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第十五話 余白の呼吸(マージン・ブレス)【後編】

 同じ夜。


 場所は、東京のどこか。


 地下。

 白い廊下が、まっすぐ続いている。

 廊下の両側に、ドアが並んでいる。


 ドアに、番号が振られている。

 でも、番号に規則性がない。


 3、17、5、22――


 ランダムに並ぶ数字。

 ランダムなのに、揃っている。

 床が、拭き上げられている。

 拭き上げられすぎて、光を反射している。

 反射した光が、天井を照らす。


 天井は低い。

 低いから、圧迫感がある。

 圧迫感があるから、息が浅くなる。


 廊下の突き当たりに、一つだけドアがある。

 番号がない。

 ないのに、そこだけ目立つ。


 ドアの向こう――


 部屋。

 部屋の中央に、白い椅子が二脚。

 向かい合わせに置かれている。

 一脚に、男が座っている。


 陸奥(むつ)


 四十代の男。

 いつもの無表情。

 でも、今日は少しだけ違う。

 肩が、わずかに下がっている。

 下がるのは、疲れているからだ。


 向かいの椅子に、白いスーツの人物が座った。

 座る音がしない。

 音がしないのが、不気味だ。

 白いスーツが、書類を開く。

 書類の表紙に、名前が書かれている。


陸奥(むつ)隼人(はやと)


 その名前を読み上げる。

 読み上げる声に、抑揚がない。

 抑揚がないから、機械みたいだ。


 陸奥――隼人は、何も答えない。


 答えないのは、肯定だ。

 白いスーツが、写真を一枚、テーブルに置いた。


 写真には――女性。


 黒髪。

 研究服。

 眼鏡。

 笑っている。

 でも、笑顔の奥に何かがある。

 何かは、言葉にならない。

 隼人が、写真から目を逸らした。


志木(しき)紗夜(さや)


 白いスーツが、その名前を言った。

 言った瞬間、隼人の表情が動く。

 わずかに、眉が下がる。

 下がるのは一瞬だ。

 すぐに、元に戻る。


「君の、元恋人だ」


 隼人の手が、わずかに震えた。

 震えは小さい。

 でも、白いスーツは見逃さない。


「……知らない」


 隼人が、低く言った。


「嘘をつくな」


 白いスーツが、もう一枚写真を置いた。


 今度は――人影。


 輪郭が曖昧。

 半分人間、半分が文字で構成されている。

 文字は、揺れている。

 揺れながら、形を保っている。


「これは……」


 隼人の声が、途切れた。


「志木紗夜。現在の姿だ」


 隼人の喉が鳴った。


「混成怪異の研究者」


 白いスーツが淡々と言う。


「自らの研究対象になった」


「……」


「不可逆」


 その言葉が、重い。


「現在、行方不明」


 隼人は、写真を見つめた。

 見つめるたびに、胸の奥が痛む。

 痛むのは、まだ終わっていないからだ。


「君は、彼女を探している」


 白いスーツが言った。


「違うか」


 隼人は、答えない。

 答えないのは、肯定だ。


「彼女が作った」


「何を」


「辞典だ」


 隼人の目が、鋭くなった。


「怪異を通じて、店で働く少女に託した矛盾の借用語辞典デュエリング・シールド


「君が店に保管をしていた削除語辞典ホワイトアウト・レキシコン


 白いスーツが、二冊の名前を読み上げる。


「志木紗夜の、遺産」


「……」


「二冊の反応が消えた。君があれを燃やすとは思えない。何をした?」


 隼人は、しばらく黙っていた。

 黙っていたのは、言葉を探していたからだ。

 でも、見つからない。

 見つからないから、短く答える。


「……消えた。」


「消えた?」


「それ以上は知らない」


 白いスーツが、書類をめくる音。

 音が、やけに大きく聞こえる。


「……では、彼女の研究資料。あれはどこにある」


 隼人は、答えない。


「答えろ」


「答えたら、どうする」


「回収する」


「そして?」


 白いスーツが、初めて表情を変えた。

 わずかに、口角が上がる。

 上がり方が、冷たい。


「破棄する」


 隼人の手が、テーブルを叩いた。

 叩いた音が、部屋に響く。


「取引をしよう」


 白いスーツが、少しだけ首を傾げる。


「取引?」


「資料の場所を教える」


「……」


「代わりに、あの店には手を出すな」


 白いスーツが、少しだけ考える仕草をした。

 考えているのか、演技なのか、分からない。


「……条件がある」


「何だ」


「三ヶ月だけだ」


 隼人の目が、細くなる。


「三ヶ月後、また来る」


「それまでは……」


「手を出さない」


 白いスーツが、隼人を見る。


「ただし――」


「……」


「君も、戻るな」


 隼人の喉が鳴った。


「店に、近づくな。”無関係な人間”を巻き込む趣味はない」


「……」


「近づいたら、取引は無効だ」


 隼人は、しばらく黙っていた。

 黙っている間、何かを計算している。

 計算の結果――


「……分かった」


 白いスーツが立ち上がる。

 立ち上がる音がしない。


「三ヶ月、待つ」


「……」


「資料の場所は、後で聞く」


 それだけ言って、白いスーツは部屋を出た。

 出る音もしない。

 音がしないのが、不気味だ。

 一人残された隼人。

 隼人が、テーブルの写真を見る。


 志木紗夜。


 笑っている写真。

 混成怪異化した写真。

 二枚が、並んでいる。


「……紗夜」


 呟いた声は、誰にも届かない。

 届かないのに、部屋の隅で何かが動いた気がした。

 隼人は、思い出す。

 紗夜と出会った日。

 大学の研究室。

 紗夜が、顕微鏡を覗いていた。


「見て、隼人」


 紗夜が笑った。


「混成怪異の細胞。美しい」


 隼人が覗くと、細胞が揺れていた。

 揺れながら、形を変える。

 変わりながら、元に戻る。


「矛盾が同時に存在する瞬間が、好き」


 紗夜の声が、軽かった。

 軽いのに、目が本気だった。

 その言葉を、今も覚えている。

 覚えているから、忘れられない。

 紗夜が消えた、あの朝。

 研究室に、紙が一枚。


 「ごめんね。でも、確かめたかった」


 それだけ書かれていた。

 確かめたかったこと。


 それは――自分が混成怪異になること。


 消える数日前、紗夜が二冊の辞典を渡してきた。


「これ、預かって」


「なんで」


「いつか、誰かが使う」


「誰が」


 紗夜は笑った。


「分かんない。でも、必要な人が来る」


 隼人は、紗夜が消えた後、店を作った。


 《塔の蜜蜂》


 名前の由来は、紗夜が好きだった言葉。


「蜜蜂は、個で生きられない」


「でも、群れでなら、塔を作れる」


 その言葉を、店の名前にした。

 店の名前にすれば、紗夜を忘れない。

 忘れなければ、紗夜は完全には消えていない。


「三ヶ月、か」


 隼人は立ち上がる。

 立ち上がると、身体が重い。

 重いのは、疲れているからだ。


「三ヶ月あれば――」


 その先は、言葉にしない。

 言葉にすると、嘘になる。

 でも、動く。

 動くことが、今できることだ。

 部屋の隅に、人影。

 いつからいたのか、分からない。

 女性の輪郭。

 でも、半分が文字で構成されている。

 文字は、揺れている。


「……紗夜、か」


 人影は、何も答えない。

 ただ、微かに笑った気がした。

 幻覚かもしれない。

 でも、幻覚でもいい。

 まだ、そこにいてくれるなら。

 部屋の窓から、東京の夜景。

 どこかに、新宿の光。

 あの光の中に、《塔の蜜蜂》がある。

 隼人が作った、店。

 紗夜のために、作った店。

 店があれば、記憶は消えない。

 記憶が消えなければ、紗夜は完全には消えていない。


「陽菜。すまない」


 隼人は、窓に向かって呟く。


「三ヶ月、店を頼む」


「その間に、俺は――」


 言葉が、途切れる。


 途切れた先に、何がある。

 それは、まだ分からない。

 分からないけれど、探す。

 探すことが、隼人を隼人にしている。

 隼人が、写真を手に取る。

 志木紗夜の、笑っている写真。


「必ず、見つける」


 その言葉は、誓いだ。

 誓いは、呪いに似ている。

 でも、呪いでもいい。

 それが、隼人を動かすなら。

 画面が暗転する。

 暗転の前に、文字が浮かぶ。


 ――三ヶ月後、物語は再び動く

最後までお読みいただきありがとうございます。

1章はこれで終了になります。


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