第10話 con osservanza~注意して~
しかし、問いただすような目をしたレド侯爵とは異なって、副官の男――フィシストは未だ緊張を解いていなかった。
解けるはずがなかった、と言った方が正しいかもしれない。
激戦を乗り越えた後でも崩れなかった甘いマスクをした彼の顔は、今この状況においてかなり険しく曇っていた。
その理由は何か、考えるまでも無いだろう。
レド侯爵とフィシストの目の前を見れば、いまだ健在な魔物が今にも動き出しそうな様子でそこに佇んでいるのである。
確かにあのワイバーンの少年のお陰で戦況はひっくり返ったが、実際のところ、あの魔物はただ動きを止められているだけに過ぎない。
警戒を怠る訳には行かなかった。
魔物たちが、いつあの束縛を脱して攻撃を開始してこないとも限らない。
さっさと倒してしまうのがいまこの場でとれる最も合理的な行動だった。
だから、フィシストはレド侯爵に言った。
「ともかく、すべての説明はあの魔物を屠ってからにいたしましょう」
しかし、そんなフィシストに、レド侯爵は鼻を鳴らして答える。
彼は副官であるフィシストを一人の騎士としてかなり評価している。
けれど、フィシストは彼にとっては孫にも等しい年齢をしている。
更に言うなら、彼が少年の頃のこともよく知っているのだ。
だからいつまでも小さい手間のかかる子供のように思えて、扱いもそのようなものになってしまう。
そのことを自覚していないではなかった。
でも、だからといって今さら変えられるようなものでもない。
「フィシスト、だからお前はまだまだだと言うのだ」
「……なにを」
フィシストは子供扱いされているような台詞に少しむっとし、そしてそんな気分に一瞬でもなってしまった自分を反省した。
いや、子供ではなく、弟子に対しての台詞かもしれない。
実際、フィシストの剣技の師匠はレド侯爵なのだから。
フィシストは、もう老人と言われても仕方がない年齢のレド侯爵に一度も勝ったことがないのが不満だった。
どれだけ修行しても勝てない位に、彼は強いのである。
そんな彼から、未だ実力の及ばない者のように扱われるのは、当然の話だ。
それに対して怒るなど、問題外だった。
フィシストは自分の未熟な心を静めて、レド侯爵の話を聞く。
「よく見てみるがいい。死霊王、それに死骸竜もだ」
言われてフィシストが魔物に目を凝らすと、なぜか二体とも苦しんでいるように見えた。
一体何事かと、奇妙に思ってよくよく観察してみれば、魔物の周りには淡い緑色に輝く蛍のような光がふわふわと飛んでいる。
光は空から――回遊するワイバーンから降り注ぐ音楽に合わせて踊り、一帯に美しい光景を作りだしている。
先ほどまでと何が変わったかと言えば、その光しかなく、客観的に見て、あの光が魔物二体を苦しめているように思えるが、しかしそれにしては優しい、非攻撃的な光である。
フィシストは首を傾げて尋ねた。
「一体どういうことなのですか」
「わしの予想になるが……わしも、騎士たちも皆、蘇生魔法によって蘇ったのだったな?」
顎に手を添えながら、考え込んで言うレド侯爵。
フィシストはあの光がレド侯爵、そして騎士たちを蘇らせていく光景を思い出し、ゆっくりと頷いた。
「ええ」
「そもそも蘇生魔法など、伝説、眉唾ものの存在で行使できるだけで魔術師としての最高峰と言えるだろうが、それだけでは我々全員を蘇らせることは、できん」
「と言いますと……?」
「うむ。わしが思うに、あのワイバーンの少年が使った蘇生魔法は通常のものではなく……おそらく、範囲蘇生魔法、だったのだと思う」
「範囲蘇生魔法……」
「つまりは、特定の空間に存在する全ての死者を、一度に蘇らせる……そう言った魔法じゃ」
「確かに……あのときの少年の放った光は、そのようなものに感じられました。空から降り注ぐ光が、死亡した騎士たちに降りかかり、そして蘇らせていった……しかしそれが魔物どもとどういった関係が?」
フィシストは首を傾げた。
レド侯爵はそんな部下の様子をみてため息をつく。
「ここまで言ってまだ気付かんか。アンデット系魔物の弱点はなんだった、フィシスト」
「それは神聖魔法や治癒魔法……あ、もしや蘇生魔法も……?」
「効果としては同系統じゃからな。今まで試したことのある人間――試す実力を持った人間じゃな――がいなかった故、それが効くのかどうかはそもそも研究しようがなかったが、ここにある現実を見ればその結論は明らかじゃ」
「……蘇生魔法はアンデット系魔物に効くということですか……治癒魔法で傷つくわけですから、蘇生魔法――死を生に変える魔法をアンデットにかければ……」
「その反対の効果が魔物には発生するじゃろう。つまりは――」
アンデットは即死する。
レド侯爵はそう言って二体の魔物のを見た。
すると、死霊王と死骸竜の周りに緑色の光が収束していき、彼らを包み込む。
魔物たちはそれを散らそうと暴れるが、光は一切退かずに彼らの肉体に浸透していく。
光に浸食された魔物の体は、煙を上げながらぼろぼろと崩れ落ちて行く。
断末魔の悲鳴をあげる魔物たち。
騎士たちは呆然とその光景を眺めているしかなかった。
それは信じられない景色だった。
SS級と言われる強力な魔物がたった一つの魔法で塵へと変わっていくのだ。
――自分たちは、いま、神話の中にいるのではないか
レド侯爵はふと、そんなことを考えた。
異国の服を纏った、飛竜にまたがる少年。
耳にはどこか懐かしい音楽が聞こえ、強大な魔物が光の前に消え去っていく。
神々がいたとされる時代にこのようなことがあったのではないか。
自分は、その再現を見ているのではないか。
そんな気がしたのだ。
フィシストも似たような気持ちだったのかもしれない。
どこか気の抜けた声で呟いた。
「すごい……」
「あぁ……とんでもないな……」
近衛騎士隊を率いるべき二人も、自分の役割を忘れてその光景を見つめていた。
決して邪悪ではない力が、邪悪の極致と言うべき魔物を屠っていく。
それは彼ら魔物にとっても救いのようにも感じられた。
光が彼らを浄化し、そして新しいものに変えてくれるだろうから。
そうして魔物の体の殆どが滅せられ、自身の体重を支えきれなくなって自壊すると、光の奔流は魔物を離れ、音楽と共に静かにその存在を空気に溶かしていった。
脅威は去ったのだ。
喜びの声が騎士たちから上がる。
レド侯爵とフィシストも、知らず口角が上がっていた。
しかしまだ心配事は残っている。
あの少年のことだ。
二人は顔を見合わせて空を見上げようとした。
すると、空から風が吹いた。
足を踏ん張って風に逆らい、見上げると、飛竜がばさばさとその巨大な翼で羽ばたきながら徐々に地上に降りてくる。
――人に、魔物が懐くのか。
飛竜にまたがる少年を改めて見て、レド侯爵はそんなことを思った。
考えてみれば、飛竜も魔物の一種だ。魔物は決して人と相いれない。
それは、かつてより決められた世の理であるはずだった。
にも関わらず、それを自在に操り、しかも強大な魔法を放つ実力をもった存在があそこにいる。
なんとなく、身が震えるような思いがした。
「フィシスト」
「はい」
「あの者は、本当に味方なのか?」
「……?」
「魔物を率いることが出来るのは、闇の住人だけだ。そうだろう?」
言われて、絶句するフィシスト。
それを見てレド侯爵は笑った。
「何もそれほどまでに驚かずとも……」
「しかし、侯爵!」
「ま、可能性の話よ。そう言った存在ならばわざわざ蘇生魔法などを使って我々をこの世に呼び戻したりはすまい」
「レド侯爵……」
どうやら侯爵のちょっとした冗談だったらしい。
「しかしだ。闇の住人ではないにしろ、何か目的があって我々に近付いたのかもしれん。それならば、我々を助けることにも意味はあるだろう。殿下と近衛騎士団を捕虜にすれば無理難題も通るだろうしな。気を抜くなよ」
「……はい」
確かに、あの少年がただの善意で助けてくれた、と考えるのは虫が良過ぎるだろう。
目的を見定め、しっかりと対応しなければならなかった。
自然と背筋が伸びる。
飛竜が静かに着地すると、少年はさっ、とその背から飛び降りた。
その身のこなしは非常に鮮やかで、何か武道を嗜んでいることも感じられた。
魔術師にしては、珍しいことである。
それに、手に持っているのは杖や水晶のような魔術媒体ではなく、ハープだ。
少し変わっている、と言えた。
いや、かなり、かもしれない。
ただ、その歩みは緩やかで、SS級の魔物を一撃で屠る実力をもった存在にはとても見えない。
覇気も威圧感もなく、普通の少年のように思えた。
ただそれでも、少年の力が本物であるのは、目の前に広がる光景からして疑いようがない。
だから、この少年が次の瞬間、一体どんなことを言うのか。
どのようなことを要求するのか、二人は戦々恐々としていた。
しかしその緊張は、裏切られることになる。
少年は、いつでも戦えるようにと身構えるレド侯爵とフィシストに近付くと、笑顔でこう言ったのだった。
「あの……つかぬことを伺いますが」
――ここってどこですか?




