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第24話 espressivo~表情豊かに~

 ――開いた扉の先で、一人の少女が高らかに歌っていた。


 空に昇るような清冽な歌声。


 未だ大人になりきれていない、けれどこれから美しくなるだろうと予感させるような華奢な少女だった。

 薄茶色の髪、高くない身長、それに煤けた、けれどどこか可愛らしい顔。


 教会の、かつてステンドグラスが嵌っていたのだろう、今はぽっかりと青い空の見える窓から差し込む太陽の光がそんな少女を照らし、即席のスポットライトとなって淡く少女の姿を浮き上がらせている。

 

 それは、幻想的で美しい光景だった。

 少女の歌は特別に飛び抜けて上手いわけではなかった。

 けれど、その歌声からは少女の優しさと純粋な魂の色が理屈でなく感じられる。

 その少女自身の透き通った性質が、声に清冽さを与えているのだ。


 曲は、この国の民謡だろうか。

 単純で覚えやすい旋律だが決して退屈なものではない。

 むしろゆっくりと心の中に染み渡るような、穏やかで大きな曲である。

 

 見れば、歌う少女の周りには観客もいた。

 

 いずれも年端もいかない子供たちで、皆、粗末な衣服を纏っている。

 栄養が足りてないだろうと一目でわかるその体型。

 ここは路地裏の奥に存在する教会である。

 通った道の脇に立つ建物はいずれも老朽化が進んでいて、一切大工などの手が入っている様子は見えなかった。

 つまり、おそらく、この辺りは王都でも貧民街と言うべき区画なのだろう。

 であれば、彼らのその栄養状態もさもありなんという気がする。

 

 そういえば、と少女を見ると、彼女自身も周りの子供たち同様、相当に痩せていた。

 

 けれど不思議なことに、少女はともかく子供たちは少しも辛くなさそうで、その頬は上気し、瞳の色は明るく、むしろ健康そうに見えた。


 奇妙に思って、クライスレリアーナは音も無く彼女たちに近づく。

 もっと近くで観察すれば、彼らがなぜそれほどまでに血色がいいのか、その秘密がわかる気がして。

 

 すると、彼女たちの顔がぼやけず視認できるくらいの距離に至ったあたりだろうか。

 差し込む光でよく見えなかった、歌う少女の輪郭が明らかになったくらいの距離に至ったとき、クライスレリアーナは目の前の光景に驚愕した。

 クライスレリアーナはその驚きのあまり、思わず感じたことをそのまま呟く。


「……これは、スキル?」


 見ると、少女の体を包み込むように淡く薄紅色の光がぼんやりと浮かんでおり、その光は彼女から綿雪のようにほろほろと剥がれて周りの観客たちに降り注いでいる。

 神の奇跡と言われても納得してしまいそうな光景だった。

 

 しかし、である。

 それは、クライスレリアーナにとって見慣れたエフェクトだった。

 

 つまりそれは、IMMにおける回復スキルの発動エフェクトに他ならない。

 スキルの発動と共に、発動者の体の周りが、その者が選択した、もしくはスキル自体に決められた色に発光する。

 そういうものだ。


 そういえば、とクライスレリアーナは主人から近衛騎士たちが魔物との戦闘で追い詰められた際にスキルを発現させた、という話を聞いたことを思い出した。

 

 この世界のことは今はまるでわからないが、それでもこの世界に自分たちにとって非常に奇妙な現象が確認できているのだということは、クライスレリアーナたちにも分かっていることだ。

 それに、少なくともこの世界特有の魔法やスキルと、IMM由来のスキルの両方が使用できることはレド侯爵が魔法を使い、近衛騎士たちがIMMのスキルを使用したことから明らかだ。

 そしてIMM由来のスキルは必ずしもIMMの出身である主人やクライスレリアーナ達などの魔物だけが使える、というわけではないことも。

 

 しかし、IMM由来のスキルは、この世界の人間なら誰でも使えるのか、才能によるのか、それともそれ以外の何らかの条件があるのか、そう言ったことはこれから調べていかなければわからない。

 ただ、近衛騎士たちが使えたということはこの世界に住む他の者が使えるようになっていてもおかしくないという予想は成り立つ。

 

 だからこそ、目の前の少女がIMMのスキルを使えていることも予想の範疇内と言うこともできる。

 それでも、実際見るのと聞くのとでは衝撃の度合いが違う。

 クライスレリアーナは正しく、驚いていた。

 

 それにしても、IMMスキルと、おそらくはこの世界特有の魔術技術、両方が混在していると言う、このどこか歪な世界の在り方。

 それを明らかにすることは主人のためにも自分たちのためにも必要なことなのかもしれない。

 

 そこに、自分たちがここへ来た理由の一端がある可能性がある。

 そんな予感を感じさせるからだ。

 クライスレリアーナたち、従魔はともかく、主人――エドワードはもとの世界に戻りたいだろう。

 であれば、その方法を探すのが自分たち従魔のすべきことだ。


 だから、聞かなければならない。

 彼女は一体なぜIMMのスキルを使うことが出来るのか。

 

 近衛騎士たちにもすでにエドワードが質問していたことだが、彼らはなぜ自分たちがそのスキルと言うものを使えたのかわからない、と答えたという。

 魔物との戦いの途中で、唐突に使えるようになったのだと彼らは語ったのだ。

 その後、意識すれば成功率は低いが使えることも判明しており、恒久的に身についたと言っていい状態にあると言う。 


 少女も同じなのか、それとも違うのか。

 

 どちらにしろ、根気よく聞いてデータを集めていくことが何もわからない今においては最善の策だろう。


 そう思って、クライスレリアーナはもう一歩踏み出した。

 

 すると、少女はクライスレリアーナに気付いたのか、歌うのを止めこちらを見つめた。

 少女の周りの子供たちも少女に続いてクライスレリアーナに気付く。

 子供たちは少女を守るように固まり始める。


 ――私は敵か何かに認定されたのかしら。


 苦笑しながらそんなことを思った。

 これはあまり良くない状況だぞ、とも。 


 まぁ、確かにこんな状況でクライスレリアーナのように怪しい人物が現れたら、そう思うのも無理はないだろう。

 

 そもそも今のクライスレリアーナは怪しげなローブを纏い、すっぽりと頭をフードで覆っているのである。

 間違っても子供が近づきたいと思うような容姿ではない。


 そう自覚したクライスレリアーナは深く被ったローブの帽子部分を外し、素顔をさらす。

 

 認識阻害の効果については教会に入った時点ではずしているから、これで少なくとも人間だとみてくれる筈だろうと思った。

 ただ、怪しさは……あまり和らいでいないかもしれないので、その点は不安であるが。

 

 さて、どう話しかけようかとクライスレリアーナが考え始めたとき、そんな彼女の心の内を知ってか知らずか、少女の方から声がかけられた。

 

 子供たちとは異なって、優しげな笑みを浮かべる彼女は非常に騙されやすそうな顔立ちをしている。

 こんなに無警戒でいいのかと思ってしまうほどだ。

 路地裏に住むような者として、間違っているような気がする。


「あの……なにかご用でしょうか?」


 どこか警戒心を感じさせるその口調は、しかし経験の浅さを露呈していた。

 そんな庇護欲をそそられる少女にクライスレリアーナは言う。


「こんにちは、お嬢さん。私はクライスレリアーナ。あなたのその歌について聞きたいことがあるの」


 その言葉を聞いた少女の表情はさっと固いものへと変化すた。

 

 少女の周りの子供たちもそうだ。さきほどまではせいぜい警戒の視線、という感じだったのに今は敵意すら感じる。


 ――あらあら、言葉の選択を間違えたかしら。


 そして、クライスレリアーナはこれからの会話に予想される面倒くささに、深くため息をついたのだった。


 ◆◇◆◇◆


 入り組んで方向もよく分からなくなるような路地裏を、彼は一切の迷いなく進んでいく。

 たまに家の前に止まってその家の住人らしき人から何かをもらったりしながら。

 僕は彼の肩に担がれたその品物について彼に尋ねる。


「そんなにもらってどうするのさ?」


「別に俺だけのもんじゃねえよ。みんなで、食べるんだ」


 彼の肩にぶら下がっている袋に入っている品物。

 それは固くなったパンや古くなって味の落ちた塩漬けなどの食べ物だ。


「それをくれた人たちは知り合い?」


 僕の質問に彼は微妙な顔をしながら考え込んで、答える。


「まぁ……知り合いっていうか、なんていうか。腐れ縁だな。こんな路地裏に住まなきゃならない人生を生きる者同士のよ。食い物をたまに融通し合ったりするんだ」


 助け合いという訳だ。

 こんなところで生きていたら、そうでもしないとすぐに餓死してしまうのかもしれない。

 善意の押し付け合いというよりは、必要にかられて、ということだろうか。

 しかし、それにしては結構な量である。

 僕はそれが不思議で尋ねた。


「きみ、貧乏なんだろう? そんなことしたら食べるものなくなっちゃうんじゃないのか」


「時と場合によりけりだ。食い物だっていつも手に入るわけじゃない。そういうときにほかの誰かに分けてもらうためにやってるんだよ。だから自分で食い物をとってこれない奴にはだれも食い物をやらない」


 彼の答えは、僕の予想とはそれほどずれてはいなかった。

 しかし実際にその口から聞かされると急に現実味が増して、苦しくなる。


「……シビアだ」


 僕はそう言って肩を落とした。


「世の中そんなもんだろ。まぁ金持ちにはわかんないだろうがな」


 吐き捨てるようにそう言って、彼はさらに進んでいく。

 僕も彼の背中を追った。


 しばらく進むと、開けた空間に出た。

 先ほどまで歩いてきたジメジメした道とは違って太陽の光が差し込んでいてぽかぽかしている。

 そこの空間を占有しているのは大きな建物だった。

 どうやら形から見るに、教会のようだ。

 ただその尖塔の先にぶら下げられているべき鐘はない。


「ここ、目的地?」


 僕が尋ねると、彼は頷いて答える。


「ああ。ここに住んでる。」


 言いながら彼は教会の扉を開く。すぐに扉を閉じずに把持してくれていることから、僕を入れてくれるつもりはあるようだ。


「いいの?」


 ほとんど押しかけに近い形でついてきていたので、一応遠慮というものもある。

 念のため尋ねたのだが、彼は鼻で笑って言う。


「ここまで来たら今さらだろ。なんか、変わってるしな。あんた」


「ふーん……じゃあ、お邪魔するよ」


 遠慮はさっと吹き飛び、お言葉に甘えることにした。

 彼は無造作に、


「おう」


 そう答えて中に招く。


 教会の中に足を踏み入れると、まず建物の上方から差し込む光のまぶしさに一瞬目がくらむ。

 そして目が慣れてくると、中にはたくさんの子供たちがいることが分かった。

 子供たちは彼の足もとに群がってわいわいと楽しそうにしている。

 どうやら彼の持ってきた食べ物に興味津々らしい。

 しかし、そんなことよりも、僕は教会にいくつも設えられている長椅子の端の方に見慣れた顔があることに気付いて驚く。


「……クライスレリアーナ?」


「あら、主人。偶然ですわね」


 妖艶な顔に珍しく妖しいところのない明るい微笑みが宿っているようだった。

 そう。

 クライスレリアーナだ。

 彼女の隣にはたくさんいる子供たちよりは少しお姉さん、といった年齢の少女が腰かけている。

 少女も僕のことを見て、わずかに頭を下げる。

 会釈のようだ。

 僕は二人のもとに近づいて話しかける。


「どうしてここに?」


「いろいろありまして……」


 そう言ってクライスレリアーナはここに来るまで、そしてここに来てからの経緯を話し始めた。


 ◆◇◆◇◆


「あなたも、私の力を狙ってきたんですか?」


 少女の視線は強い。

 それは先ほどまでの優しい雰囲気などどこかに捨ててきたように厳しいものだった。


 ――これなら心配なんてしなくてよかったですわ。


 鼻で笑いながらそう思ったクライスレリアーナは、皮肉に近い微笑みを浮かべる。

 しかしその笑みが、少女には何か怖いものに映ったらしい。

 少女はますますいきりたって叫んだ。


「もう、来ないでください!私は……私は絶対にここを出ていきません!!」


 そのあまりの剣幕に、これ以上勘違いさせたままでいると本当に追い出されてしまうかもしれない。

 そう思ったクライスレリアーナは弁解を始めることにする。


「なにか勘違いなさっているのではありません? (わたくし)は別にあなたの力をどうこうしようと思ってやってきたわけではありませんのよ?」


 その言葉に少女は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、始めにクライスレリアーナが言った言葉を思い出したらしい。

 すぐに反論してきた。


「嘘を言わないでください。さっき、私の歌について聞きたいことがあるって言っていたじゃないですか!」


「確かに言いましたけど……」


 そのことに何の問題があるのか。

 クライスレリアーナは首を傾げる。

 しかし少女は続ける。


「だったら、私の言っている意味も分かるでしょう?」


 いや、分からない。

 そう言いたいところだったが、ただ首を振ってばかりだと本当に勘違いされてしまう。

 それは問題だと考え、クライスレリアーナは正直に自分の目的を語る。


「私が聞きたいのは、その力にいつ目覚めたか、そして、もし目覚めた時がわかるのならその前後に何か変わったことがなかったか、ということですわ」


 しかし、少女はそれでは納得できないようだった。

 大きな声で、


「そんなこと聞いてどうするんです? そのまま私を浚いますか?」


 などと物騒なことを言うのだ。

 クライスレリアーナはあまりの話の飛躍に呆れて、


「……どうしてそんな結論に至ったのかわからないのですけど……」


 気の毒そうにそう言った。

 すると少女は勝ち誇ったような、核心を突いたような表情で毅然と言った。


「では、はっきりと言います。あなたはおそらく"教会"か"イヴェール家"の方でしょう。何度来ても私の答えは同じです……お引き取りください」


 その声にははっきりとした拒絶の色が含まれていた。

 しかし、残念ながら、どちらの単語にもはっきり言って聞き覚えがないのだ。

 いや、聞き覚えがないことはないか。

 関わりがないと言った方がいいだろう。

 クライスレリアーナは言う。


「どちらでもないですわ。むしろこちらから質問しますがあなたの力を手に入れて、一体何の意味があるというのです?」


 言いながら、少女の言葉を考える。

 そして、なるほど、と思った。

 つまりは"教会"とか"イヴェール家"とかが彼女の力に使い道を見つけて少女を連れ去ろうとしたということだろう。

 

 少女の歌はIMMの回復スキルだった。

 つまりは回復スキルに使い道があるということなのではないだろうか。

 レド侯爵が治癒魔法を普通に使っていたらしいので、てっきり治癒魔法はそれほど珍しくないものだと主人共々予想していたがそれは間違いだったのかもしれない。

 よくよく考えてみればレド侯爵はこの世界ではそれなりに規格外だ。

 一般レベルでいうなら治癒系のスキルはかなり希少性のあるものなのかもしれなかった。

 

 しかし、たとえそうだとしても、当然ながら、クライスレリアーナには少女のスキルの希少性を理由に少女の誘拐を画策する必要も意味もないのである。

 

 だから、はっきりと言ってやる。


「仮にあなたの力にそれなりの活用法があるとして、私にはまったくの無意味ですわ」


「無意味って……」


 何を言っているのかわからない、と怪訝そうな顔をした少女に対して、ダメ押しにクライスレリアーナは息を吸い込む。


 そして、渾身の力を込めて歌い始めた。









 ――Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,(私の酷い運命に、涙を流すままにさせてください)








 ヘンデル作曲、『リナルド』より『私を泣かせてください』


 



 その歌声がローブ姿の女性の喉から生み出されたものだと気付いたとき、すでに少女は彼女の歌声に惹き込まれていた。

 芸術に、面倒な理屈など要らない。

 その存在のみで全てを引きずり込む。

 それだけのことが出来るものをこそ、芸術と呼ぶのだ。

 クライスレリアーナは、そんな芸術を生み出せる、稀有な喉を持っていた。





 ――e che sospiri la liberta.(そして、自由になる時を焦がれるままにさせてください)


 


 


 


 教会の建物すべてに反響して広がっていくその歌声。


 決して荒々しくない、優しく穏やかな、それでいて何かを求めるような祈るような歌声。


 (これは、何……? これが、歌?)


 このとき、少女は殆ど混乱していたといっていい。


 感動、と表現するのも烏滸がましい、恐ろしいほどの感情の渦が自分の心の中に生まれていることに少女は混乱を隠せなかったからだ。


 切ない。

 苦しい。

 美しい。

 もっと聞きたい。

 ずっと聞きたい。

 幸せが……泉のように湧き出てくる。


 だから、少女は、これは奇跡なのだと思った。


 自分の人生に決して訪れるはずのないと思っていた、奇跡。


 いまこの瞬間になら、神様の存在を信じられる。


 そこまで思ってしまった。


 そして、その神がかった歌声を披露している女性を見ると、いつの間にか彼女の輪郭は強い光に包まれていた。


 どこか見覚えのあるその光、少女はそれが自分の力と同じ性質のものだと気付いた。

 しかし、その力強さは桁違いだ。


 少女の体を包んでいた光を燐光と呼ぶのなら、目の前で歌う女性が放っているのは太陽と言ってもいいほどの輝きを放っている。


 けれど、それでも彼女の放つ光は決して攻撃的ではない。

 むしろ癒しの光なのだ。


 少女と同様に女性の歌声を呆けて聞いている子供たちをその柔らかな光が包んでいき、そして染み渡っていく。


 幸せだ……あぁ。









 ――Il duolo infranga queste ritorte(ただ、どうかこの嘆きが)


 







 中盤、曲調がふと月が雲に隠されたかのように陰る。


 どこか彷徨うような、悩むような歌声。


 聞きながら少女は思った。


 きっと、この歌声は苦悩を抱えているのだ。

 その苦悩を、打ち砕いてもらえるよう、神に祈りをささげているのだ。


 少女はそれを理解して、しかし、その苦しみがいつまでも続くことを祈った。


 そうすればこの歌は終わらない。

 終わらないのだから……。


 しかし少女の願いも虚しく、歌声は静かに終わりへと向かっていく。


 一歩、また一歩と。








 ――de' mei martiri sol per pieta.私の苦悩の鎖を断ち切ってくれますように)








 歌声に感じられた切ない苦悩の色は解決へと向かい、そして元の曲調へと帰結していく。







 ――Lascia ch'io pianga mia cruda sorte,(私の酷い運命に、涙を流すままにさせてください)








 ――e che sospiri la liberta.(そして、自由になる時を焦がれるままにさせてください)








 そうして最後に、その女性の最後の歌声は伸びやかに広がって、柔らかく教会を撫でると、惜しむ少女の心のうちなど知らないと、静かに空気の中に溶けていったのだった。


 すべての息を音に変えた奇跡の歌い手は静かに笑って少女に言う。






「誤解は、解けましたかしら?」





 少女は目を見開き、そして人生で最も力強く首を縦に振ったのだった。



 ◆◇◆◇◆


 教会の入り口あたりでは少年と子供たちがじゃれて遊んでいる。

 それは幸せな光景で、貧困にあえぐ人々には見えない。

 彼らを遠目に見ながら、クライスレリアーナが言う。


「……それから、フィーリア――こちらの少女のことですわ――にスキルの事などを聞いていたところ、主人たちがやってきた、とこういうわけです」


 クライスレリアーナの経緯を聞き、納得した僕は深く頷いた。

 不幸な行き違いがあったようだが、どうにか和解できたようで何よりだった。


「なるほどね」


 しかし、今さらだがこの教会にはなぜこれほどまでに大勢の子供たちが住んでいるのだろう。

 不思議に思って聞くと、クライスレリアーナが答える。


「ここは孤児院なのだそうですわ。フィーリアもあの少年や子供たちも、両親や身寄りとなる親類を戦争や魔物に奪われ、ここにやってきたそうです」


 孤児院か。

 なるほどと思った。

 ここにいるのは年端もいかない子供たちばかりだからだ。


 しかし、ここで一つの疑問が生じる。

 孤児院、という施設としてやっていっているということは、少なくとも経営主体のようなものがあるのではないか。

 そうでなければ、わざわざ孤児院などと名乗ったりはしないだろう。

 そしてそうであるならば、ここまでの貧困と言うのはおかしい。

 フィーリアやあの少年の様子を見れば、着るもの以前に最低限の食事にすら困っている様子なのだ。

 それは、奇妙なことである。

 だから僕は質問した。


「そうなんだ……しかし孤児院ってことは、だれか管理してる人がいるのかな?」


 聞かれた少女の表情は陰のある、何とも言えない微妙なものに変わる。

 おそらくは、いろいろ含むものがあるのだろうと理解できた。

 そこに、この孤児院貧しい理由があるのだとわかる。


 少女はうつむきながら言いにくそうに答えた。


「はい……イヴェール家の方が……」


 イヴェール家。


 それは、あの王城であった感じの悪い少年の家だ。

 王女と知り合いなのだからそれなりに高位の貴族かなにかなのだろうと思っていたが、孤児院経営までやってるとは思わなかった。

 そもそも、僕にはあの少年はそういう慈善事業に手を出しそうなタイプには見えなかったからだ。


 それにしても、それを聞いて思ったのは、孤児院の経営者がイヴェール家であり、さらに少女を浚うことを画策しているのもまたイヴェール家、ということに問題があるということだ。


 少女からしてみれば逆らうのも難しい相手からの申し出である。


 中世程度のレベルの封建社会ではこのような貴族などの権力の横暴には対抗しづらいだろう。


 僕はその状況の行き止まりさ加減に頭痛を感じて額をおさえながら言った。


「そこに繋がってくるわけだ。大変だね」


「はい……」


 つまり少女は微々たる金額とはいえ孤児院の資金を出してくれている人々から身柄を要求されているわけだ。

 断るにも断れない関係にも思われるが、少女はきっぱりと断っていた。

 なぜ、と聞くと少女は路地裏と言う環境の悪い場所で育ったとは思えない、ほんわりとした笑みで答えた。


「ウィアが……気にするなって言ってくれて。私がいなくなると、皆悲しむからって。お金は自分が稼ぐからって」


 ウィアとは、あの少年のことだろう。

 少女の目線は子供たちと遊ぶ少年の方を向いている。

 つまり少年の商売は孤児院の運営資金のためのものだったということだ。

 若いのになかなか見上げた少年である。


「お金って、石を売って?」


「よくご存知ですね。その通りです」


 少女は驚いたのか目をしばたたいた。

 僕は笑って言う。


「まさにその現場が僕と彼の出会いだからね」


「あぁ……」


 納得したように少女が頷く。


「ま、それもそろそろ限界に来てるんだけどな」


 いつの間にやってきたのか、振り向くとウィア少年が子供たちにそこかしこを掴まれながら立っていた。


 かなり慕われていることがそれだけでも分かり、非常に微笑ましい。


 意外なことにクライスレリアーナにも何人かくっついていて、穏やかに笑っている。

 クライスレリアーナにくっついているのは女の子が多いようだ。

 「美人さん……」とか「きれい」とかそんなことを言っているので彼女の美貌に憧れているといたところだろうか。


「限界ってどういうこと?」


 聞き捨てならないと思った僕は少年にそう聞く。

 少年は頭をがりがりとかいて答える。


「言っただろ。石を売るくらいじゃ大した金にはならないんだよ。それでもここ何か月かはぎりぎりうまくやってきたんだがな。けど、フィーリアがはっきりと断ってからイヴェール家の連中が商人やガラの悪い連中を使って嫌がらせをしてくるようになって……」


 苦虫をかみつぶしたような顔になる少年。


 そこまでやるか、という気がするが圧力というのは相手が屈するまでかけてこそ効果を発揮するものだ。

 戦略としては理解できる。

 ただ、子供に対してやることじゃない、というだけで。


 どうにかしてやりたいものだが、その方法が思いつかない。

 僕らが資金を援助すれば……とも一瞬考えるがそういう施しを与えても一時しのぎにしかならないだろう。

 それよりも恒久的にここがやっていけるような方策が必要である。


 何かないのか……と頭を抱え始めたところで孤児院の扉が乱暴に開かれる音がした。


 見ると、そこには何とも堅気には見えない男たちが数人とそれを先導する妙に身なりの整った貴族然とした男が一人、立っていた。


 彼らは徐々にこちらに近づいてくる。

 そして顔の見えるくらいの位置まで来ると、微笑みなのか嘲笑なのかわからない笑みを浮かべて言葉を投げつけてきた。

 相手はウィア少年とフィーリアだ。


 僕とクライスレリアーナについては怪訝そうな顔で一瞬見つめたがすぐに興味を失ったらしい。


「こんにちは、お二人とも。それに子供たちも。お元気そうで何よりですよ……子供たちが元気なのは、フィーリアのおかげかな?」


 くくく、と漏らした声には下卑た色が感じられる。

 身なりとは異なりあまり性質のいい人間ではないのだろう。

 言い方からしてフィーリアの力を知っていて言っているようで、おそらく彼らこそが"イヴェール家"か"教会"の人間なのだろうと思われた。


 彼は続ける。


「さて、今日の要件はそろそろ決心がついたのか、ということですよ。悪い話じゃないのはお分かりでしょう? 早いうちに決めたほうがいいと私は思いますがね」


「何度来ていただいても、答えは同じです。私はここにいます」


 フィーリアの鋭い声が響く。

 その柔らかな見た目と雰囲気とは異なって意外と度胸がある性格なのかもしれない。

 声は震えていないし、足もしっかりと地面を踏みしめて立っている。


 むしろフィア少年の方が及び腰かもしれなかった。

 とは言っても彼らに立ち向かう度胸がないというわけではないだろうが、フィーリアに比べるといささか度胸は劣るだろう。

 女の子のほうが度胸があるというのは本当だな……と、場違いにも思ってしまった。


 しかしそんなフィーリアの気丈な様子が気に入らなかったらしい彼らは、いらいらとし始める。


「そんなことを言ってもいいことはありませんよ。この孤児院、だれの資金で維持できていると思っているのです?」


「……イヴェール家です」


 悔しそうに唇をかみしめ、フィーリアは言う。

 それに満足そうに頷いた男は、笑いながら、


「でしょう? だったら我々に従う義務があるのでは? そもそも何も取って食おうという訳じゃありません。少し力を貸していただきたい、というだけなのですがね……」


 そう言って男は黙り、フィーリアをねめつけた。

 答えを、と無言で要求しているようだがフィーリアは睨むだけで何も答えない。

 男はそれを見てため息をつき、そして一歩下がる。

 そして首をゆるゆると振ると、手で後ろに控えるガラの悪い男たちに合図をしながら言ったのだった。


「まぁ、いくら言葉を重ねても無理なようであれば今日は力づく、というのも考えていました。おい、お前ら。フィーリアを引っ張ってこい!」


 男たちはにやにやと笑いながらフィーリアを囲む。

 これはまずい、と僕は助けに向かおうとするがクライスレリアーナに止められた。


「主人。大丈夫ですわ」


「大丈夫って! 無理だろ!?」


 屈強な男数人と十代半ばの少女、どちらが強いかなど見なくてもわかる。

 けれどクライスレリアーナにとってそれは自明のことではないらしい。


「私が歌を教えました。だから大丈夫です」


 そうクライスレリアーナが言うと同時に、少女は静かに歌いだした。


 突然、場違いにも歌など歌いだした少女に男たちは頭がおかしくなったかと笑ったが、一瞬後に起こった事態にそんな余裕もなくなる。


 それは高音を多用した耳障りな歌声だった。

 彼女の声が、というより曲がそのような構成になっているのだ。

 その歌を、僕は知っている。

 人の精神を壊す歌。

 絶望の音色。


 少女の体からは薄紅色の燐光が放たれ男たちに降りかかっていく。


 すると、男たちは突然、同士討ちを始めたのだ。


「やっぱり、あれは……」


「はい。主人。あれは≪物狂いの歌(インパツィーレ・カンタータ)≫ですわ。この世界の人間にもIMMスキルの習得が出来るか、実験がてら付き合ってもらったのです。ちょうど使う相手もいるらしいことはお聞きしましたし」


 ≪物狂いの歌(インパツィーレ・カンタータ)≫は相手を混乱の状態異常に陥れる≪歌姫(セイレン)≫のスキルだ。

 IMMでは歌姫(セイレン)のジョブレベルが低くても覚えられる上、それほど状態異常にする確率も高くなかったからあまり使いようのない見捨てられたスキルとされていたのだが、現実世界で使うとかなり恐ろしい効果を発揮するようであることが今ここで理解できた。


 少女の歌を聞いた男たちは一人残らず混乱状態になっているようで、お互いがお互いを引っ掴んだり殴ったりしている。

 近くではっきりと曲を聞いていた僕やクライスレリアーナに効かないのはレベル差から当然とはいえ、ウィア少年や子供たちにも効果がないのは距離の問題か、それとも対象として選択されていないからなのか少し考えてみる。

 そして、少女から放たれる燐光が男たちだけに降りかかっていたところから考えると、おそらくは後者なのだろうとなんとなく予想した。


 それから、しばらく同士討ちをしあった男たちはほうほうの体で孤児院から逃げ去り始める。

 あの貴族然とした男はぼこぼこに腫れ上がった顔をしながらも捨て台詞だけは言う余裕があったようで、


「こんなことをしてただで済むとは思わないことですね! もうこの孤児院は終わりだ!」


 と吐き捨てて逃げて行った。

 捨て台詞、と言うのを現実で初めて聞いたような気がして、なんだか面白かったのは内緒である。


 しかし、それを聞いたフィーリアもウィア少年もだいぶ青ざめており、これについてはどうにか対策を考える必要があるだろうとも思った。


 そして、ここにきて、僕は一つ、思いついたことがあった。


 明日は国王との謁見である。

 その場でこの思いつきを実現へと持っていければ、僕らの問題も、そしてフィーリアたちの問題も解決するのではないか。


 そんな風に思ったのだ。


 簡単にはいかないだろうが、決してできない話ではない。

 そう思った僕はフィーリアたちにその思い付きについて話した。


 初めはそんなことは出来るはずがない、と言っていたフィーリアたちも僕らが明日国王に謁見する予定があることを話すと、希望がないわけでもないと思ったようで真剣に話を聞いてくれた。


 これで、僕らには守るものが出来た。


 明日の謁見は絶対に失敗するわけにはいかない。


 ただ、もしも失敗したら、この孤児院の子供たちは音楽堂に連れて行こうとも思った。


 僕らの事情に巻き込むのだ。

 それくらいはするのが責任というものだろう。


 それと、先ほどの男たちがまた来ないとは限らない。

 そのため、とりあえず今日のところはクライスレリアーナに孤児院に泊まってもらうことにする。

 数人程度ならフィーリアの歌で何とかなるとしても本職の戦闘のプロが来たらそういう訳にもいくまい。

 王城には僕の方から伝えておくことにする。


 そうして、僕は王城に戻った。

 夕方、王女のお茶会に招かれ、その席で僕がやろうとしていることについて説明した。

 王女の後押しがもらえればと思ってのことだ。


 結果として王女からは好意的な返事が得られ、国王がどう捉えるかについても聞くことができた。

 おそらくは、大丈夫だろうとのことだった。


 これで、準備は整った。

 あとは明日しっかりやるだけだ。僕は部屋に戻ってベッドに横になる。

 窓の外から見える星空は地球とは異なった並びをしている。

 きっともう戻れないのだろうと思って、少しさびしく感じた。

 それから、少しだけ地球のことを思って、僕は眠りに落ちた。

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