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第1話 morendo~命絶えるように~

 低くストリングスの響く音が聞こえる。


 緩やかに流れる大河のようなその音を奏でているのは、その醜い姿には似合わないタキシードを窮屈そうに身に纏った、コントラバスを抱える悪魔だ。


 弦を押さえる彼の指は酷く無骨で、生き物を切り裂くことにのみ特化しているようにも思える爪は意外にも器用にその鋭さを隠している。


 右手に携えられた弓は淀みない洗練された動きで弦の上を撫で、ホールに美しい音色を響かせている。


 彼の見つめる譜面台の楽譜を見れば、彼の担当する音符の群れは未だ何十小節も続いているのが分かる。


 けれども、彼の演奏は、彼自身の体の発光と共に、静かに遠ざかっていく。


 表情が読みにくいといつも言われていたその薄紫色の顔が、僅かに歪んでいき、笑った、と思った瞬間に消え去っていった。


 後に残ったのは、彼の奏でていた楽器だけ。


 がたん、と大きな音を立てて地面に叩きつけられたそれは、加えられた衝撃にも関わらず全く傷つかずにそこに鎮座していて、ただ彼の不在だけを伝えていた。

 

 


 その音が消え去った後も、未だ演奏に重厚感を持たせているのはチューバである。


 大型の低音金管楽器であるチューバを抱えて見事な音を漂わせているのは、酷く背の低い少女だ。

 おそらくは十に至っているかどうか、と思わせる儚げな印象を与えるその容姿。

 可愛らしい、ふわふわのドレスを着ている彼女は、楽しげに、そしてそれでいて少しさびしそうに低音を響かせる。


 一見、彼女の小さな手に余りにも似つかわしくないと感じさせるその楽器は、開演からずっと危なげなく抱えられていて、見事な演奏を披露している。

 とても人間のその年代の少女には望めないその膂力と肺活量が語っているのは、少女が人間ではなく、ドワーフ族であると言う事実であった。


 響く低音。

 楽譜通りに奏でるなら、本来伸ばし続けるべき彼女の担当する音符は、静かにデクレッシェンドして空気の中に消えていく。

 そしてその音色と重なるように、彼女の姿も徐々に薄くなり、そして、一筋の涙をステージの床に残して見えなくなった。




 低音の支えがなくなった中、甘く歌い出したのは浅黒い肌が特徴的な魔族の女性だった。


 ノースリーブの薄いドレスが妖艶な彼女は、その声もまた期待を裏切らずに妖しく響く。


 上品な娼婦のようなその声は、普段ひたすらに穏やかな仮面を被りつづける者の性をも刺激する魔的なものが込められているようだった。

 事実、彼女の声には魔力が込められており、聞いた者はその心に宿る原始的な衝動を隠すことが出来なくなる。


 いつまでも聞いていたい。

 そう思わせる、彼女の美しい歌声。


 しかし、そんな観客たちの願いも虚しく、彼女の声はホール内にいる観客全ての心を強くかき乱しながらも、彼女自身の心は一切はだけさせずに霧のように消えていく。

 最後に彼女の見せた顔は、艶やかな、笑み。

 彼女にしか出来ない、美しい笑顔だった。

 



 瞬間、しんとしたように思わせる空気の中、微かに遠くから響いてくるのはホルンの音だ。

 高き山々の向こうから近付く柔らかな雲のような音色は、聴衆たちを安心させ、また次の主題への期待感を抱かせる。


 右手をベルの中に入れ、背筋を伸ばしてそのカタツムリのように巻かれた特徴的な管楽器を吹いているのは、耳元にその持つ楽器と良く似ている、くるくると巻かれた角を持つ羊の獣人の男性だった。


 タキシードを着ている彼は、もこもことした顔とあいまって、どこか神話的な雰囲気を漂わせている。

 しかし、穏やかそうに、おとなしそうに見える彼の顔は今、珍しく硬い。

 きっと、明日からのことを、考えているのだろう。


 堅実な、包み込むような余韻ある彼の演奏。

 世界一難しい金管楽器と言われるその音色を高く響かせた後、休符を迎えた彼は指揮者に頭を深く下げ、その姿を消滅させた。

 



 指揮台に立つ彼は、銀髪の麗しい青年だった。

 初対面の者なら確実に女性と判断するであろうその甘やかな顔立ちは、現在、滂沱の涙に濡れている。

 おそらく、彼の視界は涙でゆがみ、演奏者たちの姿は見えていないだろう。


 けれど、幾度となく重ねた練習の日々と、元々持つその才能が、彼の脳裏に見えぬ奏者達の姿を見せていた。

 彼の持つ指揮棒は彼の心の乱れとは異なり、まったく揺れずに拍子を刻んでいることがその証明である。


 聞こえてくる音楽。

 次の主題を奏でるのはフルートだ。

 彼は赤く染まった目を、1stフルートの女性に合わせて、指揮が良く見えるように合図しようとした。


 そして、渾身の、それこそ最後の一振りと、大きく指揮棒を振るうと、霞のように彼の姿は消えていく。


 静かに透けていく彼の体。


 そして把持しきれなくなった指揮棒は静かに指揮台の上に落ち、ぽきりと悲しげに折れたのだった。

 



 軽やかな主題をフルートで吹きこなすその女性は、非常に冷たい容貌をしている。

 ともすれば冷酷とも感じさせる彼女のその美貌を、大胆なデザインのアイスブルーのドレスが包んでいた。

 良く似合っており、大人の色香を漂わせる彼女には誰もが魅了されていることだろう。


 彼女の演奏はまるで極めて精密な機械のようだった。

 彼女は自分に与えられた音符を一つたりとも落とすまいと冷静に指を動かし、その決意通りに正しく音を響かせている。


 まさに冷血――と仲間達に評される彼女であったが、きっと今の彼女の姿を正面から見れば、その評価を皆が変えることだろう。

 一見いつもどおりに冷静に見える彼女の目は、楽譜を忙しげに追っているかのように忙しなく揺れている。

 完璧主義者と認識されている彼女らしい姿だった。


 しかし、現実はそれとは異なっている。

 彼女の暗譜の早さは誰もが知っていることで、楽譜など見なくてもその染みのある場所すら初見で完全に記憶してしまうほどだ。

 そう、楽譜など、彼女は見る必要がない。

 にもかかわらず、彼女の目が、楽譜を追うように揺れて見える理由。

 それは――。


 彼女の指は、自分に与えられたメロディーの最後までを吹きこなそうと動く。

 けれども、差し迫ってきた時間はそれを許そうとせずに、彼女の姿は徐々に薄くなっていく。


 そして、あと一小節、というところで彼女の姿は完全に消滅した。


 見ると、フルートは彼女が腰かけていたイスの上に置かれている。

 最後まで吹き切れないと思った彼女が、消える前に置いたのだった。


 そういうところまで、完璧主義者な彼女の性格が表れていた。

 



 一人、また一人とオーケストラの一員が消えていく中、僕はコンサートマスターとしてバイオリンを鳴らしていた。

 男性はみんなでタキシードで合わせたので、どこか僕の格好は滑稽だ。

 ただ女性陣に言わせると良く似合っている、とのことだったから、悪くはないのだろう。

 服選びも、楽しかった。

 思い出がいくつも走馬灯のようによぎる。

 

 皆、今まで一緒に暴れまわったメンバーだった。

 どれだけ沢山の冒険を、演奏を、乗り越えてきたか分からない。

 現実世界で過ごした十数年より、こちらで過ごした数年間の方がよっぽど強く記憶に残ったような気がする。

 

 IMMの――この世界の最後の思い出に、魔物たちのための演奏会をしよう、と発案したのは僕だった。

 今日ホールの客席に座っているのは、全員、懐柔テイムした魔物たちだ。


 彼らは嬉しそうに、幸せそうに僕らの演奏を聞いている。

 彼らは僕らがこの世界にもう尋ねて来られないという事を、知らない。

 AIがいくら発達したとはいえ、人間の心を再現するにはまだ遠いからだ。


 けれども、彼らもまた、一緒にこの世界を過ごした仲間たちだった。

 だから、この世界が滅びるなら、最後になにかを一緒に残したかったのだ。

 

 僕の提案は、ギルドメンバー達に好意的に受け入れられ、今日のために練習が始まった。

 お祭りは準備が楽しい、と良く言うものだが、まさにその気分で、どんな曲目を演奏しようか、誰がどのパートを演奏しようかと話している時間は、万金に変えることのできない価値ある日々だった。

 

 仮想世界に何の意味がある、現実世界での演奏に勝る音楽などそこにはない、などと言って僕らを貶す人間も確かにいた。

 それはある意味で正しく、ある意味で間違っていたと思う。


 現実世界での楽器の音は空気を震わせ、あらゆるものと共鳴し合いながら響く。

 それは確かに仮想世界では未だ表現できないものだった。

 けれども、仮想世界で演奏する音楽もまた、現実世界では表現できないものだった。


 僕らのギルドに所属するメンバーは国際色豊かだ。

 日本や欧米は当然のことながら、それに留まらず紛争地帯と呼ばれるところに居住する者や宇宙空間で生活する者すらもいたくらいだ。

 それに、僕らの中には現実でこんなふうに一つ所に集まって音楽を奏でるのが環境的に難しい者も大勢いる。

 家業のため音楽の道を断念した者、四肢を失った者、経済的に楽器の購入が難しい者、機能障害で十分に身体が動かない者、体質により外出することが不可能な者、皆が平等に、ただ音楽のことだけを考えて集まれる場所は、確かにここにしかなかったのである。

 

 僕らがここで作りだしたものは、現実世界でも受け入れられた。

 VR対応のホールを借りてコンサートをしたことも何度もある。

 初めは殆ど人なんて来なかった。

 けれど、身内くらいしか聴衆のいなかったコンサートも、回を重ねるにつれ、人が増え、徐々に受け入れられていったのだ。


 もちろん批評家達には思い切り叩かれた。

 やれ子供の遊びに過ぎない、やれ一時の流行は瞬きをする間に過ぎ去っていくだろう、などと。

 けれど僕らを新世代ニュージェネレーションと呼んで積極的に評価してくれる人も少なからずいた。

 嬉しかった。


 実際、僕ら≪楽団≫の音楽は電子媒体の売り上げで言えば大成功と言ってもいいものを収めたのだ。

 それが全てとは言わないものの、誇ってもいい成果だと思っている。 

 そんなものを創り上げられた、僕らの頑張りを、僕ら自身は認めてもいいのだと、そんな風に。

 

 だから、ここにある音楽は、ここだけのもので、僕らにとっては他の何よりも価値のある絆だった。

 

 けれど、そんな僕らの≪ラストコンサート≫も、もうすぐ終わる。

 終わってしまう。

 殆どのメンバーが、いなくなってしまったステージで演奏しているのは、もはや数人だ。

 それぞれの予定もあるし、国ごとにサービス終了時間も微妙に異なってしまうから本当に最後までここにいることが出来るのは日本に住む僕達だけだ。

 残りは、あと五分もない。

 

 曲のラストを弾き鳴らすと、ステージに残っていた最後のメンバー全員で、指揮台の前に並び、深く頭を下げた。

 今まで僕らを愛してくれた、現実世界にはいない異形の人々へと。

 

 観客の大きな拍手が聞こえる。

 それはいつまでも鳴りやまず、僕らはここで生きてきてよかった、と心から思った。

 

 僕は、客席で僕らにスタンディングオベーションを向ける魔物たちと、横に並ぶ満足そうな奏者達を目に焼き付けつつ、静かに目を閉じて終わりのときを待った。


 サービス終了まで、5……4……3……2……1―――

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