初手
県予選二回戦の朝、俺はスマホの画面を確認した。
深夜二時に投下した偽アカウントの投稿。「灰谷地区の中学で陰湿ないじめが発覚。主犯は柿沼●●の妹」。添付画像は架空のLINEスクリーンショット。作成に十五分。生成AIに加工させた。
閲覧数は朝七時の時点で四百を超えていた。リポストが十二件。コメント欄に「特定班」を名乗る連中が湧いている。
ネットの暴走は速い。火をつけるのは簡単で、消すのは不可能だ。
柿沼亮太。今日の対戦相手、東陽高校のエース。右投げ、最速141km/h、スライダーとチェンジアップのコンビネーション。データ上は灰谷より格上だ。だが柿沼には弱点がある。二歳下の妹を溺愛している。SNSに妹との写真を頻繁に投稿し、プロフィールに「妹の笑顔が俺のエネルギー」と書いてある。
その妹が、今朝、学校に行けない状態になっている。
◇
広島県営球場。午前十時。
ブルペンで肩を作りながら、東陽ベンチを観察した。柿沼がスマホを握りしめている。監督に呼ばれて慌てて仕舞ったが、目の焦点が合っていない。
試合前のキャッチボールで、柿沼の球が荒れた。ストレートが抜ける。スライダーの曲がりが浅い。
隣の土岐が気づいた。
「東陽のエース、今日おかしくないか」
「緊張じゃないか。県予選だし」
「いや、球が死んでる。あれは緊張じゃねぇ」
土岐は目がいい。捕手として、投手の状態を読む力がある。だから使える。俺は笑った。
「なら楽に勝てるな」
◇
試合が始まった。
初回、灰谷の攻撃。一番打者の山根がファーストストライクを叩いてセンター前ヒット。柿沼の球がシュート回転している。腕の振りに力が入っていない。
三番打者が右中間を破る二塁打で山根が生還。1-0。
二回表。四番が三振したが、五番の村上がライト前に落とした。柿沼がマウンドでロジンバッグを何度も握り直している。指が震えているのが、マウンドからでも見える。
三回、俺のマウンド。東陽打線は悪くない。だが俺の直球は二年間で147km/hまで上がっている。回復剤と、前世の人体知識で鍛え上げた身体。土岐の構えたミットに、一球ずつ叩き込んだ。
三回を投げて被安打一、奪三振五。
四回表。灰谷の攻撃で追加点。3-0。
柿沼がベンチに下がった。交代だ。
代わった二番手投手は130km/h台の平凡な右腕で、六回までに灰谷が7-1まで引き離した。
試合は7-2で灰谷の勝利。コールドにはならなかったが、内容は完勝だった。
◇
試合後。
球場の出口に向かう途中で、柿沼とすれ違った。
目が赤い。電話をしている。声が漏れた。
「美咲、大丈夫か。学校は休んでいいから。お兄ちゃんが絶対なんとかするから」
俺は歩調を変えずに通り過ぎた。хорошо。初手は成功だ。
投稿は試合後に削除する。だが拡散された情報は消えない。柿沼の妹は、しばらく学校に行けないだろう。柿沼は次の試合にも影響が出る。
もっとも、俺たちとの対戦はもう終わった。柿沼がどうなろうと、もう関係ない。
壊した道具に興味はない。
スタンドの階段で、園田杏がノートを広げていた。
「お疲れ様です、黒鉄先輩。今日のデータまとめました」
「ありがとな。どうだった」
「灰谷は文句なしです。ただ、柿沼投手の球速が気になって。初回から平均7km/h落ちてたんですよね。練習試合のデータと比較すると異常値で」
「体調不良じゃないか。夏場だし」
「かもしれないですね」
杏はノートを閉じた。だがペンは手から離さなかった。この女は、納得していない顔をしている。管理対象。経過観察を続ける。
球場を出て、駐車場のベンチに座った。スマホを開く。次の対戦相手、港南学院の情報を検索する。
監督の名前を入れた。検索結果の三番目に、五年前の地方新聞の記事が出た。
「港南学院野球部、体罰問題で前監督が辞任。現監督が後任に」
前監督の体罰。現監督は後任として引き継いだだけだが、当時のコーチだった。記事を読むと、コーチとしての関与は不問にされている。
不問にされた、ということは、掘れば出る。
スマホをポケットに戻した。次の手の輪郭が見えた。




