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第二話 空欄は、内側にある【後編】

「……え?」

 声が漏れた。

 店は閉店している。

 それに、陽菜(ひな)は配達員ではない。

 なぜ自分の端末に受注依頼が来る?

 なぜ店名が分かる?

 配送先が空欄って、どういうこと?


 考えるより先に、二件目。

 同じ内容。配送先は空欄。


 三件目。

 四件目。


 通知が増殖する。

 画面が“注文”で埋まり始める。

 空欄の配送先だけを残して。


 陽菜(ひな)は立ち上がり、狭い部屋を一歩、二歩と歩いた。

 歩くと少しだけ思考が整う。

 整うと、怖さが輪郭を持つ。

 輪郭が持てば、対処できる――と信じたい。


「バグ……店のシステム? でも……」

 陽菜(ひな)はアプリを開く。

 注文詳細画面。

 受取時間「今すぐ」。

 配送先欄が白く抜けている。

 真っ白だ。

 白が目に痛い。

 白は無垢ではない。

 白は「まだ決まっていない」毒だ。


 陽菜(ひな)は配送先欄をタップした。

 入力画面が開く。

 住所候補が出る。

 自宅の住所が一番上にある。

 ――アプリは、陽菜(ひな)の住所を知っている。

 怖さが胃の底に落ちる。


 陽菜(ひな)は慌てて戻る。

 戻ると、また通知。

 また通知。

 蜂の羽音みたいに机が震える。

 羽音が増えるほど、息が浅くなる。


 遠ざけたい。

 見たくない。

 けれど見ないと、もっと増える気がする。

 意味を探さないで、って桐島は言った。

 陸奥(むつ)は、矛盾は取っ手だと言った。

 どちらも正しい。正しいから、余計に怖い。


 陽菜(ひな)は、辞典に視線をやった。

 辞典が開かれたまま、机の上で黒く沈んでいる。

 黒は穴だ。

 穴は、白を飲み込む。


 陽菜(ひな)は、辞典をもう一度開いた。

 なぜ開く。

 自分でも分からない。

 分からないけれど、手癖が勝つ。

 答えを外に求める癖。

 辞書に求める癖。

 外部の正しさに預ける癖。


 ページが、勝手にめくられた。


 ぱら、ぱら、ぱら。

 風はない。

 なのに紙が動く。

 紙が自分で自分を読んでいる。


 ページが止まる。

 見出しが、黒い縁取りで囲まれている。

 カタカナの単語。


『ゴーストオーダー』


 陽菜(ひな)の背中が汗で冷えた。

 そこに書かれている説明は短い。

 短いからこそ、刃だ。


——依頼者なき過剰な注文。受け手の“役割”だけを食べる空腹。


「……役割、だけを」

 陽菜(ひな)の声が掠れた。

 陸奥(むつ)の言葉が、記憶から引きずり出される。

 自由が減ると役割が増える。

 札が増えると運ぶ人間が必要になる。

 運ぶ人間――配達員。


 陽菜(ひな)は笑えなかった。

 偶然の一致ではない。

 辞典は、偶然を装って因果を固定する。

 固定は救いで、棺だ。


 通知がまた来た。

 空欄。空欄。空欄。

 空欄だけが増える。


 陽菜(ひな)の喉が熱くなる。

 怖い。

 怖いのに、少しだけ腹が立つ。

 空欄のままでいるな。

 空欄のせいで苦しい。

 埋めてしまえばいいのに。

 埋めたら終わるのに。


「……私、何してんの」

 陽菜(ひな)は机を叩きそうになって、手を握りしめた。

 叩けば現実になる。

 現実にしたくない。

 怪異を“現実”にしたくない。

 怪異は外にいてほしい。

 自分から遠いところで起きてほしい。

 遠いなら、他人のせいにできる。


 ——理由を外に求めるから怖い。

 陸奥(むつ)の言葉が、胸の奥で小さく揺れた。

 違う。陸奥(むつ)はそんな言い方をしていない。

 けれど“意味”はそこにあった。

 外に原因があると思うから、手が届かない。

 手が届かないと、人は恐怖で固まる。


 陽菜(ひな)は電話をかけた。

 陸奥(むつ)

 呼び出し音が鳴る。

 一回。二回。

 出ない。

 夜だ。分かっている。

 分かっているのに、出ないことが怖い。

 依存している自分が、情けなくて怖い。


 三回目のコールで、通話が繋がった。


『……陽菜(ひな)?』

 陸奥(むつ)の声。眠そうなのに、芯がある。

 起きた瞬間から世界を観測する声。


陸奥(むつ)さん、ごめんなさい、今……変な通知が」

『ゴーストオーダーか』

「……え、なんで」

『君の文章は短い。短い文章は、恐怖が濃い。濃い恐怖は、だいたい同じ形で来る』

 陸奥(むつ)は息を吐いた。

『言え。何が来てる』

「店のカフェラテの注文が、受注依頼で……配送先が空欄で、ずっと増えてます」

『配送先が空欄。……なら、まだ“内側”に落ちてない』

「内側?」

『外にある怪異は、逃げられる。内側に落ちた怪異は、逃げてもついてくる』

「やめてください、怖い」

『怖いのは正常だ。だが怖さを外注するな』

「外注……」

『誰かのせいにすると、誰かの手に握られる。君は握られたくないだろう』

 陸奥(むつ)の声が少し低くなる。

『辞典は開いたか』

「……開いてます」

『閉じろ』

「でも、勝手に……」

『勝手に、を言い訳にするな。言い訳は、君の敵だ』

 陸奥(むつ)は言い切った。

 断言の刃が、陽菜(ひな)の胸の痒みを切る。

 切れると痛い。

 痛いけれど、痛みは輪郭を作る。


「……どうすればいい」

『今夜は、店に来い』

「え、今からですか」

『夜は急ぐほど遠回りになる。だが遠回りしてる時間がない夜もある』

「……分かりました」


 通話が切れる。

 切れた瞬間、部屋の空気が一段冷えた。

 陸奥(むつ)の声が“外の正しさ”になっている。

 陽菜(ひな)はそれが嫌だ。

 嫌なのに、救われてもいる。

 依存と拒絶が、また輪になる。


 陽菜(ひな)は上着を掴み、玄関へ向かった。

 そのとき。


 インターホンが鳴った。


 ピンポーン。


 夜の廊下の音は、部屋の中まで鋭く届く。

 ピンポーン。

 もう一度。

 ピンポーン。


 陽菜(ひな)の足が止まる。

 汗が背骨を滑る。

 ドアスコープに目を当てた。


 廊下に、ヘルメットの影。

 黒いレインジャケット。四角いバッグ。

 店に来た配達員と同じ型。

 同じ、というのが恐怖だ。

 違うものは対処できる。

 同じものは増殖する。


 インターホンが連打になる。

 ピンポン、ピンポン、ピンポン。

 そして、ドア越しに声。


「注文、まだですか」


 声は小さい。

 でも耳の奥に直接響く。

 壁もドアも介さない。

 言葉が、空気ではなく情報として届く。

 都市の電波の川が、陽菜(ひな)の頭蓋に流れ込む。


 スマホが震える。

 通知。通知。

 配送先:——

 空欄が、白い穴のまま増える。


 陽菜(ひな)はドアノブに手を伸ばし、止めた。

 遠ざけたい。

 開けたら終わる。

 終わるなら楽になる。

 その矛盾を抱えたまま、背中をドアに預けた。


 辞典が机の上で、ぱらりとページをめくった。


 陽菜(ひな)は見ないふりをした。

 見ないふりは逃避型の防衛。

 でも逃避は、怪異の餌になる。

 分かっている。

 分かっているから、余計に苦しい。


 インターホンの声が繰り返す。

「注文、まだですか」

「注文、まだですか」

「注文、まだですか」


 陽菜(ひな)は、とうとう机へ戻り、辞典を睨んだ。

 睨むのは、敵だと認めた時の行為だ。

 怪異を外に置きたいのに、睨んだ瞬間、怪異は内側へ近づく。


 辞典は、さっきの『ゴーストオーダー』の項目の下に、追記を生やしていた。

 さっきは無かった文字。

 インクが湿っているように見える。

 湿っているのに、触ると乾いている。

 矛盾した触感。


——配送先の空欄は、受け手の内側に現れる。

——空欄を埋めた者が、配送先になる。


 陽菜(ひな)の口から、声にならない息が漏れた。

 外の配達員が、また声を落とす。


「……配送先を、入力してください」


 陽菜(ひな)はスマホの配送先欄を見る。

 白い穴が、こちらを見返している。

 穴は、埋まるのを待っている。

 埋めた瞬間、世界が確定する。


 陽菜(ひな)は自分の胸に手を当てた。

 心臓が早い。

 速いのに、逃げられない。

 逃げられないとき、人は「誰かのせい」にしたくなる。

 その快楽が喉元までせり上がる。


 でも、陸奥(むつ)の言葉が思い出される。

 矛盾は取っ手だ。

 握られたくないなら、自分で握れ。


 陽菜(ひな)は指を、配送先欄へ近づけた。

 近づけただけで、爪の先が冷える。


 そして、そこで止まった。

 止まったまま、夜が息を潜めて待っている。

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