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信頼は搾取の前払い ~転生した元KGB拷問官が、笑顔で甲子園を支配する~  作者: どみさん


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1/7

覚醒

 130km/hの直球がミットに収まった。捕手が首を傾げている。


 当たり前だ。今の球にキレがないことくらい、投げた本人が一番わかる。左足の踏み込みが浅い。肩の開きが早い。肘の角度が三度ほどズレている。

 そこまで分析して、俺は自分の思考に違和感を覚えた。


 三度。なぜ、三度とわかる。


 マウンドの土を踏む感触が遠くなった。広島の春の空気が、一瞬だけモスクワの冬に変わる。零下二十度の地下室。コンクリートの壁に反響する悲鳴。椅子に縛りつけた男の肩関節が、ちょうど三度ずれた瞬間の手応え。

 二十年分の記憶が、目の奥で弾けた。


 俺は――誰だ。


 黒鉄零。十六歳。灰谷高校一年、野球部。

 違う。

 セルゲイ・ヴォロノフ。五十三歳。旧ソ連国家保安委員会第二総局、尋問技術主任。

 二十年、国家に忠誠を捧げた。その報酬が、後頭部への銃弾一発だった。


 マウンドの上で、俺は目を閉じた。開いた。

 広島県東広島市。灰谷高校のグラウンド。土埃の匂い。アルミバットが金属音を立てている。隣のコートでは女子テニス部が黄色い声を上げていた。

 ここは日本で、俺は高校生で、今は二〇二四年の四月だ。


「おーい、黒鉄ー! 次の打者入るぞー!」


 ベンチから声が飛ぶ。

 俺はグラブを叩いて応えた。笑顔を作る。頬の筋肉を七ミリ引き上げ、目尻に皺を寄せる。好感度の高い笑顔の構成要素は、尋問対象の心理的防壁を解除するために百回以上練習した。

 二十年の技術が、十六歳の顔に乗った。


「おっしゃ、いくぞー!」


 声を張った。明るく、爽やかに。

 次の打者がバッターボックスに入る。左打ち、体重移動が遅い、ステップが開く。内角高めの直球で詰まらせろ。

 分析が自動で走る。止められない。俺の目は、もう十六歳の目ではなかった。


     ◇


 練習後、部室でチームメイトを観察した。


 十五人。弱小公立の野球部にしては多いほうだ。だが戦力として計算できるのは半分もいない。

 一人ずつ、見る。


 内野手の山根。肩が強いが守備範囲が狭い。練習中、監督の目がない瞬間にスマホを触っていた。依存傾向。利用できる。

 外野手の村上。足は速いが打撃に難あり。ロッカーに隠した菓子パンの包装紙が三つ。ストレスの代償行動だ。家庭環境に問題がある可能性が高い。

 そして、正捕手。


 土岐隼人。


 こいつだけ、目が違った。

 がっしりした体格に日焼けした肌。短く刈った髪。練習中、一度も手を抜かなかった。他の部員がだらけている時間帯にも、一人でスローイングの練習を繰り返していた。

 右膝を時折叩く癖がある。古傷だ。それでも走る。

 目つきが鋭い。だが、裏がない。


 こいつは「信頼」で動くタイプだ。

 恐怖では折れない。利益では靡かない。だが、信じた相手のためなら限界を超える。

 最も扱いやすい部類の人間だった。


「土岐」


 声をかけた。土岐が振り向く。


「お前、中学のとき県選抜だったろ」


「……なんで知ってる」


「グラブの使い方でわかる。独学じゃああはならない」


 嘘だ。部員名簿に書いてあった。だが「観察力がある」という印象を植えつけるほうが有効だ。

 土岐の目が少し変わった。警戒が、興味に変わる。


「で、なんだよ」


「組まないか。俺が投げて、お前が受ける」


「もう受けてるだろ」


「違う。本気でやるって意味だ。甲子園を目指す」


 土岐が黙った。三秒。唇の端が引き締まったのを見逃さない。こいつはこの言葉を待っていた。弱小公立に来て、誰にも言えなかった言葉を。


「……うるせぇ。投げろ。話はそれからだ」


 口が悪い。だが目が笑っていた。

 左手の薬指を、親指でゆっくり擦った。


 使える。


     ◇


 夜。自室で証券口座の開設手続きを進めた。


 親の名義を借りる。黒鉄ファーマ社長の息子という立場は、この程度のことには十分に機能する。

 銘柄はもう決めてある。NVIDIA。TSMC。二〇二四年から二〇二五年にかけて、AI関連株は二倍三倍に跳ねる。前世の俺は戦場にいて、銃しか持っていなかった。あの頃のロシアでは、株式口座より銃のほうが手に入りやすかった。

 だが今は違う。

 指先一つで、金が金を産む世界だ。


 二年。二年あれば、すべてを揃えられる。


 スマホを置き、机の引き出しから部員名簿を取り出した。

 一人ずつ、名前の横にメモを書いていく。


 山根――スマホ依存。アプリの使用履歴で管理可能。

 村上――家庭問題。支援と引き換えに忠誠を買える。

 佐伯――肘に違和感を隠している。回復手段を提供すれば恩を売れる。


 ペンが最後の行で止まった。


 土岐隼人。


 三秒、考えた。

 それから書いた。


 信頼。最も扱いやすい。


 ペンを置く。スマホを取り、父親に電話をかけた。


「父さん、相談がある。野球に本気で取り組みたい。設備投資をしてほしい」


 電話の向こうで、父親の声が明るくなるのがわかった。息子が初めて何かに夢中になったのだと思っている。

 夢中。そうだな。そう呼んでもいい。二度と、誰かの駒にはならない。今度は俺が盤面を支配する。


 高校野球は、その第一歩だ。


 電話を切り、窓の外を見た。広島の夜は静かだった。星が見える。モスクワでは見えなかった星だ。

 左手の薬指を、親指で擦った。


 хорошо(ハラショー)。始めよう。


 部員名簿の隣に、父の会社の製品カタログを広げた。開発中のサプリメント一覧。筋肉回復促進、関節保護、持久力向上。

 どれも合法だ。今のところは。

 ページの余白に、化学式を一つ書き足した。前世で、捕虜の体力を短期間で回復させるために使った配合だ。

 黒鉄ファーマの設備なら、作れる。

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