第13話 burlesca~いたずらっぽい~
馬車の揺れが心地よく、馬の蹄が立てる等間隔の音がテンポをアンダンテ――歩く速さで――にしたメトロノームを聞いているような気分にさせてくれる。
隣にはレド侯爵が腰かけ、完全に治癒した左目がしっかり見えることを、外の景色で確認し、その度に、僕にお礼を言ってくれる。
ここまで感謝されると正直こちらが恐縮してしまう。
僕の対面にはエスメラレルダ王女が柔らかな微笑みを浮かべて座っていた。
レド侯爵の目を治癒させた後、信じてもらえるかどうかは分からないが、僕の事情を説明してみたところ、彼女は目を大きく見開いて驚きながらも、「世界には不思議な事がいっぱいあるのですね……」と天然なのかどうかわからないふわりとした雰囲気で言ってくれた。
もちろん、僕の言葉だけで信じた訳ではなく、レド公爵やフィシスト副団長、それに僕が治癒した近衛騎士団の面々が僕のことを少なくとも敵ではない、という立場で支持してくれたからこそのことだろう。
それにしても、驚いたのは、目の前に佇む少女のことである。
身分が高いだろうとは思っていたが、彼女はこの国――ピュイサンス王国というらしい――の王女様だと言うではないか。
近衛騎士団が護衛についているのだから、そういった可能性ももちろん考えてはいたが、改めて名乗られるとやっぱり驚くものだった。
人生で初めて見る、“本物の王女様”というやつである。
イギリスや日本にも王女様、という地位に該当する存在は確かに現代にもいたが、中世の、騎士に守られた王女様、というのとはまた別だろう。
だからこそ、感動も一入だった。
「さて、そろそろモリトー村に到着いたしますが……よろしいのですかな?」
レド侯爵がそう言って僕のほうを見る。
彼が言うのは、あれから僕が申し出たことについてだ。
「ええ。エスメラルダ王女殿下と近衛騎士団の皆さんは、あれを調べに来られたのでしょう? でしたら、招かない訳にはいきません。それに、僕らはどう言っても、国法を犯している、としか言いようがない状態にあるわけですから……」
「不可抗力であれば仕方がないように思いますが……確かに法は法ですからな……」
レド侯爵は気の毒そうな顔で僕を見つめたので僕は苦笑する。
彼は国王に仕える騎士だ。
だからこそ、法を破ることはたとえ杓子定規のそしりを受けようとも許されることではない。
もちろん、そんなことを気にも留めない人間もこの世界にはいるのだろうが、彼はそうではない。
決められたルールを極めて自然に守る規範意識の内面化された騎士なのである。
しかし、そうは言っても、僕はそれほど心配はしていなかった。
レド侯爵自身もだ。
レド侯爵が言うには、ピュイサンス国王は狭量な人間と言う訳ではなく、またそもそもこの辺りはレド侯爵の領地であるということだ。
国王の権力がある程度確立されているとは言え、臣下であるレド侯爵から領地に館を維持する了解を貰えるように頼み、さらに僕からピュイサンス王国に何か王国が利するものを提供できるのであれば、おそらくは問題がないと予想されるらしい。
そもそも、近衛騎士団ですら対抗できなかった魔物を打倒し、エスメラルダ王女の危機を救ったという事実があれば、それだけでも十分な功績として受け入れられる可能性が高い。
王国に仕える重鎮たちで国王に反抗的な者も確かに存在するが、それでもこの事実だけは覆し難く、処罰、というところまで行くことはないだろうとのことだ。
それにエスメラルダ王女も国王に共に嘆願してくれるつもりらしく、僕は王国の重要人物の後ろ盾をすでに得ていると言っていい状態にあるということだ。
「お父様は厳しい人ですが、非常に思慮深い方です。エドワードさんが我が国に危害を加えるような方でないと分かれば、お話を聞いていただくことはできると思いますわ」
「そう言っていただけると安心できます。エスメラルダ王女殿下のような方のお父上だと思えば、きっと素敵な方なのだと想像もできますし」
そんな僕の言葉にエスメラルダ王女は頬を染めた。
伏せられたまつ毛は長く、頬はバラ色をしている。
美しいとしか言いようがない。
どことなく、天然な雰囲気を持っているエスメラルダ王女ではあるが、かなり頭の回転も速いし判断も非常に早い。
突然現れた僕に対する対応も冷静だった。
こう言う人間が育つにはそれなりの土壌が必要だ。
父親がまともである可能性が高いと考えるのは何も希望的観測というわけではない。
しばらく馬車が進み、到着したモリトー村は湖畔に作られた美しい村だった。
あまり発展している訳ではない事は明らかだったが、住人は皆、満ち足りた顔をしており、家々も木造の粗末なものが多かったが、手入れが行き届いていて不自由そうではない。
食料については湖でとれる淡水魚や森で採集することができる山菜など、美味なものが多いと言うことだった。
馬車はレド侯爵が所有する領館で停止する。
領館はそれほど大きくはなく、近衛騎士が全員泊まれるというほどのものではない。
日本で言うならお金持ちが建てそうな多少豪華な屋敷、と言ったところだろうか。
侯爵の持っている屋敷なのだからもっと巨大なものだろうと予想していたので、少し拍子抜けした。
近衛騎士たちは湖畔の開けたところで天幕を張って野営するらしく、食料も持参していたのだが、魔物の騒動で殆ど駄目にしてしまったため、村人の備蓄を購入してまかなっていた。
特に権力を嵩に着た無理な契約があった訳ではなく、むしろ困っていた騎士たちに村人の方から交渉を持ちかけたようで、近衛騎士たちの規範意識の高さも垣間見れた。
それから、僕はレド侯爵の領館に少し留まることになり、料理を振る舞われるなど歓待を受けた。
食事の席で話したことだが、≪フォーンの音楽堂≫へは明日向かうとのことだったので、僕は宿泊の勧めを丁寧に辞退し、一度一人で音楽堂に帰還することにした。
辺りもかなり暗くなっていたので、レド侯爵もエスメラルダ王女も心配したが、僕はスキルやステータス補正によって非常に夜目が利く。
だから問題ない旨を告げ、明日、案内役をここに遣ることを言って、飛竜にまたがり、領館を後にした。
◆◇◆◇◆
翌日、レド侯爵の領館の前に奇妙な少女が立っていた。
豪奢なフリルをふんだんにあしらったドレスを着ているが、その色合いはその装飾の可愛らしさとは正反対の暗黒だ。
顔立ちは人形のように精巧で愛らしく、どこぞの好事家ならまず間違いなく目の色を変える一種の完成された美貌を持った少女だった。
少女は、領館の門の前で見張りをしていた二人の近衛騎士のうち一人に話しかける。
「こんにちは!」
「……? うん。こんにちは。お嬢さん」
奇妙に思いつつも、挨拶を返した近衛騎士は少女を観察した。
村にこんな少女がいただろうか。
狭い村である。
一日歩けば殆ど全ての人間を把握できるような規模でしかない。
確かに村には小さい子供も何人かいたが、こんな少女がいたら目立つだろう。
一度でも見ていれば思い出せないはずがない。
それに……と、近衛騎士の勘が告げていた。
少女には、不思議なことに、一切の隙が感じられないのである。
近衛騎士になるまで十数年、研鑚の日々を過ごしていた彼にとって、このような気分に陥ったのはレド侯爵とフィシストを前にした時以外にはなかった。
しかし、そんなはずがないのである。
このような少女に対して、そのときと同じような緊張と警戒が心に浮かんでくるなど、そのようなことがありうるはずが……。
しかし、近衛騎士はそんな自分の疑念をとりあえず置いておき、少しかがんで少女に話を聞くことにした。
栄えある近衛騎士団の一人が、このような少女に怖気づいて会話も出来ないと言うのでは名折れであるからだ。
「何か御用かな? ここはレド侯爵の領館なのだが……」
「うんっ! わたし、乙女だよ!」
全く話がかみ合ってない返答を返した少女に少し額を抑えながらも、近衛騎士は根気よく質問を続けた。
「ええと……ここに来たのは、どうしてかな?」
「えっとねぇ、えっとねぇ! あるじがね、おむかえに行ってきなさいって」
「あるじ……?」
「うんっ」
そこまで聞いて、近衛騎士はこの少女はどこかの貴族の使用人だと理解した。それならば、その主の名を聞けばはっきりするだろう。
「その主って言う人の、お名前を教えてくれるかな?」
「あるじはー、えっと、エドワードさまだよっ!」
エドワード?
それは昨日我々を助けて下さったエドワード殿か?
近衛騎士は、彼が夜に自分の館に戻ったことを知らなかった。
だから彼の認識ではエドワードは昨日領館に宿泊したはずである。
それにそもそも、彼はエドワードの館が今回の目的地だとは知らされていなかった。
それを知っているのは、レド侯爵とフィシスト、それにエスメラルダ王女だけだ。
だから、出てきた名前に少し奇妙な気分がしながらも、近衛騎士はレド侯爵に伝えるため、門番をもう一人の騎士に任せ館に向かった。
「……では、貴方がエドワードさんの言っていた使者ですか?」
大きな一枚板で作られたテーブルを挟んで対面に座る少女にそう尋ねたのは、エスメラルダ王女だ。
彼女の隣には椅子を一つ開けてレド侯爵が座っている。
「うんっ!そうだよ。おむかえに行ってきなさいって、いわれたの」
「そうなのですか……」
頷いて紅茶を飲みながらも、エスメラルダ王女はかなり困惑していた。
目の前で彼女と同様に紅茶をおいしそうに啜りながら座っている少女はかなり、若い。いや、幼いと言うべき年齢だろう。
それにこのモリトー村周辺には確かに強力な魔物はでないし、通常の魔物も殆ど存在しないとは言え、森の中となると話は異なり、一人で歩くのは危険だとレド侯爵からも聞いている。
にもかかわらず、このような少女を使者として派遣するエドワードに疑問を感じた。
しかしそんな王女に対して、レド侯爵は首を振った。
「いえ……殿下。おそらくこの少女もエドワード殿と同様、普通の少女ではありませぬ」
「……どこからどうみても可憐な少女にしか見えませんわ」
「その気持ちは理解できますが……しかし、何と申しましょうか……私には、この少女に切り込むことはできませぬ」
「可憐だからですの?」
半ば冗談でそう言ってみたが、レド侯爵は顔を赤くして憤慨するように言った。
「そうではなく! 隙が全く……見つかりませぬ」
それが事実だとするなら、相当驚くべき話である。
だから王女は首を傾げて聞いた。
「本気でおっしゃっておられますの?」
「まぎれもなく」
眉を寄せてそう断言するレド侯爵。
彼をしてここまで言わせる兵は王国に一体どれほどいることか。
しかし、彼が言うなら、それは事実なのだろう。
そう信じていい位の武勇を、レド侯爵は築いているのだから。
そして、レド侯爵にそこまで言われる存在が道案内をしてくれるというのであれば、それは心強いことだろう。
王女は頷いて言った。
「では、安心してお願いしましょうか。貴方のお名前は、乙女さん?」
「うん、そうだよー」
「じゃあ乙女さん、そろそろ参ろうと思いますので、案内、お願いできますか?」
「わかったー」
のほほんとした返答に若干の不安を感じないでもないが、いざとなればレド侯爵をはじめとする近衛騎士たちがいる。
自分は安心して彼らに身を任せればよいと、そのときは楽観して考えていた。




