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第14話 救出


 洞窟へ向かう途中で、

 ラルヴィクは足を止めた。


 風は、吹いている。

 木々も、揺れている。


 だが――

 足りない。


(……多いな)


 魔力を、細く伸ばす。


 探るというより、

 確認する。


 ゴブリン。

 洞窟の前。

 森の左右。

 斜面の影。


 数は、

 想定を超えている。


「……本隊か」


 それ以上の感想は出なかった。


 混じっている影に、目を留める。


 体格が違う。

 動きに、迷いがない。


 ホブゴブリン。


(……迎え撃つ気だな)


 洞窟を見た。


 奥に、

 サリアがいる。


 生きている。

 それだけは分かる。


 時間は、

 こちらに味方しない。


 回り込むこともできる。

 隠れることもできる。


 だが――

 それは、時間がかかる。


「……行くか」


 ラルヴィクは、前に出た。


 隠れもしない。

 構えもしない。


 ただ、

 歩く。


 最初に反応したのは、

 ホブゴブリンだった。


 理由は分からない。

 だが、

 何かがおかしいと理解した。


「……?」


 次の瞬間、

 周囲に伝わる。


 視線が集まり、

 武器が構えられる。


 ――それだけ。


 誰も、踏み込まない。


 一歩。


 また一歩。


 前列のゴブリンが、

 意を決して動いた。


 だが、

 その姿は、

 次の瞬間には見当たらなかった。


 倒れる音も、

 悲鳴もない。


 ただ、

 数が合わなくなる。


 後ろのゴブリンが、

 足を止める。


 ホブゴブリンが、

 遅れて理解する。


 これは、

 押し切れる相手ではない。


 ラルヴィクは、

 洞窟を見据えたまま、言った。


「……邪魔だ」


 その一言で列が割れ、

 ラルヴィクの前に――

 一体だけが残った。


 ホブゴブリン。


 周囲のゴブリンが、

 距離を取る。


 逃げたのではない。

 任せたのだ。


 武器の構えが変わる。

 腰を落とし、

 重心を前へ。


 ホブゴブリンは、

 理解していた。


 数では押せない。

 躊躇すれば、消える。


 ならば――

 斬るしかない。


 踏み込みは鋭かった。

 剣が、横から振り抜かれる。


 確かに――

 当たった。


 刃は、

 ラルヴィクの肩口に届いている。


 だが。


 止まった。


 金属に当たった感触ではない。

 骨でも、肉でもない。


 剣先が、

 空気の中で沈み込むように、

 そこで動かなくなった。


 ホブゴブリンが、

 目を見開く。


 力を込める。

 押し切ろうとする。


 だが、

 刃は一歩も進まない。


 ラルヴィクは、

 振り返らずに言った。


「……ただの魔力だ」


 それだけ。


 説明でも、

 誇示でもない。


 事実の確認。


 次の瞬間、

 ラルヴィクの腕が動いた。


 大きくはない。

 溜めもない。


 ただ、

 払う。


 ホブゴブリンの身体が、

 一瞬、遅れる。


 そして――

 首が落ちた。


 音は、ない。


 胴体が崩れ落ちるまで、

 周囲は理解できなかった。


 武器が、

 地面に落ちる。


 それを合図に、

 ゴブリンたちが後退した。


 一歩。

 また一歩。


 逃げたいのではない。

 近づけない。


 ラルヴィクは、

 倒れたホブゴブリンを見ない。


 ただ、

 前を向いたまま進む。


 洞窟の中に入る。


 一歩、踏み入れた瞬間――

 気配が、押し寄せる。


 数が、

 多い。


 前から。

 左右の壁際から。

 奥から。


 通路というより、

 詰め込まれている。


 ゴブリンたちは、

 もう様子を窺わない。


 叫び声とともに、

 一斉に押し寄せてきた。


 数で潰す。

 それしか、残されていない。


 ラルヴィクは、

 歩みを止めない。


 立ち止まれば、

 時間が失われる。


(……無事でいろ)


 洞窟の奥を、

 一度だけ意識する。


 魔力の感触は、

 まだある。


 弱いが――

 消えてはいない。


 それだけで、

 足は止まらなかった。


 最前列のゴブリンが、

 刃を振るう。


 当たる。

 だが、

 通らない。


 次の瞬間、

 距離が詰まりすぎた個体から、

 順に消えていく。


 倒れる音は、ない。


 悲鳴も、

 ほとんど残らない。


 通路が、

 少しずつ――

 空く。


 後ろから押され、

 前に出てしまったゴブリンが、

 同じように消える。


 連携はない。

 統率もない。


 ただ、

 前に出るしかない。


 ラルヴィクは、

 腕を振るう回数を数えなかった。


 数える意味がない。


 必要なのは――

 進むことだけだ。


 洞窟の奥で、

 微かに、魔力が揺れた。


 サリアだ。


 位置が、

 少し近くなる。


 ラルヴィクの歩幅が、

 わずかに大きくなる。


 ゴブリンが、

 それに気づくことはない。


 気づいたとしても、

 どうにもならない。


 物量は、

 確かに多い。


 だが、

 減り続けている。


 気づけば、

 通路の床に、

 立っているのは――

 ラルヴィクだけだった。


 通路を抜けると、

 視界が開けた。


 洞窟の最奥。

 天井は高く、

 壁際には、粗雑な魔法陣が描かれている。


 その中央。


 魔力の鎖に縛られ、

 膝をついたままの――

 サリアがいた。


「……!」


 ラルヴィクの姿を認めた瞬間、

 彼女の表情が、はっきりと変わる。


「ご主人さまっ!」


 声が、震えた。


 恐怖が抜け、

 張り詰めていたものが、

 一気に緩む。


 安堵の声だった。


 ラルヴィクは、

 足を止めない。


 視線は、

 サリアから外れない。


 だが――

 次の瞬間。


「流石は、王宮魔道士だ」


 低く、

 粘ついた声が、

 洞窟の奥から響いた。


「思ったより、

 ずいぶん早かったな」


 影の中から、

 一体のゴブリンが姿を現す。


 他よりも細く、

 背は低い。


 だが、

 周囲の魔力の流れが――

 明らかに違う。


 ゴブリンメイジ。


 その視線が、

 ラルヴィクを値踏みするように捉える。


「まさか、

 本隊を正面から抜けてくるとはな」


 鎖が、

 きしりと音を立てる。


 サリアが、

 苦しそうに息を詰めた。


 ラルヴィクの足が、

 止まった。


 距離は、

 まだある。


 だが――

 これ以上、

 縮めさせるつもりはなかった。


 ゴブリンメイジは、

 愉快そうに続ける。


「安心しろ。

 すぐに壊すつもりはない」


 視線が、

 サリアへ向けられる。


「魔力を持つ女は、

 価値がある」


「特に――

 こんな、出来のいい器はな」


 サリアの指が、

 小さく震える。


 それを見て、

 ラルヴィクは――

 ようやく、

 ゴブリンメイジを見る。


 表情は、変わらない。


 声も、低いままだ。


「……話は、終わりか」


 ゴブリンメイジが、

 一瞬だけ目を細めた。


「ほう?」


「ずいぶん落ち着いているな」


 ラルヴィクは、

 視線を逸らさずに言う。


「――返せ」


 短い言葉。


 要求であり、

 最後通告だった。


 洞窟の空気が、

 わずかに張り詰める。


 ゴブリンメイジは、

 笑った。


「……できるものなら、な」


 ゴブリンメイジの指先から、

 魔力が走った。


 鎖を伝い、

 直接――サリアへ流れ込む。


「――っ!!」


 短く、

 だが耐えきれない悲鳴が上がる。


 身体が、

 びくりと跳ねた。


 魔力を持つ者だからこそ、

 分かる。


 これは拘束ではない。

 内部を撫で回すような干渉。


 サリアの顔が歪む。


 その瞬間――


「やめろ!!」


 ラルヴィクの声が、

 洞窟に響いた。


 低く、

 鋭く。


 今まで一度も、

 敵に向けて見せなかった――

 怒りの声だった。


 ゴブリンメイジが、

 愉快そうに口を歪める。


「ほう……」


「その顔だ。

 それが見たかった」


 魔力の流れを、

 わざと、

 少しだけ強める。


 サリアが、

 再び息を詰める。


 ラルヴィクの足が、

 半歩――前に出た。


「……説明してやろう」


 ゴブリンメイジは、

 まるで講釈を垂れるように言う。


「静寂の魔道士」


 その呼び名に、

 周囲の空気が変わる。


「貴様はな、

 この境界を――

 乱している」


「魔族と人族の境界。

 均衡。

 暗黙の了解」


「お前が動くたび、

 それが――」


 そこまでだった。


 言葉は、最後まで続かなかった。


 音も、

 動きも、

 兆しすらない。


 ゴブリンメイジの首が、

 ずれた。


 次の瞬間、

 身体が崩れ落ちる。


 悲鳴はない。

 詠唱もない。

 抵抗もない。


 ただ、

 語ろうとした存在が消えた。


 魔力の鎖が、

 力を失い、

 霧のように消える。


 サリアの身体が、

 崩れ落ちそうになる。


 ラルヴィクは、

 即座に距離を詰め、

 抱き留めた。


「……もういい」


 声は、

 元に戻っている。


 だが――

 完全にではない。


 サリアは、

 胸元に顔を埋め、

 小さく息を吐いた。


「……ご主人さま……」


 ラルヴィクは、

 一度だけ、

 洞窟の奥を見る。


 そこにはもう、

 敵はいない。


 説明も、

 理由も、

 聞く価値はなかった。


「……帰るぞ」


 それだけ言って、

 彼は踵を返した。


 洞窟の中に残ったのは、

 語られなかった言葉と、

 終わった存在だけだった。



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