第34話 bedeutend~意味深い~
「横領だと?」
目を見開いてそう返すアルボに、僕は黙って頷いた。
アルボはそんな僕の仕草を見つめ、それから僕が決して嘘を言っているわけではないと理解したのだろう。ため息をついて頭を抑えた。
その姿にはどこか疲れたような様子があり、新進気鋭の若き高位貴族と言うよりは、お得意様の調整に気疲れしている中間管理職のようにも見える。
実際、爵位について日が浅い彼はそのような立場でしかないのかもしれないと、このとき僕は初めて思った。今までは敵視ばかりしすぎて、こういう、素の表情のようなものを見逃してきたのかもしれない。
「心当たりはない?」
なんだかんだ言っても、孤児院は結局アルボ、つまりはイヴェール公爵が管理しているという建前の場所なのである。
しかも、王都内というかなり近所にあるわけで、それをまったく知らないというのは問題なのではないか。
そう思っての言葉だった。
しかしアルボは、
「そう言われてもな……帳簿を見る限り不自然なところなどなかったのだ。今の今まで全く気付かなかった。孤児院の子供からも訴えは無かったしな。しかしそういう事情で貴族に陳情に来れるような孤児はいないか。全く……」
そう言って、ため息をつく。
結局のところ、彼は忙しかったというに尽きるのだろう。
公爵、という貴族が抱える様々な仕事について、僕はこの世界に来るまで考えてもみなかったが、その領地たるや一国と言っていいほど広大なものであり、経済力も恐ろしいほどで、抱える人員も全員などとても覚えきれたものではなく、並行して行われている事業なども一人の人間が把握し切れるような量ではない。
公爵が一つの孤児院について寄せることのできる関心など、行ってみれば大会社の社長が数千店舗ある店の一つに裂ける関心と同じ程度のもので、それはつまり数字や文字を見ることくらいしかできないということなのだろう。
結果として彼は色々と見逃してしまったわけだが、しかしそれはやはり公爵という仕事を初めて間もない彼の立場に立ってみれば、そこまで責められたことではないのかもしれない。
アルボは呆れたように首を振ると、何かを決意したかのような目をして僕を見た。
「ともかく、それに関する追及は早急に指示することにする。色々すまなかったな。そうなると今まで孤児は相当な貧困に喘いでいただろうと思うが……」
即座に間違いを認め、対応を検討し、相手の立場に立つことが出来るのは有能の証明だろう。
人には誰しも間違いがある。
今回のことは、不幸な出来事だったと思うしかなさそうだ。
「金銭的な部分については、孤児たちが働いたり、食べ物をスラムの人間と融通しあったりしながら何とかしていたみたいだよ。多少の金額は受け取っていたようだけど……これが援助の全て、というわけではなかったと思うんだけど」
そう言って、僕はどの程度の金額をイヴェール家からの援助、として孤児院が受け取っていたかアルボに話す。
月々の援助金額についてはフィーリアが帳簿につけていたから、正確な額を把握できている。
支払われていた金額を聞いたアルボは何度目かもわからない驚きを顔に浮かべて、空を見上げた。
さっきからこの少年はかなりオーバーなリアクションで感情を示していて、何だか王女の言っていたように、それほど悪い人間には思えない、という評価も分かる気がしてくる。
少し素直すぎる気もするが、もとはこういう少年なのかもしれなかった。
以前のことは、初対面であるということと、僕の出自があまりにも怪しすぎたというところにあるのだろう。
突然現れて王女に近づき王宮に出資して何かしようとしている少年、なるほど、とても怪しい。
アルボは言う。
「それは僕が支払っていた額の十分の一にも満たないぞ。……むしろよくその金額でやってこれたものだ。一週間持つかどうかも疑問だぞ、それでは……」
金銭感覚は貴族にしてはある方のようであった。
湯水のごとく金を使う、というタイプでもなさそうである。
実際、孤児院に渡されていた金額はそんなもので、しかし彼らはそれでひと月やっていたのだ。
見上げたものであると今更にして思う。
「僕もそう思うんだけどね、孤児院の孤児たちは何と言うか、非常に逞しくて……孤児の一人なんかは、何の変哲もない、ただの石を売ってお金を稼いでいたくらいだよ」
「……石?」
首を傾げるアルボに、僕はウィアが考案した偽魔石販売について話す。
「あぁ! そういえばそんな商売をしている子供がいると聞いたことがあるな……。二束三文にもならないのによくやると思ったが、そういう事情では……。今はもうやっていないのか?」
さすがに耳が早いというべきか、商売それ自体の存在については知っていたらしい。
僕はアルボの質問に答える。
「いや。経済的には僕が援助しているから、問題はなくなったんだけど、偽魔石についてはシュレッケンを恐れる子供たちがいなくなったわけではないからね。続けてほしいっていう要望があるみたいで、未だに孤児院の中でも特に小さな子供たちのお菓子代稼ぎの為に続いているよ」
それくらいの余裕があるということだ。
今はみな、十分に腹を満たし、そう言った嗜好品の類を買えるくらいには潤っている。
とはいっても、過度に僕らが与えているというわけでもない。
正当な対価を渡しているだけだ。
思いのほか、彼らは優秀で、普通に働くだけで十分な生活が出来るほどの能力があったのだ。
スラムに生きる人間の逞しさというのもあるだろうが、フィーリアが読み書きを教えたり、ウィアがスラムでの立ち回りを教えたりしていたのがかなり大きい。
あの二人が教師としても、かなり優秀なのだ。
「シュレッケンか……僕も小さなころ、母上にその存在と恐怖を話されて慄いた記憶がある。なるほど、確かにいい商売だ。僕が子どものころにそんなものを売る者があったら、城下に買いに行ったことだろう……」
こうやってある程度話してみるとはっきりと分かったが、アルボ少年は、全く悪人ではない。
どころか、むしろ貴族にしては理解があるタイプのように感じる。
初めて会ったときのことは、僕が怪しすぎた、という一点に尽きるのだろうと思った。
けれど、今日の事はどうしてなのだろうという疑問がある。
彼の態度からして、僕に対する敵意のようなものはもうほとんどないらしいことが分かる。
しかし、これから、僕にわざわざ恥をかかせる様な形で催しものが行われるのだ。
見も知らぬ楽器を奏でろと、そういう催しものを。
これは奇妙で、おかしな提案だった。
いったい何の意味がある。
今なら、その理由を聞いても答えてくれるのではないだろうか。
そう思った僕は、アルボに遠慮を示しつつもはっきりと聞くことにした。
「アルボ」
「なんだ?」
「今日のことについてなんだけど……」
「あぁ」
「これから、余興が開かれる、と聞いたんだ。そしてそれに僕が引き出されるということも」
切り込むような覚悟でそう言った僕であるが、アルボは比較的柔らかな態度で返答してきた。
少し眉を下げて、ただ単純に不思議そうな顔で。
「……その話をどこで聞いた?」」
「話の出所はあまり話したくないんだけど……」
王女から聞いた、と言ってもいいのだが、ああやってお忍びで来てくれたのだ。わざわざ話すのもよくない気がする。
アルボもそう言った情報の出所については聞くべきでない、という考えがあるのか、割とすんなりと諦めた。そして、話を続けた。
「……そうか。まぁいい。しかし、そんな話をするとは、心配なのか? お前は稀代の音楽家だと聞いたぞ」
「アルボは何か勘違いしてるんじゃないの? 楽器の扱いに習熟しているというのは事実かもしれないけど、それは全ての楽器を奏でられることを意味する訳ではないんだよ。どれだけ優れた剣士であろうと、使ったことのない武器を渡されてうまく扱えと言われても不可能なのと同じさ」
少しの嫌味を込めていったつもりだったのだが、アルボは深く頷いて答えた。
彼の言葉には意外な事実も含まれていて、僕は少し驚く。
「全くその通りだろうな。……まぁ、実際のところ、僕はお前に恥をかかせるつもりなど毛頭なかったのだ。そもそも、今回のことは正教会からの願いでな。エドワード殿なら問題ないはずだと強い保証があったから僕も提案した。後は単純にお前の奏でる音楽を聞いてみたかった、というところもあったのだが」
正教会。その言葉には聞き覚えがあった。
聞き覚え、などと言うのは遠慮した表現かもしれない。
僕はその言葉をよく知っていた。
「正教会か。それはエスタトゥア聖下の?」
「そういえば先ほど会場で話していたな。そうだ」
誰が誰と話しているか、というのは貴族にとって重要な事実らしく、しっかりと目敏く捉えていたらしい、
アルボは頷いた。
「孤児院の管理を受け持っていたのも正教会なのかな?」
こういう聞き方になったのは、もし仮にそうだとするなら、横領も含めた全ての元凶が正教会であろうという推測が立つからだ。
しかしアルボは首を振った。
「いや、それは別のところだ。黄昏教会だよ」
黄昏教会、というのは聞いたことがなかった。あとでレド公爵たちに聞いてみようと心にとめる。
「そうか……」
「なにか、思う所が?」
「いや。ためになる話だったよ。色々はっきりしなかったところが、つながってきたような気がする」
「そうか? ならいいが……。ともかく、今からでも余興についてはやめられるが、どうする?」
親切にも、アルボはそんなことを言う。
しかし、僕はその必要性を感じなかった。
正教会が少なくとも僕に害意がありそうな感じはしなかったし、何か目的がありそうなこともエスタトゥアとの話でなんとなく分かっていたからだ。
何か理由があって、僕を招こうとしている彼らがわざわざ僕に腹を立てさせる理由もないだろう。
もし仮に、結局やっぱり恥をかいただけで終わった、というならそれならそれでいい。
僕にはそもそも失うものはないのだ。
この世界では。
そこまで思った僕は、アルボに言う。
「いや。余興はやるさ」
「いいのか?」
「うん。なんとなくだけど……大丈夫なような気がしてきたし。百歩譲ってダメだったとしてもまぁ、いいのさ」
「本当に嫌なら、それはそれでいいのだが……。まぁ、そういうなら、楽しみにしておくか。」
「うん。そうしておいて」
僕の言葉にアルボはふっと笑った。




