第2話 街
翌朝、辺境の城の中。
風の音はある。
だが、それ以外の余計な気配がない。
「……王都とは違うよな」
城の石卓の上に、一通の封書が置かれていた。
昨日までは、なかったはずのものだ。
使いが来た気配もない。
――だが、封蝋の紋章を見て、察しはついた。
「……王都、か」
封を切り、目を通す。
内容は簡潔だった。
辺境での活動について、追加の予算措置は行わない。
滞在に必要な費用は、各自工面されたし。
現地での裁量は認める。以上。
……要するに。
「金は出さないが、好きにやれ、か」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
左遷された魔道士に、これ以上の投資はしない。
だが、責任だけは放棄しない。
いかにも、王都らしい判断だ。
「まあ……想定内だな」
王都での生活が、どれだけ恵まれていたかを、
こんな形で再認識させられるとは思わなかったが。
ラルヴィクは手紙を畳み、石卓に置いた。
怒りはない。
失望も、今さらだ。
「自活、ね……」
城の中を見回す。
広い。
無駄に広い。
だが、金になるものは何もない。
「……静かすぎるわけだ」
小さく呟き、俺は城門を出た。
今日は、この街の代表――町長のもとへ向かう予定になっている。
国の命令で配置された以上、形式的な挨拶と状況確認は必要だ。
面倒ではあるが、後回しにすると余計に拗れる。
町長の屋敷は、街の中では比較的まともな建物だった。
外壁は補修され、玄関先もきれいに掃除されている。
――分かりやすい。
「これはこれは! 王宮魔道士ラルヴィク殿!」
扉をくぐった瞬間、恰幅のいい中年男が、必要以上に腰を折った。
この街の町長だ。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました!」
「……挨拶はいい。
魔族領との戦況を確認したい」
そう言うと、町長は一瞬だけ言葉に詰まり、それから笑顔を作った。
「もちろんでございますとも!」
応接室に通され、町長は咳払いを一つして語り始める。
「ご安心ください。
現在、大きな争いにはなっておりません」
「……ほう」
正直、少し意外だった。
王の話では、この辺境は、いつ戦火が広がってもおかしくない土地のはずだった。
「魔族側も内情が不安定なようでしてな。
こちらに本腰を入れる余裕はない様子でございます」
町長は、いかにも把握しています、という顔で続ける。
「魔物の襲撃は定期的にありますが……
冒険者たちが首尾よく対策しております」
「つまり、現状は膠着状態、か」
「はい! まさにその通りで!」
言葉が軽い。
だが、嘘を言っている様子でもない。
――王の言っていた話とは、だいぶ違うな。
危機的状況だからこそ、王宮魔道士を送る。
そう聞いていた。
だが実際は、危険ではあるが、差し迫ってはいない。
「王都では、どうしても誇張されがちでしてな!」
町長は笑いながら、さりげなく王宮を持ち上げる。
同時に、自分の手腕も誇示している。
典型的なゴマすりだ。
だが、こういう人物は嫌いではない。
事を荒立てないし、空気を読む。
「……分かった」
俺は立ち上がった。
「しばらくは、城で研究と整備に専念する。
何かあれば、城を訪ねてくれ」
「おお! それは心強い!」
町長は大げさに頷いた。
「では、万一の際には、すぐにお伺いいたします!」
「無理に来なくていい。
使いを寄越せば十分だ」
「は、はい! 承知いたしました!」
屋敷を後にし、通りへ出る。
拍子抜け、と言えばそうだ。
「……王の言ってた事と違うが」
だが、その分――
研究に専念できそうで、正直ありがたい。
王都の生活は嫌いじゃなかった。
だが、静かな環境で、誰にも急かされずに作業できるのも悪くない。
城へ戻る途中、路地裏に人だかりができているのが目に入った。
「……?」
近づくと、血の匂いがした。
地面に座り込んでいるのは、冒険者らしい男。
鎧は裂け、腕から血が流れている。
「ちっ……油断した」
「動くな、止血が先だ!」
周囲の冒険者たちが慌ただしく動いている。
致命傷ではない。
だが、放っておけば悪化する。
俺は一瞬だけ足を止め――
それから、前に出た。
俺が近づくと、冒険者たちの視線が一斉に集まった。
「……城の魔道士だ」
「最弱、って呼ばれてる奴だろ」
小声だが、はっきり聞こえる。
胸の奥が、わずかに疼いた。
そうかもしれんが……
今はどうでもいい。
俺は膝をつき、怪我をしている男の腕を見る。
裂け傷は深くない。
だが、焼けたような痕と、嫌な魔力の残り香がある。
「……相手は?」
「ヘルハウンドだ」
その名が出た瞬間、周囲の空気が張りつめた。
「冗談だろ……」
「この辺りじゃ、滅多に出ねぇぞ」
ヘルハウンド。
魔族領の奥に棲む、炎を纏う魔獣。
単体でも熟練の冒険者を殺しかねない、れっきとした強敵だ。
「一匹だけだった」
男は悔しそうに歯を食いしばる。
「動きが良すぎた。
深追いしてこなかったが……油断した」
俺は頷き、傷と鎧を見比べる。
噛み跡。
焼け。
魔力の残滓。
間違いない。
「……先に、鎧だ」
「は?」
「このままだと、また裂ける」
留め具に指をかけると、男が身を引いた。
「お、おい!
治癒魔法は使えねぇのか!」
「治癒はしない」
静かに言う。
「戻すだけだ」
裂けた鎧に手を置く。
詠唱はない。
光もない。
ただ、歪みを正しい位置へ戻す。
きぃ……と、小さな音を立てて、
裂け目がゆっくり閉じていった。
「……なんだ、それ」
誰かが息を呑む。
次に、傷口の脇へ手をかざす。
炎の魔力が、まだ居座っている。
押さえ込まない。
追い出す。
魔力の流れを整え、
不要な熱だけを逃がす。
「……っ」
男の肩から、力が抜けた。
「痛みが……引いてる」
「今日は動くな。
完全に塞がったわけじゃない」
男はゆっくり立ち上がり、
深く頭を下げた。
「助かった」
その声に、さっきまでの強がりはなかった。
周囲の冒険者たちも、黙り込んでいる。
ヘルハウンド相手に、
この程度の被害で済んだ理由。
――皆、薄々感じている。
俺は立ち上がり、手を払った。
「運が良かっただけだ」
そう言って、視線を街の外へ向ける。
気配は、まだ消えていない。
深追いしない。
一匹だけ。
殺しきれたはずなのに、引いた。
「……様子見、か」
小さく呟く。
冒険者たちが、こちらを見る。
「おい……まさか」
「まだ、いるのか?」
俺は頷きも否定もしなかった。
代わりに、歩き出す。
「城に戻るんじゃねぇのか?」
「違う」
街門の方へ向かいながら、答える。
「外を見てくる」
理由は言わない。
説明するほどのことでもない。
ただ――
放っておくと、面倒になる。
街の外へ続く道に立ち、
俺は小さく息を吐いた。
「……魔道士の初仕事、か」
派手な魔法も、号令もいらない。
壊れる前に、終わらせる。
それだけだ。
俺は静かに、
街の外へ足を踏み出した。




