第9話 con anima~活気を持って~
死霊王が健在なのを見て、絶望的な表情を浮かべる銀鎧の騎士たち。
彼らはおそらく信じていたのだろう。
あの一撃で死霊王は葬り去られたはずだと。
もしかしたら、死の呪文を唱えたあの高齢騎士は、彼らにとって英雄に等しい存在だったのかもしれない。
敵の前に出れば、確実に相手を仕留める英雄の中の英雄。
誰もがその技量を信じ、そして誰もがその勝利を疑わない、そんな存在。
にもかかわらず、彼の命を賭けた一撃すら何の痛痒も与えられてはいないと言う現実がそこにある。
信じていたものが容易く破られたとき、人は何を思うのか。
それは世界が崩壊したような気持ちなのかもしれない。
だから、騎士たちは、おそらくもう、戦えないだろう。
老齢騎士の勇気と、死を持って臨んだ最高の一撃と、そして自信を、彼らのうちの誰ひとりとして越えられるものはいないのだから。
老齢騎士が敵わなかった魔物に、一体誰が勝てると言うのだ。
もはや、終わったと、そう思うしかない。
「士気をあげろ! レド侯爵の命を無駄にするな!!」
兵士たちが悪夢に包まれかけたそのとき、声を上げたのは一人の騎士だった。
見ると、揃いの武具を纏っている騎士たちの中で、彼のものだけ、少し意匠が違う。
それはむしろ先ほどの老齢騎士の纏っていたものに近い。
おそらくは、彼が副官なのではないかと思われた。
兵士たちは彼の声にハッと意識を取り戻し、前を見据える。
それを見て彼は頷き、そして続けた。
張りのある、未だ希望を見失っていないよく通る声だ。
「我らの目的はなんだ! レド侯爵はなぜ命を散らした! それはただ一つ、殿下を守るためだ!! 命を粗末に扱えとは言わん……だが、ここに至って我らの命は羽よりも軽い! それは貴様らが諦めようとしたからだ! 自らの命を諦めるなら、その命、有効に使え! 殿下を生かすために! 王国の礎となるためにだ! そのときこそ我らの命は他の何よりも重くなることだろう! 諦めるな……戦え!!!」
戦いながら腹の底から声を張り上げる彼の言葉に、騎士たちは徐々に士気を取り戻していく。
彼らの技は獅子奮迅を越え、最後に煌めく超新星のような輝きを放ち始めた。
それは錯覚ではない。
彼らの剣は先ほどまでは存在しなかった不思議な淡い光を纏っているのだ。
――スキル?
僕はそれを見て、彼らがIMMにおける剣士スキルを使っていることに気づいた。
騎士たちの使っていた魔法がIMMでは見たことがないものだったので、スキルについてもこの世界独自のものが存在するのではないかと思っていたのだが、その予想は間違いだったのかもしれないと一瞬思った。
けれど僕は直後にその推測を否定する。
いや、そうではないだろう。
彼らがスキルを使い始めたのはたった今だ。
先ほどまでの彼らの戦いの中には一切そんな兆候はなかった。
もし初めから使えたのだとしたら、初めから使っているだろう。
スキルは強力で、使わないより使った方がいいに決まっているものなのだから。
にもかかわらず、彼らはたった今、スキルを使い始めた。
ということは、今この場で、スキルに目覚めたということなのではないだろうか。
なぜそんなことが起こったのか、理由は分からない。
もともと、この世界のシステムがIMMと同じなのか、それとも僕がこの世界のこの場にいることによってIMMのシステムがこの世界に流れ込んだのか。
どちらにしろ、彼らの放つ光は確かに、IMMでよく見ていた輝きで、驚きと共に懐かしさを感じた。
そして、かつてのIMMで戦った仲間たちを思い出した。
目の前の絶対に敵いそうもない巨大な敵に無謀に挑み、そして幾度も重ねた勝利の数々を。
あれは技量や経験によって得たものではなかった。
仲間との連帯と、そして現実世界でついぞ持つことのできなかった、"本気"という心情。
それが、IMMの中にあったからこそ、できたものだ。
――だったら……。
僕はアイテムボックスから竪琴を取り出し、奏で始める。
ハープの弦が奏でる天上の音色。
それは言葉通りに騎士たちに甘く降り注ぐ。
空から聞こえてくる不思議な音色に、騎士たちは怪訝な顔を浮かべ、上空を仰いだ。
彼らは驚く。
なぜなら、そこには巨大な飛竜に乗った異国風の少年がいたからだ。
「なんだあれは……」
戦いも忘れて空を仰ぐ副官の男は、自分が油断していることに気づいて魔物に向き直った。
すると、そこには奇妙な光景があった。
副官の男に限らず、騎士たちも気付き始める。
目の前の魔物が、一歩も動かないという事実に。
よく目を凝らしてみると、魔物の体には極めて丈夫そうな鎖が雁字搦めになっており、その先は地面から伸びているようだった。
地面には魔物の大きさと同じくらいの魔法陣が描き顕され、淡い光を放っている。
高位の魔法が発動しているようだった。
副官の男は考える。
自分を含め、騎士たちの戦いのやり方は先ほどまでと殆ど変わっていない。
そもそも、死霊王や死骸竜を捕縛できるような高位の魔法は騎士たちの誰にも使いこなせるものではない。
そこから導き出される答えはただ一つ。
あのワイバーンと共に空を駆ける少年が、我々に加勢してくれているのだという事実だ。
それに気づいた副官の男は驚きに目を瞠ると同時に、顔をほころばせる。
「あの少年は、味方なのか……!!」
周りの騎士たちも同様に考えたようで、先ほどまでの絶望的な空気は少し和らいだものになっている。
そして騎士たちは今こそが反撃の時と魔物に対して怒涛の攻撃を始めた。
そして空に浮かぶ少年は騎士たちが調子を取り戻すのを見て、別の曲を奏で始める。
それは今まで一度も聞いた覚えがないにもかかわらず、騎士たちに郷愁を思い起こさせる不思議な音色だった。
遥かに広がる麦畑に吹く風。
香る木々の匂いと、裕福とは言えないものの、満足げに暮らしている家族達。
忙しい公務の合間に休暇をもらい、帰京した騎士たちをわが村の自慢であると称え、笑顔で迎えてくれる村の人々。
そこにはない光景が、次々と目の前に浮かんできて、彼らは涙を浮かべながら剣を振っていた。
この景色を、この場で戦死した彼らの仲間たちはもう見ることができない。
王都に無事に帰ったら、彼らの家族に、しっかりと彼らの最後の雄姿を伝えに行こうと、彼らは思った。
しかし、そんな彼らを驚かせることが起こった。
空を回遊する飛竜から、柔らかな光が降り注ぐ。
蛍のような光は、命を失った騎士たちの周りを泳ぎ、そして彼らの体を包んだ。
すると、彼らの傷ついた体が見る見るうちに塞がり、また飛び出ていた内臓も時間が巻き戻るように彼らの体に戻っていく。
生気の全てを失ったハズの高齢騎士の体にも、生き物の気配が徐々に復活していき、そして、カッ、と目を開くと業物であろう剣を手に持って驚くべき勢いで起き上がった。
全ての騎士たちの命が、帰って来た。
その光景は奇跡としか言いようがなく、その場にいる全員の度肝を抜く。
高齢騎士は魔物を確認し、そして周りを見て呟く。
「……まさか、わしは黄泉から舞い戻ったのか……?」
確かに脈打つ心臓と、温かい自分の手を確認して、困惑の表情を浮かべる高齢騎士。
確かに、"宵の火"を唱えたことも覚えている。
しっかりと発動したことも確認した。
あれは命と引き換えに自身の魔力量を増大させて敵に必殺の一撃を与える自爆魔法だ。
発動した以上、自分は命を失っているはずなのに……。
困惑する彼の傍に、副官の男が寄って来る。
副官の男も困惑しているようだが、その顔は嬉しそうで、涙にぬれていた。
「レド侯爵!!」
「おぉ、フィシスト! まだ生きておったか」
「今この場でその台詞は洒落になりませんが……」
「わしが蘇ったということが既に洒落のようなものだと思うが……つかぬことを聞くが、わしは確かに死に、そして生き返ったのだな?」
「ええ、おそらくは……」
「これは一体どういうことなのだ……蘇生など、伝説やおとぎ話の類でしか聞いたことがないが、まさかそのような魔法を行使できるものが我が隊にいたのか?」
「いえ、そうではなく……あれをご覧ください」
フィシストは空を見上げて指差す。
そこには巨大な体躯を誇る飛竜が回遊していた。
よく見ると、その背には少年が乗っているようである。
レド侯爵はそれを確認してから、フィシストを問いただすような目で見つめたのだった。




