける。


『ただ、ここで皆様には心配が一つある事でしょう』


 そうだ。

 先ほど僕は見せた。

 この国の人間の心配ごとのもとになる、頭の痛くなるような事実を。

 しかしそれについてももう、それほど心配しなくてはいいだろう。

 僕らは、先ほど、受け入れられた。

 そのはずだ。

 そして次はそれを言葉にして受け入れてもらおう。

 明確に、はっきりと。

 今の空気なら、それが多分できるだろうと思うから。


『僕らは、人間でありません』


 そう言った瞬間、分かっていたことだろうに、やはり少し会場がざわめいた。

「やはりか」とか「さきほどのことは見間違いではなかったのか」とか「だいじょうぶなのか」とかそんな声だ。

 けれどその声のどれもに、それほど大きな批判的意思は感じられなかった。

 それはやっぱり、曲を聴かせたことが効いていると思われる。

 会場の人々には落ち着きがあった。

 安心も。

 それはあの曲の作り出したものだ。

 僕は続ける。


『そう、僕らは魔物。人間とは違うものです。けれど、だからといって皆さんを襲おうとか、この国をどうこうしようとか、そんなことは考えていません。その理由は……』


 どこまで言うかはあまり考えていなかった。

 けれど、ここまで言ったら最後まで言ってしまっていだろう。

 隠す必要性もないと、レド侯爵たちも言っていたのだから。


『その理由は、僕らがこの世界の住人ではないからです』


 その言葉に、会場は疑問符で包まれた。

 当たり前だ。

 こんなことを突然言われても、信じる気にはなれないだろう。

 けれど、そんな困惑は無視して僕は続ける。


『皆さんが混乱されるのも、困惑されるのも理解できます。ただ、あくまでこれは事実として聴いてください。そしてだからこそ、僕らは人を襲おうとは思わない。なぜなら、僕らのいた世界では、人と魔物は共存していたのです』


 そうだ。

 ゲームの中での話に過ぎないかもしれないが、一応、IMMの世界では、人と魔物は共存していた。

 もちろん、敵対もしていたところはある。

 そこのところは少し複雑なのだが、必ずしも魔物は人類の敵、というわけではなかったのだ。

 だから、僕はそこのところを強調して話を続ける。


『ですから、僕らは人を襲いません。もちろん、攻撃されたら反撃はするでしょうが、普通に生活している限りは、何もしません。これについては、信じてくださいとしか言えません。ただ……僕らはそのことを、これから行動によって示していきたいと考えています。そのための、未開領域探索組織でもあります。未開領域は、この世界における人に対して敵対的な魔物の支配する領域だと聞きます。魔王がその奥に鎮座する、人の手の及ばない領域であると。……ですから、未開領域を我々の手で、人の手に取り戻しましょう。そして、土地を、富を、この国にもたらしましょう』


 それは耳触りのいい、けれど詐欺に近いようなものの言い方であった。

 けれど、その場にいる人たちは、まるで僕の言葉が真実であるかのように聞いている。

 それは奇妙な現象だった。

 少しは疑問の声があがってもおかしくない話を僕はしているのだから。

 そう思って少し会場を観察する。

 すると、耳を澄ませると、何か、甘い音色が聞こえているのに気づいた。


 僕は、はっとした。


 クライスレリアーナの歌声だ。

 美しい歌声だった。

 響き渡る、懇願するような歌。


 それは、ドヴォルザーク≪ルサルカ≫『月に寄せる歌』。


 ドヴォルザークが作曲したオペラで、王子に恋をした水の精の話だ。

 彼女は魔女に人間の姿に変えてもらうのだが、それは人間の姿の間は喋ることはできず、また男が裏切ったら男と共に水底へ沈むことが条件だった。

 結局最後には彼女は男と共に水底へ沈んでしまう。

 つまりは、人魚姫である。


 その中で、水の精ルサルカが歌うアリア。

 それが月に寄せる歌だ。


 クライスレリアーナの声は、そのルサルカの気持ちを歌っていた。


 静かに美しく、願うように。


 彼女の恋する相手がどこにいるのかを訪ね、自分がここにいることを叫び、そして月に、雲の中に隠れないでと願う。


 それは紛れもなく、恋の歌だった。


 そして、今その歌声は、僕への敬意と憧れを示すように歌われていた。


 彼女がいま、何をしているのか、聞くだけで分かる。


 そうだ。


 その歌声は、会場の人々に、僕への信頼を呼び覚ましていた。


 本来であれば、これを歌う相手よりも高い能力があるならば、ほとんど効きはしないし、仮にレベルがその半分に至らなかったとしても、3割を切る程度しか効果は無いくらいの、大した歌ではないはずだった。


 けれど、現実になって、そのスキルは効力を増している上に、クライスレリアーナのレベルは僕らを除き、この会場にいる誰よりも高い。


 そのスキルが効かない相手など、ほとんどいないに等しい。


 彼女の思惑に従って、会場の人々は僕のことをどこか憧れるような目で見つめる様になっていた。


 僕の声が染み込み、そしてそれを深く信じる様になっていた。


 そんな出席者たちの様子を見ながら僕は、果たしてこれでいいのだろうか。


 ふと、そう思う。


 けれど――こうでもしなければ、失敗していたかもしれない。


 そんな気もした。


 クライスレリアーナの歌声は続く。


 割り切れない気持ちが、心の中をさまよった。

 けれど、受け入れるほか、ないだろう。

 ここで止めにかかるのもおかしな話なのだ。


 だから、僕はそんな中で、最後に言った。


『皆さんのご協力が頂ければ幸いです。ご清聴、ありがとうございました』


 その声には、それほどの力はこもっていなかった。

 少し迷いが出たからだろう。

 けれど、会場の人々は誰も気づかない。

 僕に笑顔で拍手喝さいを送ってくれ、僕はそれに手を挙げて答えた。


 気付いたときには、クライスレリアーナの歌声はいつの間にか止まっていた。

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