第35話 emporte~我を忘れて~
アルボとの雑談を終え、パーティ会場に戻ると、いくつかの島のような人だかりがそこここにできていることに気づく。
まるで蟻がケーキの小さな欠片に集るかのような、そんな風に不自然に人が密集している場所だ。
僕は、一体何がそこにあるのだろう、と思って近づいてみる。
すると、なぜそこに人が集まっているのかが島の一つを見るだけで明らかになってしまった。
僕が最初に近寄ったその島を構成する人間は、大体低年齢の煌びやかに着飾った貴族子女たちで占められていた。
容姿自体は、小太りの偉そうな少年、高慢そうないかにも、という感じの少女、細身で学者気質かな、と思しき少年など、様々だ。
しかし、服装は皆、極めて高価そうなものばかりであり、流石パーティに招かれただけあると思わずにはいられない。
男女比は、比較的男の子が多いだろうか。
しかし、女の子もそれなりにいて、全員が同じ方向――島の中心を見て似たような表情を浮かべているのだった。
その表情は、幸せそうな笑みであり、また、その年齢に似合わぬ支配欲に満ちた笑みであったりした。
浮かべている表情によって、その子女の性格が透けて見えるようである。
そしてそんな微妙な人だかりの中心にいたのは、
「あー、あるじ!」
そう言って僕の方に近づいてくる人物。
フォーンの音楽堂の住人の中でも怪力を誇る少女。
乙女だった。
今日はいつもとは違って明るめの色で纏められた、子供用のパーティドレスで着飾っている彼女は、こう言っては何だが、彼女の周囲に集まる子女とは比べ物にならないほど愛らしい。
とことこと歩いてくる姿も邪気がないので乙女の魅力を更に際立たせていた。
乙女の後ろからはぞろぞろと貴族子女たちがついてきて、僕を見ながら「お前は一体なんだ?」という顔をしている。
しかし、周りの目などあまり気にしない乙女は、ぽふり、僕に抱き着くと、そのまま力を入れ始めた。
はじめはふわりとした感触だった乙女だが、徐々に力を込めはじめ、そしてだんだんと痛くなってくる。
見た目にごまかされがちだが、乙女は通常の人間とは比べ物にならない力を持っている魔物の一種である。
現在はかつての主のステータスも借りて相当な筋力を誇っており、いくら同じく魔物の体を持つ僕であっても、まともに力を入れられると結構痛い。
もちろん、全く手加減なしにそうしているわけではないだろう。
もし手加減なしであれば僕はダメージを食らっているはずだからだ。
そう考えると少し痛い、で済んでいるだけ、ましなのかもしれないが……。
やめさせるべきかどうか迷ったが、耐えられないほどでもないし、まぁ、仕方がないだろうと諦めて、とりあえず尋ねたいことを聞くことを優先することにした。
「乙女。この人だかりはどうしたの? 友達か何か?」
「えっとねー、みんな私のお友達になりたいんだって!」
そう言って乙女はにぱっと笑った。
まったく癒される笑顔であるが、そんな僕らに対して人だかりを率いているかのような位置にいた一人の少年――服装から見るに、貴族のようである――が口を開いた。
「おい! そこのお前!」
「はい?」
「お前はその方とどのような関係だ!」
その方、とはいったい誰の事かと一瞬考え、あぁ、なるほど乙女の事かと納得する。
見た目からしてお互いそんな年ではなかろうに、と思ってしまうが少年にしてみれば同い年程度に思える乙女は立派な淑女に見える以上、その方、という呼称が似つかわしい人物に思えるのかもしれない。
しかし、それにしても随分と居丈高な態度だなと思わないでもない。
僕はアルボのことを思い出して苦笑が口に浮かぶのを感じた。
結局こういう態度、というのはただの虚勢であり、また教育の結果身についた処世術のようなものなのである。
貴族である以上は自分より下の立場と思しき人間に対してへりくだった態度をとることは封建制度を採用した社会に住む人間としては間違いであるし、そうであるなら少年の態度はむしろ合理的なのではないだろうか。
そんな気がした。
だから僕はむしろ、普通に、少年の態度に腹を立てずに接することが出来た。
きっと、アルボの時もそうすべきだったのだろうと後悔が浮かぶ。
今更後悔しても仕方がないし、ついさっき、和解、のようなものをしたような気がするので別にいいのだけれど。
「この子は乙女、そして私はエドワードです。つい先日、国王陛下により我が館『フォーンの音楽堂』の建つ土地の賃借権及びこの国の国民としての権利を頂いたものであり、そしてこの子、乙女は我が音楽堂を構成する人員の一人です。何か疑問がございますか?」
つらつらとそう述べると、少年は、あぁそんなことを聞いたな、という顔をした後、先ほどまでの態度をかなり緩和させて話しかけてきた。
言葉づかいも変わっているのは僕の立場が高位貴族並み、とは言わずともそれに準じるようなそれなりに重要性のある人間と聞かされているからだろう。
どことなく緊張が浮かんだ顔で少年は言う。
「あなたが……失礼いたしました。父から伺っております。僕は王国の西南に領地を賜っておりますファルメーラ伯爵が四男、ハルトでございます」
「あぁ……」
それはパーティに招いた貴族の中にいた名前の一つだ。
つまり彼の父がこの場にも来ているのだろう。
子供は子供でこうやって話させて色々情報収集しようとしているのか、それともただ遊ばせておこうとしているのか。
まぁ、正直、僕にとってはどうでもいい話だ。
適度に乙女が相手をして、僕らに好印象を抱かせてくれているというのなら、このまま放置しておいてもいいだろうと、その場を後にしようと考えたところで、ハルト少年の方が声を上げた。
「それで……その、乙女、さんなのですが……」
ハルト少年の顔はどことなく緊張に満ちている。
どうしたことだろうと待っていると、
「親しくさせていただきたいと考えているのですが!」
そんなことを言った。
すると、少年の後ろについてきていた他の貴族子女たちも似たような挨拶をして僕に同じようなことを言ってくる。
もしかしてこれが乙女の言う、お友達になりたい、なのだろうか。
どう見ても恋人にしたい、に見えているのは僕の気のせいなのだろうか。
年齢が年齢だけに微笑ましい、で終わってもいいのだがこの世界の貴族の結婚適齢期は早い。
これくらいの年齢であっても既に婚約者がいたりすることもあると聞いた。
だからこれは本気で言っていると考えるべきなのかもしれない。
しかし、そんなことは認めるわけにはいかないだろう。
本当にただの友達ならともかく、乙女は人間の誰かと結婚するのに向いているような少女ではないのだから。
などと、僕が考えていると、乙女が言った。
「ほら、あるじ。みんな友達になりたいって! わたしもみんなとお友達になりたいっ!」
貴族子女たちの方を振り返って満面の笑みでそんなことを言う乙女は非常に可愛らしかった。
しかし、みんなと友達になりたい、というのは彼らの求婚を言外に匂わせた言葉の全否定なわけで、がっくりときているのが分かって笑える。
乙女が真剣にそんなことを言っていることは、人の表情を読み、心を読んで行動しろとその両親や親族に教育されているだろう子女たちには明らかなようである。
乾いた笑いを張り付けて諦めたように肩を落としていた。
けれど別に婚約者でなくとも友達に、というのはそれなりに魅力があるようで、皆、ではお友達に!と続々と手を挙げていっている。
女の子たちはむしろその方が良かったようで、乙女と楽しそうにしているのが微笑ましい。
女の子たちは女の子らしく、乙女の着ている極めて精緻で豪華なフリル付きドレスの仕立て人に興味があるようで盛り上がっていた。
最後に、僕に一度でいいからいつか自分たちにもこのようなものを仕立ててほしい、と言って乙女と連れ立って去って行った。
島がそのまま移動していくようで、なんとなく面白い。
僕は他の島を見てみるが、ノクターンにしろクライスレリアーナにしろカノンにしろチネアルにしろリートにしろ、乙女と同じような状況にあるらしいのが分かった。
とは言え、みんな乙女とは違って大人のやり取り、というのが出来るタイプなのでそれほど心配する必要はないだろう。
大変そうだが、僕は放っておくことにして給仕にワインを持ってくるように頼む。
さすがにアルボの持ってきたあのワインはもうないだろうが、国が開いているパーティだけあって、どのワインもそれぞれ特徴がありながら、おいしかった。
ちなみに、僕の突き落とされる地獄たる演奏の時間は、そろそろのようだ。
会場の中心で拡声器のような効果を持つ魔導具を持った司会が式次第を告げている。
会場の奥からは、巨大なカヴァーに覆われた物体がそこに引きずられてきているのが見え、あれがアルボ、というか正教会の用意したらしき、僕が演奏しなければならない楽器のようだった。
さて、行こうか。
心を決めて、僕はそこに向かって歩き出す。
おそらくは失敗はしないだろう。
そう思って。
◆◇◆◇◆
世界には不思議なことがいっぱいで、自分がこんなところに呼ばれたこともそのうちの一つで。
けれどそういう諸々の事は偶然ではなく必然の生み出す何かだと信じている自分がいる。
だからここに自分がいることには何か意味があると信じてる。
そして、僕がここにいることに意味があるとするなら、この世界に来るのが僕でなければならなかったのだとしたら、目の前にあるこの光景もさして不思議なことではないのだろう、とも思う。
むしろ、こういうこともありうることだと考えていた。
近衛騎士たちが命の危機に陥ってIMMスキルに目覚めたこと。
フィーリアが歌唱スキルをクライスレリアーナに教えられて、覚えることが出来たこと。
それを考えてみればこの光景はむしろあまりにも簡単に予想できた事態だ。
戦闘スキルに目覚める人間がこの世界にいるということは、それ以外の生活系のスキルに目覚める人間がいても全くおかしくはない。
熟練度の上昇率や、どの程度IMM内での効果と差異があるのかという点は置いておいても、熟練度が低いうちに覚えられるスキルについては直ぐに使えるようになっているのは道理だ。
したがって、これはおかしくはない。
それが前提だ。
けれど、それでも、驚かずにはいられない。
僕、それに僕の横に立つ青年姿のノクターンや美しく着飾ったクライスレリアーナ等、魔物達も。
暗転した会場の中、魔力光によるスポットライトでライトアップされたその巨大な楽器と演奏者は周りに蟻のように集り、うっとりとして見つめる権力者たちを魅了していく。
それは華やかで美しい音色だった。
この世界で新しく作られたというその楽器は人の可聴域の殆どをカヴァーし、その広い音程を利用してたった一人の演奏者により曲が編まれていく。
焦燥感を感じさせる早いテンポ。
けれど可愛らしく、やさしい、その音色。
跳ねる左手の奏でるワルツのリズムと、流れるように高音と低音の間を行き来して遊ぶ右手のメロディー。
この曲を作った人間は紛れもなく天才だろう。
いや、彼が天才なのは誰もが知っている。
僕は見る。
その楽器を操る者の顔を。
それは、先ほどまで僕が話していた相手。
イヴェール公爵、つまりアルボだった。




