第15話 unheimlich ~薄気味悪い~
――どごおおおおおおん!!ずがああああああん!!!
と、巨斧を振りながら魔物の巣窟と言われる森林に生える巨木を切り倒して……いや、粉々に破壊していく少女。
その後ろから、ある程度の距離をとりながらついていくレド侯爵とエスメラルダ王女達は目の前で繰り広げられている一方的な破壊に顔をひきつらせながら畏怖の感情と共にゆっくりと歩いていた。
距離をとっているのは、あまり近づくと少女の振る斧の風圧で吹き飛ばされかねず、また下手をすれば切り刻まれかねないからである。
今や恐るべき戦闘能力を持っていることに疑いもない少女から離れれば、魔物に襲われる危険性が高くなることも考えたが、乙女に切り刻まれる危険を負担するより魔物に襲われる方が対処のしようがあると言う意味で安全だという結論に至った。
「これほど強力な存在だとは考えていませんでしたわ……」
「私もです。今からでも帰還された方が……」
そんな会話が乙女の後ろで飛び交っていた。
そもそもレド侯爵もエスメラルダも、エドワードの実力を過小評価しているところがあった。
たしかにSS級のアンデッドモンスターを彼は倒したが、それは彼の持つ蘇生魔法という一種の裏技によってなされたものであって、他の魔法の実力は高く見積もって、宮廷魔術師に匹敵する程度だろうと。
しかしそんな予測は乙女の常識はずれの膂力の提示によって完全に覆ってしまった。
明らかに彼らは人外なのであると理解しないわけにはいかなくなってしまったのである。
だからこそ、レド侯爵は先ほどから王女に対して帰還を申し出ているわけだが、王女はむしろそれには反対だった。
「レド侯爵。あなたのいうこともわかります。けれど、ここは向かうべきでしょう」
「なぜです。わざわざ殿下が向かう理由など……」
「ではだれが向かうべきだと? そもそも彼らに勝てる存在が我が国にいるとは私にはとても思えません。レド侯爵、あなたをして敵わない、と言わしめる相手ですよ」
「それは……」
「それに、少なくとも表面上、彼らは友好的です。今のうちに協力関係かそれに類するものを結んでおくことは必要なのではありませんの?」
「ですから、わざわざ殿下がせずとも……」
「私がするから、国を代表して彼らを我が国に組み込んだと、他国にも、そして我が国の反抗的な貴族たちにも言えるのです。ほかの誰に、それができますか?」
「……」
そこまで言われては、レド侯爵としてはもう返す言葉もなかった。
王女の覚悟のほども見ることができた。
近衛騎士として出来ることは、もう彼女を守ることだけだ。
「それと……帰ったらお父様にはしっかりと彼らを敵に回してはならない、と進言しなければなりませんわ」
「……それがよろしいでしょうな。彼らが少なくとも理性的な存在であることを神に感謝しなければなりません。もし彼らが問答無用で襲いかかって来るような存在だった場合、ピュイサンス王国は滅亡していたかもしれませぬ」
二人はとことこ歩きながらそんなことを話していた。
乙女が通った後には草一本残らず、全てが粉々に消滅している。
ついていく分には非常に楽だったため、そんな会話もできるのである。
それに、当初は魔物に襲われる危険を考えていたのだが、気を張って魔物の気配を感じていたレド侯爵は不思議なことに気づいた。
確かにこの森に魔物が多数存在するのは確かに間違いなく、多くの魔物の気配がレド侯爵には感じられた。
しかし、彼らは一定以上の距離に近付いてこないのである。
こんなことは騎士になってから初めてのことだったが、乙女の斧を振る姿を見ながら、思った。
(あのような者がいることが分かれば、魔物とて近づこうとは思うまい……)
実際のところは、乙女が持つ常時発動型スキル≪威圧≫の効果であるのだが、そのようなことはレド侯爵たちには分からない。
ただ、乙女から一定範囲内に魔物が近づこうとしない、という事実があるだけだ。
そうして一時間ほど歩いただろうか。
レド侯爵・エスメラルダ王女一行は、突然、森が開けたところに出た。
そこにあったのは屋敷、と名乗るのもおこがましい程巨大な常軌を逸した威容を誇る建造物だった。
たしかに作りは通常の屋敷と同じである。
しかし、広がりが桁違いだった。
窓の数を見るだけで、内部の無意味な広大さが理解でき、またどうみても木造である点でどうやって建築したのかすら分からない、およそ理解不明な建物だ。
当然、これを見た二人も、そして近衛騎士達も呆気にとられながら言ったものである。
「これは……なんとも巨大な!」
「王城より大きいですわ……どうして近くに来るまで見えなかったのかしら?」
王女の疑問に、斧をいつの間にかしまっている乙女が答える。
「それはねー、かくしてるからだよう」
「隠して……?」
「うん。そうなの。≪フォーンの音楽堂≫はね、近くまで来ないと見えないんだよ」
「そんな技術が……」
エスメラルダ王女にとってそれは初めて聞くものだった。
それも当然だ。
これはIMMにおける技術だからだ。
IMMにおいて、ギルドの拠点となる建物はどのような場所にでも建設することが出来た。
街に土地を購入し、そこに建てることは当然のこと、フィールドを一定期間魔物からもプレイヤーからも占拠することによって原始取得し、そこに建設することもできた。
特殊なところでは、ダンジョンを一定回数以上攻略すると、そのダンジョンのボスモンスターから莫大な金額でダンジョンの一角や全体を購入することが出来る、というものもあった。
そして、街中はともかく、フィールドやダンジョンなど特殊な場所にギルド館を建てた場合、当然のことながら襲いかかって来るモンスターやプレイヤーがいた。
その場合の対策として、IMM運営はギルド館に様々な性能を持たせた。
その中の一つが、ギルド館の隠匿である。
一定距離に近づくまで認識することができない、や、一定のアイテムを所持していなければ入ることができない、などの条件付けを行うことが出来たのである。
≪フォーンの音楽堂≫は街中に建っていたため、モンスターの襲撃を恐れる必要がなく、音楽ホールとして使用していた関係上、人の出入りを禁止することはしない方針だったため、そのような性能を使用することはなかった。
殆どの条件付けは課金しなければ使用することができなかったため、使う気が湧かなかった、というのもある。
しかし、この世界に来て、街中ではなく森の中に存在していることに気づいたとき、ノクターンが気を利かせて課金せずに使える唯一の隠匿機能である≪一定距離以上離れた場合は視認不可≫を使ったのである。
そのため、今現在においては、ある程度近づかなければ音楽堂を視認することはできない。
一通り驚いた面々は、ぞろぞろと歩いていき、音楽堂に近づく。
すると大きな正面扉が、ゆっくりと開いた。
ここに来るまでに様々な驚きがあった。
もう一生、何かを見て驚く、ということはないかもしれない、と思う程に。
しかし彼らはそんな自分たちの予想が甘かった事に気づく。
扉が開いた先、深く頭を下げている執事風の男が顔を上げたそのときに。
「ようこそいらっしゃいました。王女殿下、そして近衛騎士団長殿。私は≪フォーンの音楽堂≫で執事を務めております、ノクターンでございます。以後、お見知りおきを」
彼の仕草は洗練され、非常に美しく、また執事として高い技能を感じさせた。
王女として長く王城で過ごしてきたエスメラルダをして、これほどに行き届いた執事は滅多に見ない、と思わせるほどに。
しかしそれでも、エスメラルダは自分の悲鳴を抑えることが出来ず、「ひっ……」と声を漏らしてしまう。
そのまま叫び声をあげなかった自分を誉めてあげたい、と思ったとは後に笑い話として彼女が語るところである。
彼女たちの目の前に現れた≪フォーンの音楽堂≫を取り仕切る執事を名乗る人物ノクターン。
エスメラルダ一行の目に入ったその容姿。
紫色の肌に猪のような顔貌、凶悪な爪を伸ばした獣染みた手、はち切れんばかりに発達した筋肉。
そう、彼の容姿は非常に醜い、悪魔としか言いようがない姿だった。




