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第3話 静寂の力


 魔族領との境界の入り口となる森。


 この街の外縁に広がる森は、ただ深いだけではない。

 人の手が入らず、魔力が澱み、

 境界として“機能している”場所だ。


「……この辺りだな」


 ラルヴィクは、森へ足を踏み入れた。


 枯れ葉を踏む音は、意識的に消していない。

 隠れる必要はない。


 代わりに――

 魔力を、極限まで細く解いた。


 糸。


 視認できないほどの細さ。

 触れても、感じ取れない密度。


 一本ではない。

 十本でも、百本でもない。


 数十億本。


 それらはすべて、ラルヴィクの感覚と直結している。


 糸は森へと広がっていく。


 木々の隙間を抜け、

 葉と葉の間を通り、

 樹皮の凹凸をなぞりながら、

 何一つ乱さずに、ただ存在する。


 押さない。

 削らない。

 干渉しない。


 魔力でありながら、

 自然の一部として振る舞う。


「……いたな」


 数十億の感覚のうち、

 一点だけが、はっきりと異物を捉えた。


 荒い魔力。

 高温。

 獣性の強い循環。


 ヘルハウンド。


 森の奥、岩陰に潜むその姿が、

 糸を通して立体的に把握される。


 筋肉の収縮。

 呼吸の間隔。

 体内を巡る魔力の流れ。


 そして、中心。


「……核は、やはり魔石か」


 ラルヴィクは、糸の密度をわずかに変えた。


 一本だけ、

 ほんの僅かに“濃く”する。


 それだけで十分だった。


 糸が、ヘルハウンドの体表に触れる。


 その瞬間、

 糸はほどけ、分岐し、広がった。


 体表に、紋様が走る。


 術式ではない。

 刻印でもない。


 ただの、経路。


 魔力は、筋肉を避け、

 骨をなぞらず、

 臓器を傷つけることなく、

 正確無比なルートで体内へ入り込む。


 抵抗はない。


 ヘルハウンドは、

 まだ異変に気づいていない。


 糸はさらに分かれ、

 体内深部へと到達する。


 魔石。


 その瞬間。


 ――ようやく。


 ヘルハウンドが、理解した。


 全身が強張り、

 吠えようとして声が出ず、

 逃げようとして足が動かない。


 死を予感した瞬間だった。


 ラルヴィクは、魔力を“止めた”。


 破壊しない。

 爆ぜさせない。


 魔石と肉体の循環を、

 わずかに噛み合わせなくする。


 それだけ。


 音はない。

 衝撃もない。


 次の瞬間、

 ヘルハウンドの生命活動は、完全に停止した。


 森は、静まり返ったままだ。


 ラルヴィクは歩み寄り、

 倒れた巨体を見下ろす。


「……素材は、使えるな」


 毛皮。

 牙。

 骨。

 内臓。


 どれも、魔力の損傷がない。


 魔石も含め、

 すべてが“良い状態”で残っている。


「このまま置いていくのは、無駄か」


 糸状の魔力を、今度は別の用途で使う。


 持ち上げない。

 引きずらない。


 重量を、分散させる。


 数十億本の糸が、

 ヘルハウンドの巨体を包み込み、

 地面との摩擦を、ほぼゼロにする。


 巨体は、

 まるで地面を滑るように、

 静かに浮いた。


「……よし」


 ラルヴィクは踵を返す。


 討伐は終わった。

 だが、仕事はまだ終わっていない。


 回収までが、仕事だ。


 森の中を、

 ヘルハウンドの亡骸を伴って、

 静かに街へ向かって歩き出した。


 街の門が見えてきた頃、日差しはまだ高かった。


 門の前では、数人の冒険者が装備の確認をしている。

 これから森へ向かうのだろう。


 ラルヴィクの姿に気づいた一人が、口元を歪めた。


「おいおい、もう帰ってきたのかよ」


 からかうような声。


「忘れものか?

 相手はヘルハウンドだぞ。

 準備なしでどうにかなる相手じゃねぇ」


 ラルヴィクは足を止め、淡々と答えた。


「今日は、もう出なくていい」


「は?」


「森の奥は、しばらく静かになる」


 意味が通らない、という顔。

 次の瞬間――


 門の影から、巨大な黒い亡骸が、音もなく滑り出てきた。


「……?」


 誰も、すぐには理解できなかった。


 引きずった跡もない。

 血の匂いも、ほとんどない。


 だが、全貌が見えた瞬間、空気が凍りつく。


「……ヘル、ハウンド……?」


 黒い毛並みはほぼ無傷。

 牙も爪も揃っている。


 倒したというより、

 そのまま持ってきたとしか思えない状態だった。


「……解体は?」


 誰かが、恐る恐る聞いた。


「まだだ」


 ラルヴィクは首を振る。


「先に、ギルドへ持っていく」


 冒険者たちが顔を見合わせる。


 ギルドの裏手、解体場へと向かう途中、

 受付にいた職員が目を見開いた。


「……っ!

 そ、それを持ち込まれるのは構いませんが……」


 言いにくそうに、続ける。


「申し訳ありません。

 ギルド会員でなければ、素材の買取はできません」


「……そうか」


 ラルヴィクは、少し考え込んだ。


 冒険者ギルドへの加入。

 王宮魔道士との兼務。


「……どうなんだ?」


 独り言のように呟く。


 規定に反する可能性はないか。

 後から面倒になるのは避けたい。


「一度、規定を確認する」


 そう言って、亡骸から視線を外した。


「解体は、その後に頼む」


 その場にいた冒険者の一人が、思わず言う。


「……それ、ここに置いとくのか?」


 ラルヴィクは首を振った。


「いや」


 そう言って、

 何の前触れもなく、亡骸に手を伸ばす。


 次の瞬間。


 ヘルハウンドの巨体が、すっと消えた。


「……え?」


「……今、何が……」


 一瞬の沈黙。


 理解が追いついた者が、叫ぶ。


「ま、待て……!

 今の、マジックバッグじゃねぇぞ……!」


 ラルヴィクは、何でもないことのように言った。


「空間収納だ」


 ざわ、と空気が揺れた。


「……空間、収納?」


「個人で使えるもんなのかよ……」


 マジックバッグとは違う。

 容量制限も、重量制限もない。


 高度な魔力制御がなければ、

 そもそも安定させることすらできない代物だ。


 ラルヴィクは、周囲の反応を気にも留めず、踵を返す。


「規定を確認したら、また来る」


 それだけ言って、ギルドを後にした。


 背後では、言葉を失った冒険者たちが立ち尽くしている。


「……なあ」


「俺たち、

 とんでもないのを“最弱”って呼んでなかったか?」


 誰も、否定できなかった。


 一方でラルヴィクは、城へ戻る道すがら、小さく呟く。


「……少しは、街の役に立ったのか?」


 答えはない。


 ギルドを出た後も、ざわめきはしばらく収まらなかった。


「……今の、見たか?」


「マジックバッグじゃねぇよな……」


「空間収納、って言ったよな……?」


 冒険者たちの声が、背後で小さく重なっていく。


 だが、ラルヴィクは振り返らない。


 確認すべきことは、もう決まっていた。


 城へ戻ると、机代わりにしている石卓の上に、いくつかの書類を並べた。

 王都から持ってきた規定集だ。


「……冒険者ギルド規約」


 ページを捲る。


 加入条件。

 身分制限。

 兼業規定。


 読み飛ばすことはしない。

 一行ずつ、淡々と確認する。


「……王宮所属者の登録、禁止はされていない」


 ただし、注意書きがある。


 職務に支障をきたさないこと

 王命を優先すること

 ギルド内での立場は一般会員と同等


「……問題は、なさそうだな」


 思ったより、緩い。


 あるいは――

 王宮とギルドが、互いに深く干渉しないよう、

 最初から線を引いているのか。


 ラルヴィクは書類を閉じた。


「……加入自体は、可能」


 だが、すぐに結論は出さない。


 加入すれば、

 依頼という形で仕事が増える可能性がある。


 増える仕事は、悪くない。

 だが、目的はあくまで――

 街が壊れないようにすることだ。


「……解体は、頼むとしても」


 城の床に、目を向ける。


 今、そこには何もない。


 だが、空間の“向こう側”には、

 ヘルハウンドの亡骸が、静かに収まっている。


「……保存状態は、問題ない」


 温度。

 時間。

 魔力の安定。


 すべて、想定通りだ。


 そこまで確認して、ラルヴィクはようやく椅子に腰を下ろした。


 一方、ギルドでは。


 受付の奥で、数人の職員が小声で話していた。


「……規定上、問題はないんですよね?」


「ええ。

 王宮魔道士でも、登録は可能です」


「でも……」


 言葉に詰まる。


「空間収納を、あんな自然に使う人、

 今までいました?」


 誰も答えなかった。


 別の職員が、書類を手に取る。


「……まずは、ギルド長に報告を」


 その名が出た瞬間、

 場の空気が一段、引き締まる。


 だが――

 この時点では、まだ“報告案件”に過ぎない。


 大事になるかどうかは、

 次の一手次第だった。


 一方その頃、ラルヴィクは城の窓から街を見下ろしていた。


 人の動きは、昨日と変わらない。

 騒ぎになっている様子もない。


「……静かだな」


 それが、この街にとって

 良いことなのか、悪いことなのか。


 まだ、判断はつかない。


 ラルヴィクは、コーヒーカップに手を伸ばした。


「……少し考えるか」


 


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