第1話 最弱の魔道士
王宮の会議室は、いつも通り静かだった。
豪奢な装飾が施された円卓。その周囲に並ぶ重臣たちの中で、俺――王宮魔道士の一人ラルヴィクは、背景の彫刻のように座っている。
誰も俺を見ない。
正確には、「意識して見ていない」。
それが、この場での俺の立ち位置だった。
「では、次だ」
王が低く言い、書類に視線を落とす。
魔族領の動向。
王都の予算。
騎士団の再編。
どれも重要な話だが、俺が口を挟む場面はない。
そもそも、期待されていない。
王宮魔道士は、国に十人。
本来なら、この会議室に座っているだけで、場の空気が張り詰める存在のはずだ。
――はず、なのだが。
俺は違う。
「……魔道士についても、整理が必要だな」
王の言葉に、空気がわずかに動く。
重臣の一人が頷き、淡々と続けた。
「はい。特に、戦闘において功績を挙げていない者については」
視線が、こちらへ向く。
いや、“こちらの方向”だ。
俺個人を見るというより、条件に合致する存在を確認しているだけ。
……来たか。
胸の奥が、少しだけ重くなる。
「魔族との全面衝突は避けたい。しかし、戦力は集中させねばならん」
王は感情のない声で続ける。
「王都に置く意味の薄い魔道士は、地方へ回す」
合理的だ。
正しい判断だとも思う。
俺は戦闘で派手な戦果を挙げていない。
敵を焼き払ったことも、氷漬けにしたこともない。
やってきたのは、ただ――
壊れないようにすることだけだ。
「対象は……」
王が名簿をめくる。
一瞬、間が空いた。
「――《静寂の魔道士》。ラルヴィクだ」
まじか。
内心で、そう思った。
左遷?
……左遷、か。
王都の生活は、嫌いじゃなかった。
静かで、整っていて、無駄がない。
仕事もしやすかったし、居心地も悪くなかった。
だが、その感情を表に出すほど、若くもない。
俺は静かに立ち上がった。
「……は」
それだけ答える。
誰も何も言わない。
反論も、同情も、ざわめきもない。
それが、俺の評価だ。
「ラルヴィクには、辺境の街へ行ってもらう。魔族領に隣接した土地だ」
王は続ける。
「治安は良くないが、王宮魔道士が一人いれば抑止力にはなるだろう」
「承知しました」
声は、我ながら落ち着いていた。
戦功を挙げていない魔道士を王都から外す。
経費を削減し、地方に戦力を回す。
筋は通っている。
「質問は?」
「ありません」
王が一瞬だけ、こちらを見る。
意外そうな表情だったが、すぐに興味を失ったように視線を戻した。
「では、以上だ」
会議は終わる。
重臣たちが席を立ち、俺はその間を静かに抜ける。
誰とも目は合わない。
廊下に出たところで、ようやく息を吐いた。
「……そうなるよな」
小さな独り言が、静かな廊下に溶ける。
《静寂の魔道士》。
戦場で音を残さなかった魔道士。
命が奪われる瞬間すら、静かだったという理由で付けられた二つ名。
だが、それは英雄譚には向かない。
叫びも、爆音も、勝どきもない。
記録に残るのは、「被害が少なかった」という一行だけだ。
そんな魔道士が、王に好かれるはずもない。
「辺境、か……」
窓の外を見る。
王都は今日も平和だった。
俺がいなくなっても、変わらない。
少なくとも、そう思われている。
……まあ、それでいい。
静かに仕事をして、静かに去る。
それが俺の役割だ。
王都を発った馬車は、思ったよりも揺れた。
護衛はいない。
見送りもない。
王宮魔道士の移動としては、少し寂しすぎる気もしたが、今さらどうこう言う話でもない。
「……まあ、左遷だしな」
独り言が、馬車の中で虚しく響く。
王都の生活は、嫌いじゃなかった。
静かで、整っていて、魔法の研究をするには最適な環境だった。
あの空気から離れると思うと、胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
だが、それも時間が解決するだろう。
馬車は次第に舗装路を離れ、荒れた街道へ入っていく。
窓の外の景色は、緑を失い、土と岩が剥き出しになっていった。
「……なるほどな」
魔族領に近い土地。
地図で見ていた以上に、余裕がない。
日が傾く頃、ようやく街が見えてきた。
低い城壁。
歪んだ門。
補修の跡はあるが、どれも場当たり的だ。
門をくぐった瞬間、視線を感じた。
鋭く、遠慮のない視線。
冒険者たちだ。
装備は統一されておらず、鎧も武器もまちまちだが、全員が“ここでは力が物を言う”顔をしている。
「……あれが、王宮魔道士か?」
「思ったより、地味だな」
馬車が止まり、俺は荷を持って降りた。
誰も手を貸そうとしない。
まあ、期待されていないのだろう。
「名前は?」
冒険者の一人が、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「……名乗るほどの者でもない」
そう答えた瞬間、笑い声が上がった。
「聞いたか? 名乗るほどでもない、だってよ」
「さすが王宮様だ」
別の男が、俺を値踏みするように見て言う。
「で、二つ名は?」
この街では、それが重要らしい。
一瞬、間を置いてから答える。
「《静寂の魔道士》だ」
冒険者たちは顔を見合わせ――そして、吹き出した。
「……静寂?」
「ああ、分かった」
誰かが、にやりと笑う。
「最弱の魔道士、だろ?」
笑いが広がる。
……そうか。
ここでは、そう聞こえるのか。
内心、少しだけ、胸の奥がチクリとした。
そうかもしれんが……
言ってくれるな。
だが、それを顔に出すほど子供でもない。
「否定はしない」
そう言うと、笑いはさらに大きくなった。
「役に立つのかよ?」
「戦えるのか?」
「邪魔だけはするなよ」
「承知した」
それだけ答えると、彼らは興味を失ったように散っていく。
その後、遅れて現れた役人風の男に案内され、街の外れへ向かった。
辿り着いた先にあったのは――城だった。
小さいが、確かに城だ。
欠けた城壁、錆びた門、崩れかけた見張り塔。
かつて、ここが戦場だったことは一目で分かる。
「昔、魔族との戦いが激化した頃の城です」
「今は?」
「……使われていません」
つまり、放棄された拠点というわけだ。
中へ入ると、広い中庭と、最低限の居住区画。
人が住むには不便だが、防衛拠点としての骨格は残っている。
「……これは」
正直、少し驚いた。
荒れてはいるが、作り自体は悪くない。
無駄も少ない。
「一人で使うには、広すぎるな」
「ご、不都合でしたら――」
「いや」
首を振る。
「静かでいい」
役人が帰った後、俺は城の中を歩いた。
壁に触れ、床を確かめ、塔を見上げる。
魔力の流れは――ほとんど感じられない。
結界の痕跡はあるが、動いていない。
すでに役目を終えた機能だ。
「……まずは、城だな」
結界に手を出す気にはならなかった。
器が壊れたままでは、意味がない。
俺は、崩れかけた石壁に手を置いた。
音も光もない。
ただ、歪みを、元あるべき形に戻す。
その夜、街の外で魔物の気配がした。
怒号と武器の音が、遠くに聞こえる。
俺は、かつて戦場だったこの城の中で、
静かに、修復を続けていた。




