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第五話 陳列の美学(コレクター・ショーケース)【後編】

 陽菜(ひな)の視界が、箱みたいに区切られていく。

 壁が透明な格子になる。

 床に薄い線が引かれ、線の内側が「あなたの場所」になる。

 線の外は、関係者以外立入禁止。


 部屋の棚が、増える。

 棚ではない。展示ケースだ。

 ケースの中に、陽菜(ひな)の人生が入れられていく。


 友人の顔。

 講義のノート。

 バイトのエプロン。

 《ミツバチと塔》のカップ。

 それぞれにラベルが貼られる。


【B-02:大学/適正/無害】

【C-07:バイト/従順/回転率】

【D-11:喫茶店/矛盾処理/資源】


 資源。

 その言葉が刺さる。

 白地に黒い塔――あの通知が、ここに繋がっている。


 影の声が、優しいふりをする。


「ほら。綺麗」

「……綺麗って、何」

「配置が揃ってること」

「揃ってるのが、正しい?」

「正しいよ。美しいから」


 美しい。

 美学。

 悪ではない。

 だからこそ、嫌いになりきれない。

 目が離せない。


 陽菜(ひな)は、喉の奥で一行を探した。

 成立条件を言い切れば、取っ手になる。


 展示物になる条件。

 この怪異の名前が、指先に浮かぶ。


 ――コレクター・ショーケース。


 陽菜(ひな)は呟いた。祈りじゃない。仕様の読解だ。


「……“美しい配置”を信じた瞬間、人も関係も展示物になる」


 影が一瞬だけ笑った気配がした。

 気配だけ。顔は見せない。

 見せないことで、関係が固定されない。


「正解」

 影が言う。

「君、読めるね。だから展示に向く」


 息が詰まる。

 読めることが、罠になる。

 正しさは盾にならない。

 盾にするのは矛盾だ。


 陽菜(ひな)は思い出した。

 陸奥(むつ)の冷たい声。


――正解は、私を守らない。

――運ばれるな。持ち上げろ。裏側に条件がある。

――折る。殴るな。


 展示は固定。

 固定は動かない。

 動かないから、美しい。

 なら、矛盾はこれだ。


 展示なのに、搬出が起きる。

 固定されているのに、移動する。

 常設なのに、巡回する。

 飾られているのに、貸し出される。


 陽菜(ひな)の胸が痛む。

 痛みは輪郭だ。

 輪郭ができると、信じられる。


「……こわい」

 陽菜(ひな)は、普通の声で言った。

「でも、急がされる方がもっとこわい」

 そして次を選ぶ。

 自分で。


 陽菜(ひな)は、透明な線の内側で、わざと靴を脱いだ。

 靴を脱ぐ行為は、部屋のルールに従うようでいて――

 展示室の「立入禁止」を、生活へ引きずり下ろす。


「展示ってさ」

 陽菜(ひな)は影に向けて言う。

「守るために置くんでしょ」

「そう」

「なら、守るってことは――触れるってことだ」


 影が止まる。

 止まるのは条件が軋む音。


 陽菜(ひな)はスマホを取り出し、画面を開いた。

 さっきまでの【展示開始】が、まだ光っている。


 陽菜(ひな)は、そこに新しい言葉を差し込む。

 辞典から“借りる”のではなく、今夜は自分の喉で作る。


「私は、展示物」

 胸が締まる。

「同時に――貸出品」


 矛盾が生まれる。

 矛盾は取っ手だ。

 握ると、世界が持ち上がる。


 展示ケースの線が、薄く揺れた。

 揺れは地震ではない。

 成立条件のズレだ。


 影が低く言う。


「貸出……?」

「うん」

 陽菜(ひな)は息を吸う。

 吸える。

 吸えるなら言える。


「展示って、動かないから綺麗なんでしょ」

「そう」

「でも貸出は、動く」

「……」

「固定と移動、両方成立させるなら――」

 陽菜(ひな)は言い切る。

「ショーケースは、開いてなきゃいけない」


 影の手が、透明な箱に伸びる。

 箱を閉じるために。

 閉じれば固定になる。

 閉じるほど、矛盾が強くなる。


 陽菜(ひな)は、最後の一撃を撃つ前に、短い穴を作った。

 息の穴。読者の座席。


「……お願い」

 小さく言う。

 格好よくない。

 格好よくないから、信じられる。


「私を、私から盗らないで」


 影が一瞬だけ、動揺した気配がした。

 動揺があるなら人間だ。

 人間なら、趣味だ。

 趣味は、揺らぐ。


 陽菜(ひな)は断言する。

 祈らない。殴らない。折る。


「展示は固定じゃない。展示は“見せる”だ」

「……」

「見せるってことは、誰かの目に出すってこと」

「……」

「出すなら、搬出が起きる。起きなきゃ見せられない」


 陽菜(ひな)は一歩、透明な線を越えた。

 越えた瞬間、線が悲鳴を上げるように鳴る。


 パキン、と。

 ガラスが割れる音ではない。

 “割れたことにされた”音だ。


 展示ケースが、開いた。

 開いてしまった。

 開いた瞬間、部屋の中のラベルが一斉に震えた。

 箱の中の空白が、空白に戻ろうとする。


 スマホが震える。


【展示物:搬出処理】

【未払い配置:0】


 ゼロ。

 成立しなくなった数字。

 次の瞬間、表示が消えた。


 静寂が落ちる。

 勝利ではない。

 処理完了の無音。

 棚の物たちが、急にただの物に戻った気がした。

 戻ったのに、匂いだけは残る。

 趣味の匂い。固定の匂い。


 影の声が、低く笑った。


「……いい」

 その一言が、褒め言葉なのか呪いなのか分からない。


「君、壊さないんだね」

「……壊したくない」

「うん。壊すのは簡単。配置は、壊したら終わり」


 影の手が、机の上の缶バッジを一つ持ち上げる。

 そこには、黒い塔の小さなマーク。


「君は、折る」

「……」

「折り方が綺麗だ」


 綺麗。

 またその言葉。

 美学で殴られる感覚。

 陽菜(ひな)は一歩引きたくなった。

 でも引いたら、固定される。


 影が、最後に言った。

 軽い。生活みたいに。

 それがいちばん怖い。


「速度に逆らえる子は、使い道がある」


 陽菜(ひな)の胸に、何かが貼られた気がした。

 見下ろすと、上着の袖に小さな白いシール。

 バーコードと、番号。


【D-11】


 資源の札。

 展示の札。

 そして共同体の札。


 陽菜(ひな)はシールを剥がそうとして、指が止まった。

 剥がすと、また“見ないふり”になる。

 見ないふりは餌だ。


 陽菜(ひな)はシールを貼ったまま、部屋を出た。

 階段を降りる。下北沢(しもきたざわ)の路地の匂いが、急に現実に戻る。


 古着屋の音楽。

 コーヒーの香り。

 紙のフライヤー。

 そして、鳴っていない通知音。


 ピッ。


 陽菜(ひな)のスマホが勝手に点いた。

 白地に黒い塔。

 短い文。


【共犯候補:接触記録】

【次:観測】


 観測。

 陸奥(むつ)の冷たさとは違う、別の冷たさが背中を撫でた。


 陽菜(ひな)は小さく息を吸った。

 吸える。

 吸えるのに、怖い。


 世界は直らない。

 直らないから、次が来る。

 次が来るから、読者はボタンを押す。


最後までお読みいただきありがとうございます。


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