表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
信頼は搾取の前払い ~転生した元KGB拷問官が、笑顔で甲子園を支配する~  作者: どみさん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/8

聖域

 甲子園の土を踏んだ瞬間、何も感じなかった。


 チームメイトは全員、目を輝かせていた。山根がスタンドを見上げて固まっている。村上が土を触って笑っている。土岐はマウンドに立って、黙ってグラウンドを見渡していた。

 俺はその全員を観察した。高揚している。依存度が上がっている。ここまで来た興奮が、回復剤への疑問も、不自然な勝利の連続も、すべて塗り潰している。

 計画通りだ。


 一回戦は北海道代表。実力差があった。7-0で五回コールド。

 二回戦は福岡代表。こちらも順当に勝った。5-2。

 三回戦で近畿の強豪と当たった。ここでは少し手を使った。相手のサインを練習中に盗み、配球を先読みして打った。4-3の辛勝。


 「灰谷旋風」と新聞が書いた。「公立の星」とテレビが言った。

 園田杏の匿名コラムがネットで話題になっていた。「弱小公立が甲子園で躍進する理由」。エースの献身、捕手との信頼関係、データ分析を駆使した現代野球。美談として完璧に仕上がっている。

 杏自身は、自分が書いた美談を信じていないだろう。だが書いた。チームが勝ち進む高揚感が、ペンを動かしている。

 使える。この記事を読んだ対戦相手は、灰谷を「正々堂々の弱小」として見る。警戒の角度が変わる。


 準決勝を勝った夜、決勝の相手が確定した。


 明光学院。大阪府代表。エースは御堂颯馬。ドラフト1位候補。最速154km/h。

 甲子園の怪物。


     ◇


 御堂颯馬の情報は、三日前から集めていた。


 まず野球の実力。データ上、俺より上だ。球速、変化球の種類、制球力、スタミナ。すべてで上回る。正面から投げ合えば負ける可能性がある。

 次に人間関係。御堂のSNSは品行方正だった。チームメイトとの集合写真、練習動画、ファンへの礼儀正しい返信。隙がない。

 だが、家族に穴があった。


 母親、御堂陽子。シングルマザー。看護師として市民病院に勤務。長男の颯馬と次男の蓮。蓮は私立中学に通っている。学費は年間八十万。

 ここまでは普通の家庭だ。問題はその先にある。


 八年前、御堂陽子は消費者金融から二百万を借りている。当時の夫の事業失敗を穴埋めするためだ。離婚後に返済を続け、五年前に完済した。

 完済した、と思っていた。

 実際には、債権が転売されていた。完済先の消費者金融が経営破綻し、債権が闇金に流れている。法的にはグレーだが、闇金は「利息の再計算」を盾に取り立てを再開できる。

 俺は、その闇金に接触した。


「御堂陽子の債権、俺が買い取る。いくらだ」


「あんた誰だ」


「金を払う人間だ。それ以上の情報はいらないだろう」


 百二十万で債権を買った。株の利益から出した。

 そして、取り立てを再開させた。


     ◇


 決勝前夜。


 明光学院の宿舎に、一本の電話がかかった。御堂颯馬の個人携帯に。

 母親からだった。


 俺はその通話の内容を知らない。だが推測はできる。

 「颯馬、ごめんね。昔の借金のことで……」

 母親は泣いているだろう。八年前に終わったはずの過去が蘇った。弟の学費が払えなくなるかもしれない。

 御堂颯馬は、明日の決勝の前夜に、家族の危機を知った。


 俺は甲子園のスタンドに座っていた。夜のグラウンドを見下ろしている。照明は消えている。土の白さだけが、月明かりに浮かんでいた。


 御堂颯馬。お前は正しい人間だ。努力で才能を磨き、家族を支え、仲間を信じ、正々堂々と戦ってきた。だからこそ壊しがいがある。


 正しさは、武器にならない。正しいだけの人間は、正しくない手段に対して無防備だ。盾を持たない。なぜなら、自分が盾を必要とする世界を想像できないから。


 スマホをポケットに戻した。明日の配球パターンを頭の中で組み立てる。

 御堂は投げるだろう。家族の問題があっても、マウンドに立つ。そういう人間だ。

 だが本来の実力は出せない。集中力が削れる。ストレートが二、三キロ落ちる。変化球の制球が甘くなる。

 その差が、試合を決める。


 夜風が吹いた。八月の大阪は蒸し暑い。左手の薬指を、親指で擦った。


 明日、この聖域を汚す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ